もつれた感情と告白と真摯な瞳



 


 わからない。わからない。どうしたらいいのかわからない。
 自分の感情の筈なのに、もつれにもつれてしまって、解き方がわからない。

 部室から逃げ出した私は、第二図書室の書架と書架の間で小さくなった。
 ――そう。逃げ出した。北条から。自分の気持ちから。

 手を振り払った時の北条は、驚いた、そして傷ついたような顔をしていた。違う。あんな顔させるつもりはなかった。もう嫌だ。こんな私。






 締め切った窓の向こうから、遠く吹奏楽部の金管の音が聞こえてくる。思考の合間に耳が拾った音を連ねると、聞き覚えのあるメロディーになった。
 ……なんだっけ。ああ、昔流行った応援ソングだ。
 考えるのを放棄して、メロディーをなぞることに集中する。負けないで。確か歌詞の中にそんなフレーズがあったなと、ぼんやり考えていた時。

 ガチャリ。吹奏楽の通し演奏の中に、全く違う金属音が混じった。
 そして、足音。

 ――私の緊張は否が応にも高まった。






「……紫サン。居るのはわかってますから、おとなしく出てきてください」



 予想通りの声が聞こえてきて、私は体を小さくする。どうして私がこんな、逃げたりしなきゃ。でも今、彼に対峙する勇気はもっとない。立てた膝に顔をうずめて座り直す。とても顔は上げられない。
 ――頼むから私を見つけてくれるな。ちっとも楽しくないかくれんぼをしている気分に陥った。

 聞こえよがしのため息。そして近づく足音。






「紫サン、見ーつけた」



 そして、――あっと言う間にかくれんぼは終了した。

 顔を上げない私の前に、北条が跪く。
 そこは彼が手を伸ばしてもギリギリ届かない距離、だが彼はそれ以上近づこうとも声をかけようともしない。

 長い長い沈黙の後、私は結局顔を上げられないまま、ポツリと言った。



「…………ごめん」
「それは何に対しての『ごめん』ですか?」
「……わからない」

 正直に答えると、北条が苦笑した。
 そしてそれきり、また沈黙が落ちる。



 次に沈黙を破ったのは、北条の方だった。






「……ねえ紫サン。僕、間違ってました」



 予想外の言葉に、私は目線だけを上げた。北条は一体何を言い出すのだろう。何が、間違っていたと言うのだろう。



「一度言ったことを、忘れてくれと言ったことです」

 何を、とは言われなかった。だがそれでも意味は伝わった。耳まで一気に熱くなる。

「口にした事柄には責任が伴う筈なのに、僕は責任ごと無かったことにしようとした。そんなのおかしいのに。……だから、やり直すことにしました」

 北条の顔から目が離せない。恥ずかしいのに、逸らせない。
 北条も私の目を見つめる。セルフレームの向こう側から、まっすぐに。






「――鷹月紫さん。僕は、あなたのことが、大好きです」






 視線と同じように、まっすぐな言葉だった。

 もつれてこんがらがっていた感情が、その言葉に引かれるようにするりとほどけた。その先に繋がっていたのは。

 ……最初からわかってた筈なのに、どうしてこう、ややこしくなってしまったんだろうな。
 自嘲して、そして私はしっかり顔を上げた。



「――北条。お前はあの時私に言ったよな。答えは求めないって。私は答えをもっていないだろうから、って」
「はい」
「その通りだ。答えは持っていない。だから今、お前に答えは返せない」
「はい。わかっています。答えは、今はいりません。その代わり、お願いがあります」

 真摯な瞳で見つめられて、私は息を飲む。――呑まれそうで、吸い込まれてしまいそうで。



「紫サン。初めて会った時から、僕はずっとあなたのことが好きでした。だから今までの僕と今の僕、何ら変わりはないんです。僕の告白で何かが変わったとすれば……それはあなたが僕の気持ちを知ったこと、それだけです。
いつか、あなたが答えを見つけたその時に、今日の返事を聞かせてください。……だからどうかそれまでは、今まで通りでいさせてください」






もつれた感情と告白と真摯な瞳



 ――北条は。

 押しが強くて。強引で。訳がわからなくて。それなのに優しくて。そして無理強いしない。
 今まで一方的に恋愛を押し付けにきていた奴等とは違う。ずっと私の傍にいて、そしていつの間にか私の中にいた。
 北条みたいな男を、私は知らない。

 嫌いでないのは確かだ。ただ、私が彼に抱く感情がどういった類のものなのか――親愛か、友愛か、情愛か、それとも――恋愛か、それがまだ、わからない。

 北条は、今は答えはいらないと、私が答えを出すまで待つと、そう言ってくれた。
 彼のその言葉に甘えてしまおう。ちゃんと、自分の気持ちと向き合おう。そしてちゃんと、答えを出そう。



「……わかった」

 私は頷いた。

 返事を聞いてほっとした表情を浮かべた北条が、控えめに手を差し伸べてきた。
 その手を取って、私は立ち上がった。


 
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