![]() | 『Hero,me.』 -上- |
小さな頃、私は物語の王子様になりたかった。 女の子は『王子様』にはなれないよと言われたけれど、それなら誰かにとってのヒーローになろうと思った。 守られるだけのお姫様になるのは嫌だ。私も誰かを守りたい。 『守って』と、そう約束を交わしたのはそんな時。 だからずっとそうしてきたのに―― 「今回は紫ちゃんが全面的に悪いわね」 「そうね。今回ばかりはアタシも北条君の肩を持つから」 あの後。 北条は私を部室まで送り届けてくれた。そして驚いているかんなちゃんと志乃ちゃんに事情を端的に説明すると、自分はすぐに帰ってしまった。 ――私の顔も見ず声もかけないままに。 そんな北条は初めてで、私はもう、どうしていいのかわからなくなった。 机に突っ伏した私の横に、カタリ。カップが置かれてそこに紅茶が注がれる。 「ちゃんと反省してる?」 かんなちゃんの声に、私は顔を上げないまま答えた。 「何を?」 「紫ちゃん!」 「だってまた同じ状況になったら、私はきっと同じ事をするよ。守れる相手がいるのに守れないのは嫌だから」 「……でも自分のことは守れなかったじゃん。北条君が間に合わなかったらどうしてたの? それなのにまた同じことを繰り返すの? そしてまた北条君に怒られるの?」 志乃ちゃんの矢継ぎ早の問いかけに、私は返す言葉を無くす。 居たたまれない、今の気分。またこの気持ちを味わうのか。 それは……嫌だ。でも。 「……じゃあどうすれば良かったんだよ……」 自問自答して答えの出なかった問いを二人に投げる。すると二人はあっさりと答えた。 「北条君の名前を呼べば良かったのよ」 「紫ちゃんはもっと人に頼っていいんだよ? 特に北条君には」 ――僕はただ、あなたに、頼って欲しかったんです。 北条の声が、脳裏で再生される。 あのとき、北条の顔が頭に浮かんだ。素直に名前を呼べば良かったんだろうか。それよりも前に助けを求めれば良かったんだろうか。 心情的には納得できない、だが自分が窮地に陥って迷惑をかけた身としては、……わかった、そう頷くことしかできなかった。 「……でも北条があそこまで怒った理由がわからないんだけど」 確かに迷惑はかけたけどさ。身を起こしながらぶつぶつ言うと、二人が顔を見合わせた。そしてそれぞれ大きなため息。……え、 「その反応は何!?」 「報われないねー北条君」 「何が!?」 二人にはわかるらしい。さっぱりわからないままに志乃ちゃんに詰め寄ると、横手からかんなちゃんが問いかけてきた。 「ねえ紫ちゃん。貴女、守れる相手がいるのに守れないのは嫌だって言ったわよね」 「うん」 「なのちゃんがたちの悪そうな相手に絡まれてて、ひとりじゃ切り抜けられそうにないから心配したのよね?」 頷いた私に、でもね、とかんなちゃんは続けた。 「北条君からすれば、貴女がなのちゃんで、北条君が貴女よ?」 それは、どういう。 言いかけた私は唐突に理解した。 私は北条に迷惑をかけたと思った。だけど違った。 私の窮地を見て、北条がどう思ったかまでは、思いが至らなかった。 北条は……私を心配してくれていたんだ。だから無茶をした私を怒ったんだ。 謝るなら心配をかけたことを謝るべきだった。それなのに、謝るどころかありがとうすら言わなかった。 ――まず謝ろう。 そして謝るなら、早い方がいい。 ガタン。私は立ち上がった。拍子に中身が波立ったカップを手に取り口をつける。紅茶はさほど熱くなく、私はそれを一気に飲み干した。 かんなちゃんと志乃ちゃん、二人を見ると、二人とも優しく微笑んでいる。私が今からどうするか、ちゃんとわかっているようだ。 「行ってらっしゃい、紫ちゃん」 カランコロン。扉を開けると優しいベルの音がした。 いい匂いのする店内は、木を基調にしたナチュラルな内装で統一されている。所々に置かれたグリーンと、さりげなくグラスに挿された、この間北条と運んだのとは色味が異なる小輪のヒマワリ。そして。 「いらっしゃいませ」 柔らかな口調で出迎えてくれたのは、北条にそっくりな、でも眼鏡をかけていない男の人。北条よりほんの僅か、目線が高い。 ――この人は多分、北条のお兄さん。 「ご予約は?」 「いえ……」 問いかけてきた彼の言葉に首を振る。 「北条、大海君は、ご在宅でしょうか」 男の人は、目を見開いて、それから北条によく似た笑顔を浮かべた。営業用の口調からくだけたそれに切り替わる。 「ヒロの友だち? ……ああ、ひょっとして君、『紫サン』?」 「……はい。申し遅れました、鷹月紫と言います」 「やっぱり。ヒロが良く話してくれてるから、すぐにわかったよ。 僕は北条大地、大海の兄です。いつも不肖の弟がお世話になってます」 ヒロなら部屋にいるから。呼んでくるから待っててね。 勧められた椅子に腰をかける気にはなれなかった。落ち着かない気分のまま、立って待つ。 扉の向こうから、階段を駆け下りる足音が聞こえてきて、私はゴクリと唾を飲み込んだ。 店に現れた北条は、私の姿を見つけると目を見張った。 「紫サン……どうしてここに?」 北条のお兄さんが悪戯っぽくウインクした。彼は私が来ていることを、北条には伝えていなかったらしい。 私は戸惑い顔の北条を真っ直ぐ見つめて、そして言った。 「話がある。ちょっと付き合って欲しい」 「……わかりました」 やや固い声を返した北条に、お兄さんが声をかける。 「ヒロ。今日は店の手伝いはいいから、ごゆっくり」 「うん。……紫サン、外でもいいですか?」 「構わない」 私は北条のお兄さんに頭を下げると、北条を追って店を出た。コンパスの長い彼の後を追うのに必死で、背中にかけられた『また来てね』の声には、応じることはできなかった。 |