『タリナイコトバ1』 -生々しい金言- |
両親は放任主義で、学力にも交友関係にも口を出されたことはない。自由に、そして自己責任で。それが我が家の教育方針だ。 ただ、高校の入学前、一度だけ母親に言われたことがある。 「セックスをするのは別に構わないけど、するなら『この人の子どもなら生んでも構わない』と思える人だけにしときなさいね」 ……高校に上がる前の男みたいな娘に、そんな生々しいことを言うな。 その時はそう思ったけれど、自分が生物学上雌であるのは変えようのない事実だし、セックスが快楽の目的や愛情を確かめ合う手段だと言う前に子を成す為の行為である以上、それもまた自己責任であるという、まさに、金言だった。 そして最近特にその言葉が頭をよぎる。その理由は、 ――北条の、存在だ。 季節は四月、新年度を迎えていた。 北条と出逢って一年、か。私はカレンダーを見ながらそんなことを考える。 あの頃の私は、恋愛になんて興味がなくて、まして誰かを好きになるとか有り得ないと思っていた。 だが北条と出逢い、彼がくれたたくさんの言葉と、示してくれた行動が私を変えた。 ――北条が好き。言葉にするのは気恥ずかしいけれど、今は素直にそう思える。 ピンポーン。チャイムが鳴った。……きっと北条だ。 出かける前に、姿見の前に立って自分の格好を確認する。北条とつき合うようになって、ワードローブに女の子らしい服が少し加わった。 今日は長袖のカジュアルなチェックシャツにデニムのミニスカート、そしてニーハイの靴下。ミリタリーテイストのジャケットを羽織り歩きやすいスニーカーを履くと、私はショルダーだけ持って玄関を出た。 休日のデートは、最後にどちらかの家に寄るのが常だ。 今日は帰る前に本屋に立ち寄ったので、そこから近い方の北条の家に来た。店の扉には『定休日』の看板が揺れていて、――そして家には誰もいなかった。 北条が何故か部屋に入るのを躊躇うので私は尋ねた。 「……入らないのか?」 「いえ……」 首を傾げながら私から部屋に入ると、後について来た北条は複雑な表情で微笑んだ。 鞄を机の上に起き、ソファー代わりのベッドに腰かけると、彼はいつものように私を抱き寄せることはしなかった。代わりに両手を広げて私を差し招く。 「……おいで」 優しく甘い声で呼ばれ、私は赤くなりながらも引き寄せられるように彼に近づいた。三歩、四歩、五歩目で距離がゼロになる。私の腕を掴まえた北条が、引き寄せて抱きしめたから。 至近距離で見つめられ、恥ずかしくて目を伏せる。すると私の唇に熱が触れた。それは良く知っている彼の唇のもの。 「……紫サン……」 「ん……」 いつものように優しい、けどどこかいつもと違う荒々しいキス。深さを増していくキスに、ドキドキ、ドキドキ。心臓は高鳴る一方だ。 キスはいつもより長かった。そして深くて激しかった。息が苦しくなって、頭がぼうっとしてきた。熱くて甘くて、溶けてしまいそうだ。 やがて頬から滑り落ちた北条の手が、……私の胸に触れた。 その瞬間、冷や水を浴びせられたように私は現実に引き戻された。 駄目だ。これ以上は、駄目だ。 ――私は北条を押しのけた。 「……紫サン?」 「ごめん……」 北条の顔が、見られない。 彼は気づいていた。誰もいない。邪魔は入らない。歯止めはかからない。だから、躊躇った。――躊躇うには、ちゃんと理由があるのに、私はそれを深く考えなかった。 俯いたまま顔を上げられない私の頭を、北条の手が優しく撫でた。 「謝るのは僕です。……ごめんなさい。あなたを怖がらせるつもりはなかった」 「ちが……」 違う。言いかけて私は止めた。何を言っても、北条を拒否したことに変わりはないから。 私は言葉の代わりに北条に抱きついた。怖くないから。嫌じゃないから。ちゃんと、好きだから。でもまだ今は……待って欲しい。 こういう時、何て言ったらいいんだろう。うまく言葉にできない自分がもどかしくて仕方なかった。 腰に回した手に力を込めると、北条が微笑んだ気配がした。そして躊躇いがちに抱きしめ返してくれる。 私は安堵のため息をついた。 ……だいすき。声に出さずにそう言うと、僕もです、やっぱり声に出さない声で返された。 ――だけどもう、北条からのキスはなかった。 |