『タリナイコトバ3』 -零れた声が本心- |
……北条の様子が、どこかおかしい。 紫がそのことに気づいたのは早かった。いつもなら絶対に触れてくるタイミングで、大海が触れてこないから。部室でも図書室でも、帰り道でも。 自分は彼の過度なスキンシップに辟易している、紫はそう思っていた。だが触られないと逆に不安を覚えた。かと言って自分から触れることには躊躇いがあるし、……触ってくれだなんて絶対言えない。 ――そしてもう四日、彼に触れていない。 たった四日。それだけでこんなに不安になるなんて思ってもみなかった。 紫は大きなため息をつきながら部室の扉を開けた。 「ただいま……。あれ? 北条は?」 「会わなかった? 入れ違ったのかしら」 一人部室に残りノートパソコンに向かっていたかんなが、首を傾げながら応える。 ……北条、居ないのか。ため息をつきながら紫が椅子に座ると、パソコンを閉じたかんなが熱い紅茶を淹れて差し出してくれる。それを受け取って口をつけると、三度、ため息が零れた。 「……悩み事なら聞くわよ? 紫ちゃんが話せることなら、だけど」 ため息を聞き咎めたらしいかんなが問うてきて、紫は迷った。……こんなこと、人に聞くのはどうかと思う。だけど自己解決するのは多分、無理だ。 逡巡の末、紫は口を開いた。 「北条が、その……あんまり、触ってこなくなった」 目を見張るかんなに紫は赤くなる。親友でもやはりこういう話をするのは気恥ずかしい。 「……その理由に心当たりはあるの?」 問われて紫はさらに顔を赤らめた。……触れられなくなったのは、この間のデートの最後、自分が彼を拒絶した後からだ。理由は多分それだが、さすがにそれは言い難い。 「ある……けど、言えない」 「そう」 かんなは首を傾げた。それから、これはわたしの想像だから、と断った上で、再び口を開いた。 「間違ってたらごめんね。……ひょっとして紫ちゃん、北条君に迫られて、拒否した?」 「な……ななな何でそれを!?」 核心を射抜いた言葉に、紫は目に見えて狼狽した。お茶を含んでいたら間違いなく吹き出すか噎せていただろう。あまりの狼狽えっぷりに苦笑しながら、かんなは頷いた。 「やっぱり。それでわかったわ、北条君が紫ちゃんに触れない訳。 ……欲求不満なのよ、彼。でも触れてたら欲しくなっちゃうから、触れないの」 かんなの遠まわしな言い方でも、言いたいことはわかる。つまり、 「……それってやっぱり…………したいって、こと……だよね……?」 「たぶんね」 小さな声で聞いた紫に、かんなはいともあっさりと頷いた。予想を裏づけられて紫は耳まで赤くなる。……だけど私は、それは、 「……まだ……ヤダ……」 「じゃあそう言えばいいじゃない。ちゃんと解ってくれるわ、北条君なら」 「……そう……かな?」 「ええ。だって北条君だもの」 柔らかく諭すような声に、そう言えば、と紫は改めて考えた。 ちゃんと話をしていなかった。恥ずかしいから。照れくさいから。……でもきっと、そんなので後回しにしていい話ではないのだ。だって、二人のことだから。 「うん、わかった。……ちゃんと、話す」 それがいいわ。机に伏した紫の頭を柔らかく撫でて、それからかんなは離れていった。 優しく撫でる手は、大海の大きな手とは当然違う。……はあ。紫はため息に乗せて一緒に気持ちを吐き出した。 「……触って、欲しいなあ……」 ガッタン。派手な音がしたので紫は思わず顔を上げた。 「どうかした、かんなちゃん?」 「まさか紫ちゃんの口からそんな言葉が聞けるとは思わなくて……ちょっと動揺」 苦笑いした彼女に少し首を傾げたが、気にしないことにして紫は勢い良く立ち上がった。決断したら即行動、でないと決意が鈍る。 「……よし。北条を探してくる」 足早に部室を出て行った紫を見送って、それからかんなは独り言のように口にした。 「……だって北条君。あなたも愛されてるわね」 ガタン。再び大きな音がした。机の下に隠れて二人の会話を聞いていた大海は、真っ赤になった顔を手で覆って呻いた。 「紫サン……反則ですよ……」 紫に触れるのを我慢して四日。 彼女が戸惑っているのはすぐに気づいた。そして日に日に元気がなくなっていくのにも。 紫はどう思っているんだろう。聞きたくて、でも聞くのが怖くて、大海はかんなに紫の気持ちを聞き出してくれるよう頼んだのだ。 ……彼女はいつも、自分が思っているのとは少し違う、もっと嬉しくなるようなことを思ってくれている。 面と向かって言われなくて良かった。触ってほしい、なんて目の前で言われたら、自制が利かなくなりそうだ。だが―― 「紫ちゃん、『まだ』嫌なんだって」 「……みたいですね」 「でもそれって、『今』じゃなきゃいいってことじゃない」 かんなが微笑みながら言うのを聞いて、大海は目を見張り、次いで苦笑した。 「ちょっと拡大解釈過ぎませんか?」 「わたしはそうは思わないわよ? だってわたしたちは、『まだ』高校生なんだもの」 さ、紫ちゃんを追いかけてらっしゃい。かんなはそう言って大海を部室から追い出した。 |