教育実習生とストーカーと文芸部OB |
その日、クラス全体が浮き立っているように私は感じた。 「教育実習生が来るんだってー」 「男かな? 女かな?」 「どんなヤツだろねー」 ハッキリ言ってどうでもいい。私は教科書を机の中に放り込みながらそう思った。 本鈴が鳴った。同時に出席簿片手に小柄な若い女性教師が教室に入ってくる。生物担当、気っぷのいい姉御肌の2−A担任、逢坂三奈先生だ。 「はーいみんな席に着く! 今日から教育実習の先生が来るから、しっかり揉んであげるように」 遠慮のない物言いに教室内に爆笑が広がった。私はちょっと気の毒に思った。この空気の中で大丈夫なのか、その教育実習生。 だが声に続いて入ってきたその人物を見て、私はその存在を全否定したくなった。まさか……まさか、まさかな。 賑やかなクラスに臆せず教壇に上がったのは、まずまず整った顔立ちの、中肉中背の若い男だ。女生徒の一部からきゃあっと歓声が上がる。 彼は黒板にデカデカと何かを板書した。『小鳥遊陽』。その四文字に、私は嫌と言うほど見覚えがあった。……やっぱりか。思わず眉間に皺が寄る。 彼はこちらに向き直ると、ニカッと笑った。 「オレの名前、読める人は挙手!」 その言葉に、教室内にざわめきが満ちる。 「ことり……ゆうひ?」 「どこまで苗字でどこから名前?」 手はひとつも上がらない。彼は首を傾げてから教室内を見渡した。そして、 「んじゃそこの……君。オレの名前は?」 ――私を指名しやがった。あの確信犯め……! 私は全力で作り笑顔を形成すると、抑えた声で言った。 「たかなし……はる」 「大正解! でも『先生』をつけること!」 彼はそう言ってから、皆に向かって頭を下げた。 「と言うわけで小鳥遊です。短い間だけど、皆、よろしく!」 大好きな姉・真雪につきまとうストーカー。私の小鳥遊に対する評価はその一言で済む。 彼の名誉のためにもう少し正確に言えば、姉の同級生で、姉に対する一方的片思い歴十年という男である。出席番号が近いという利点を最大限に生かし、姉と隣の席になったり、一緒に日直をやったりと、事ある毎のアプローチを欠かさないにもかかわらず、その想いが報われたことはただの一度もないという、ある意味残念な奴でもある。 「で? なんでお前がここにいる?」 「久しぶりだなー紫。ずいぶん綺麗になったなー」 「そんなことは聞いてない!」 暫く見ないと思っていたら、遠方の大学に行っていたらしい。道理で平和だった訳だ。 「それで教育実習?」 「そろそろ真雪にも会いたくなってきたしなー」 「お前も相変わらずだな。どうせまゆ姉には相手にされないんだ、さっさと大学に帰れ」 「お前は変わったな」 小鳥遊の言葉に私は眉間に皺を寄せた。 「私は私だ、別に変わってない」 「いや。本当に綺麗になった。……ひょっとして、好きな男でもできたか?」 とんでもない言葉に、怒りより早く顔が赤くなった。それを見た小鳥遊が目を見開く。 「図星かー。うんうん。そりゃ女らしくなるはずだ。いやーしかしあの紫がなあ……」 「違う! そんなのはいない!」 「今度紹介してくれよ。未来の妹の彼氏だからな、しっかりオレが吟味してやる」 「誰が未来の妹だ!」 「お前だよ。じゃ、真雪によろしく。オレが帰ってきたこと、しっかりアピールしとけよな!」 言いたいことを言いたいだけ言って、小鳥遊は手を振って立ち去った。くそ。言い逃げかよ。 私は舌打ちをすると踵を返した。 まあいい。あの忌々しい男がいるのはせいぜい二週間だ。クラス担当なのはいただけないが、授業数は少ない。接点を持たず関わらなければいいだけだ。無視無視無視! 「……だからなんでお前がここにいる!?」 「だって教育実習生は部活も受け持たなきゃいけないし? ……それよりオレは先生なんだから、ちゃんと敬意を払うように」 当然のように部室にいる小鳥遊を見つけて私は叫んだ。対する小鳥遊の返事はそれで、私は額に青筋を浮かべた。 私の剣幕に驚いたかんなちゃんが問うてくる。 「紫ちゃん……小鳥遊先生と知り合いなの?」 「ただの姉の同級生だ。……で? どうしてここにいやがるんですか小鳥遊先生?」 「鷹月。敬語がおかしいぞ」 苦笑しながら小鳥遊は言う。 「オレ、前の文芸部の最後のひとりだったから。思い入れは強かったんだけど、部員が集まらなくて、結局廃部になっちまって……みんなで作り直してくれたんだってな。ありがとう」 小鳥遊の目は部紙のバックナンバーをなぞっている。私はため息をついた。彼の高校時代の、姉へのウザ過ぎるラブレター攻勢の原点をここに見た気がした。 ガチャリ。扉が開いて志乃ちゃんとなの、北条が揃ってやってきた。見知らぬ男がそこにいることに、三人ともさすがに驚いているようだ。 そんな三人に、かんなちゃんは柔らかい笑顔で言った。 「教育実習期間中、こちらの小鳥遊先生が文芸部を見てくださることになりました」 「小鳥遊陽です。一応、文芸部のOBだから。なんでも聞いてねー」 かんなちゃんの紹介を受けて、気さくな笑顔で小鳥遊は皆に挨拶する。それを冷めた目で見遣りながら、私は彼の存在が心中をかき回すのを感じた。 ――何かが、変わりそうな予感がした。 |