変化のその先を



 


 ふと思い至って、格技場へと足を向けた。



変化のその先を



 入口で靴を脱ぎ階を上がる。場内に入る前に頭を下げるのは、叩き込まれ習慣づいた作法だ。
 昼休憩、さすがに誰もいないかと思ったが、柔道部が使う畳の上に寝転がる人影がいた。がっちりした体躯、短く刈り込まれた頭は良く知っている人物のものだ。



「神聖な格技場で昼寝とはいただけないな、安藤」

 そう声をかけると、彼は片目を開けて私を見た。

「……鷹月か。珍しいな、お前がここに来るのは」
「ちょっと気分転換に、な」

 言いながら私は靴下を脱いでポケットに突っ込んだ。

「安藤、竹刀貸してくれ」
「そこにある。好きに使え」

 安藤は起き上がることなく倉庫を指した。
 扉のない倉庫の入口脇、大きなボックスの中に、たくさんの竹刀が無造作に突っ込んである。授業などで使う共用のものだ。
 引っ張り出して、すぐにしまう。重すぎる竹刀は私の手に合わないのだ。出してしまってを繰り返し、六本目に出した竹刀がしっくりきたので振ってみる。……これでいいか。

 左手の、中指、薬指、小指。三本で竹刀を持つ。右手は添えるだけ。構えると、背筋がピインと伸びた。心地良い、この感触。
 久しぶりなので最初はゆっくり、だがすぐに体が思い出す。一回一回、丁寧に。基本の所作をなぞることで無心になれた。

 そうして何度、竹刀を振るっただろうか。



「……その辺で止めておけ」

 横合いから声がかかって、私は素振りの手を止めた。

「何故?」
「久しぶりなんだろう? それに自分の竹刀でない。合わないもので無茶をすると、後に響く」
「……そうか。そうだな」

 眠っているとばかり思っていたが、安藤は横になったままこちらを見ていたらしい。続く言葉ではっきりわかった。

「しかし相変わらず綺麗な構えだな」
「そうか?」
「またお前と手合わせしてみたいものだ」



 中学時代、共に汗を流した仲間だ。女子の剣道部員は少なかったから、安藤とは良く手合わせをした。
 だが高校に入り道を違えた。自分は文芸部へ、安藤は剣道を続け、地区では負けなしの剣士になったと聞く。



「止めておく。今の私は雑念だらけだ。きっと弱い」
「……そうか」

 少し残念そうに、安藤は笑った。

「だが最初よりすっきりした顔をしている。気が晴れるなら、また来ると良い」
「そうさせてもらう。……すまなかったな、邪魔をして」
「構わん」






 場内を出る前に一礼して、階に腰掛けて靴下を履いた。建物の外に出て、振り返る。
 ……雑念だらけ。自分で言った言葉に笑いが起こった。

 中学の頃は無心に剣道に打ち込んでいた。ただそれが楽しくて、強くなるのが嬉しかった。
 だが今は、毎日が変化に富んでいて。その分考え惑わされ、悩んで、雑念にとらわれて、時に弱気な自分に腹が立つ。それなのに。
 ……それが嫌だとは思わない自分がいるのも、確かだった。

 変わることが怖かった。それは今でも変わらない。
 でも今は、変化のその先を見てみたい。そんな思いが、少しだけ芽生えた。

 それはきっと、彼のおかげだ。



 渡り廊下に、見慣れた背の高い姿を見つけた私は、歩みを早めながら彼の名を呼んだ。






「……北条!」


 
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