効き過ぎたクスリの中和剤



 


 ――あんな泣きそうな顔、初めて見た。

 手を振り払った紫は、振り払われた自分の顔を見て、傷ついた筈の自分よりもっと傷ついたような顔をした。
 その顔に、束の間、目を奪われた。
 そして我に返った時には、紫は既に部屋を飛び出していくところだった。



 バタバタという足音が図書室に消えるのを確認して、大海は安堵混じりのため息をついた。
 以前、怪我をした彼女が逃げ込んだのは自分が知らない半地下で、捜すのに苦労したのは記憶に新しい。隣の部屋ならまだ問題ない。

 それよりも問題はこの部屋にある、と大海は思った。かんな。志乃。なの。三人の視線が痛い。
 ――詮索される前に逃げよう。大海はごく自然な素振りで部屋の入口へと向かった。

「……僕、紫サン追いかけてきます」
「待ちなさい」

 かんなの声は柔らかく、それでいて鋭く大海を止めた。逃亡失敗。大海はしぶしぶ三人に向き直った。



「ええと……何でしょう?」
「何でしょう、じゃなーい! 北条くん、紫センパイに何したの!?」
「洗いざらい吐いちゃいな。アタシたちも鬼じゃないから」
「嘘偽りなく仰いね」

 噛みつくなの、自分を冷たく一瞥する志乃。そして笑顔がやけに怖いかんな。

 …………大海はすべてを打ち明けることにした。






「あらまあ。それじゃあ北条君は、まだ紫ちゃんに『好き』って言ってなかったの?」
「ええまあ……まだ早いと思ってたんです」
「あれだけ押しまくってたのに?」
「だって佐伯先輩、相手は紫サンですよ?」
「北条くんって、実は結構ヘタレ……」
「……吉野。怒るよ?」

 すっかりふてくされた大海が八つ当たり気味にそう言ったので、なのは不承不承口を噤んだ。

 渡り廊下の一件を告げて、返ってきた反応は三者三様のそれだった。
 ああ、胃が痛くなりそうだ。大海は無意識に胸を押さえる。早く紫を追いかけたいのに、それを許してくれそうな雰囲気は、ない。

 顎に人差し指を当てて首を傾げていたかんなが、そのままのポーズで口を開いた。



「ねえ。北条君はなんで、忘れてくれなんて言ったの?」
「アタシもそれは思った。どうして言っちゃったことをなかったことにしたの?」
「それは……まだ紫サンが答えを見つけていないから、もうちょっと時期を見て、改めて告白しようと思ったんです」

 先輩二人の問いかけに大海は答えた。もうこの際だからぶっちゃけてしまおう。
 だが、その言葉に志乃が肩を竦める。



「だからって、紫ちゃんは綺麗さっぱり忘れちゃう人じゃないよ? むしろ逆効果」
「恋愛音痴な紫ちゃんにはクスリが効き過ぎたみたいね。忘れてくれって言ったから、逆に余計に意識しちゃってるもの」

 容赦のない論評に、大海は思わず唇を噛んだ。
 やっぱりまだ早かったんだろうか。……あの時、彼女の口ではなく耳を塞いでおくべきだったんだろうか。

 立ち尽くし考え込んでしまった大海の背中が、バチーンと良い勢いで叩かれた。さすがによろめいた彼が振り返って見たのは、腰に手を当てふんぞり返ったなのの姿。






「らしくないなあ、北条大海! もう全然らしくない!
言っちゃったものは仕方ないでしょ! だったらどうしてこれを機会に押しまくらないの!」



 大海は目を見開いた。

 らしくない。確かに、自分らしくない気がした。
 後悔した。ならどうしてあの時、彼女に聞こえるところで、好きだなんて口にしたんだろう。
 ――もうそろそろ、自分の気持ちが抑えられなくなったからだ。だから聞こえてもいいと思って、そう言った。
 それなのに、紫が自分を避けるかもと思うと怖くなって、後ろ向きな考えで自分の言葉を否定した。
 結果は――

 大海は笑った。笑うしかなかった。ああ。どうにもこうにも愚かだな、僕は。



「ねえ吉野……僕と紫センパイとの仲、反対なんじゃなかったの?」
「あたしは紫センパイが笑ってればいいの。それなのにあんな顔させるなんて、よっぽど罪なんだからね!」

 ふくれっ面のなのの頭を、志乃が乱雑に、かんなが優しく撫でてやる。

「今回ばかりはアタシもなのちゃんに同意」
「わたしたちは、紫ちゃんの味方だから。紫ちゃんが幸せになるような道を応援するの。
あなたはとっても良い子で、とっても紫ちゃんのことを想ってくれてるのは知ってるけど、……北条君」

 かんなは笑った。満面の笑顔で。



「もし紫ちゃんを傷つけるようなことがあれば、その時は容赦しないから」
「アタシたち三人を敵に回すと思いなさい」
「異議なし!」






効き過ぎたクスリの中和剤



 彼女たちの優しさは、とてもわかりにくい。
 だけどそれでも彼女たちは、自分の恋を応援してくれているらしい。否、紫の恋を、と言うべきか。

 今はそれでも構わない。大海は三人に頭を下げて、紫を追うために部室を飛び出した。


 
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