無茶と怒りと先に立たない後悔 -下-



 


 殴り飛ばされた男が、頬を押さえてうずくまる。
 固まったままの私を、背後から伸びてきた手が抱き寄せた。いつの間にか馴染んだ感触、振り仰ぐとそこにはやはり、

「……北条……」



 息を切らした北条は、だが私が見たことのない顔をしていた。――ゾクリ。背筋が粟立つ。こんな北条を、私は知らない。
 彼は私の肩を抱き込むと、殴り飛ばした男を一瞥し、低く抑えた声で言う。

「このひとは、僕のです。それがわかったら、とっとと僕たちの前から消えてください」






 殴られた男が呻きながらふらふらと立ち去るのを、北条はずっと鋭い瞳で睨みつけていた。やがて男の姿が角の向こう側に消える。――助かった。安堵しかけて、大事なことを思い出す。

「そうだ、なのは……」
「下野に回収を頼みました。だから大丈夫です」

 どうして下野に、とか、考える余裕は今の私にはなかった。……良かった。それでようやく私は息を吐き出した。
 北条が気遣わしげにこちらを覗き込んでくる。



「大丈夫ですか?」
「……ああ」

 私は頷いた。北条がそれで少しホッとした顔になる。

「何が、あったんですか?」
「なのがあの男に絡まれてた。だから割って入った。でもしつこかったから、なのを逃がして私がアイツをなんとかしようと思って……」

 だが話しているうちに見る見る北条の顔つきが変わった。そして彼は私の言葉を遮って、大きな大きなため息をついた。それで私は思わず言葉の続きを飲み込んだ。

 自分を見つめる北条の目には、






「……あなたというひとは……」



 焦燥と、
 安堵と、
 それ以上の、怒り。






「どうしてこんな、無茶ばかりするんですか!」
「どうしてって……」
「いい加減、自覚してください! あなたは女なんです、誰が何て言おうと。だから無茶しないでくださいって、いつもいつも……!」



 ――どうして。
 どうして私が怒られなきゃいけないんだ?
 しかも『女だから』ってそんな理由で――



 『女だから』……何?

 ……私の中で、何かが切れた。






「じゃあどうしろと? あのままなのを見捨てろと? そんなの私に出来ると思うか!?」
「誰もそんなことは言ってません! 他にやりようがあったでしょう! あなたが反射的に飛び込んでいくよりも、もっといい方法が! あなたは自分を過信し過ぎて、他人に頼らなさすぎる!」

 叫ぶように言った私に、だが同じ調子で北条は返す。激昂する彼は珍しく、その勢いに思わず怯んだ。
 掴まれた両の手首が痛い。離そうともがいてもびくともしない。普段手を取るとき、ふざけて抱きしめるとき、北条がどれだけ加減していたのか知らされて、それが悔しくて腹が立って仕方がなかった。

「離せ!」
「離しません。あなたが自分で離したらいいでしょう。……なんとか、できるんでしょう?」

 言いながら北条は私との距離を詰めてくる。もがいてもあがいても逃げられない。男と女の、力の差。

 ――私は、女なんだ。そして北条は、男。

 わかりきっていた筈の、覆しようのない事実が、今の私には堪らなくこたえる。

 ――だからおとなしく守られてろって言うのか。私が女だから。でもそんなのって……!

 北条の顔が吐息のかかる距離にまで近づいた。本当は逃げ出したい、それが出来ないなら顔を背けたい。でもちっぽけな矜持がそれを許さない。男とか女とか、そんな理由で負けたくない。だから、北条の顔をキッと見返した。それしか出来なかった。

 セルフレームの向こう側、北条の瞳が切なげに揺れた。そして――






 ……ごめんなさい。

 謝罪の言葉が、聞こえた。



「僕は……ただ、あなたに、頼って欲しかったんです」






 帰りましょう。

 北条はそれだけ言って、呆気なく手を離した。そして私を待つことなく、ゆっくりと歩き出した。

 私は先を歩く背の高い頭を追いかける。
 北条は一度も振り返らなかった。それなのに私が歩調を緩めると、ごく自然にそれに合わせてくれる。



 ――ごめんなさい。

 その一言が、私の心を抉った。
 北条は全然悪くないのに。
 それを言うべきは私なのに。
 なのに謝ったのは北条で、私はまだ彼に何も言えていない。

 ……いつも私の隣に居てくれた北条の、背中にどう声をかければいいかわからなかったから。



『お前ひとりですべてを守れると思うな、お前はヒーローじゃないんだから』

 小鳥遊の言葉が甦る。そうだ私はヒーローなんかじゃない。なの一人守れなくて。結局北条に助けられて。

 私がもっと強ければ、あんな男に遅れをとらなかったのかな。
 そうしたら、北条にも迷惑をかけずにすんだのかな。

 ……もっと素直になれてたら、
 素直に北条に頼れていたら、
 北条にあんな顔させずにすんだのかな……。



 帰り着くまでの道程中、ずっと私は考えていた。
 だけど結局、答えは見つからなかった。

 私は、どうすれば良かったんだろう――


 
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