彼にエールを…




【彼にエールを…】





佐伯志乃、小出高校二年生。文芸部所属の只今スランプ中の平凡な女子だ。

「志乃ちゃーん、締切明日だよ。空中見てる場合じゃないよ。」

私の視線の先に長い指がヒラヒラと動く。紫ちゃんの手だ。
私は眉間に皺を入れながらそのまま紫ちゃんへ視線を上げる。今日も綺麗なキューティクルが天使の輪を作っていた。

「そんな顔してもダーメ。」
「分かってるんだけど、膨らまないんだもん。」
「それじゃあ、一息入れましょうか。」

部長であるかんなちゃんは丁度担当の部紙を書き上げたようで、ノートパソコンの画面を閉じる。それと同時にかんなちゃんの隣から元気な声が上がった。

「やったー!出来ましたー!」

両手を天井へと上げ、満ちあふれた笑顔を見せたのは先日入部をした一年後輩のなのちゃんだった。
初めての部紙を完成させることが出来てとても嬉しそうだ。きらきらと空気が煌めいて眩しくて堪らない。

「……若いっていいね。眩しいわぁ。」

ほうっと溜息が出てしまう。すると賺さず紫ちゃんに諫められた。

「こら、貴女が言うんかい?」
「私たちとなのちゃんは一つしか変わらないのよ。」

クスクス笑うかんなちゃんの向こうからハーブの優しい香りが鼻を擽った。
鼻腔一杯にその香りを吸い込む。
そして私はゆっくりと目を閉じた。





「……と、そう言えばひー君は頑張ってる?」

ティーポットにティーコゼーを被せたかんなちゃんが思い出したように私に問うた。

「あ、そうだったね。ひー君の調子はどう?」

紫ちゃんもその問いに重ねて尋ねて来た。私は彼の姿を頭に思い出しながら答える。

「んー、結構頑張ってるみたいよ、見てる限り。帰りも遅いみたいだし……。」
「へー、頑張ってるね、ひー君。」
「ひー君によろしくね。」
「うん、伝えとくー。」

と、私が二人にそう話をし終わった時だった。
ガタン、と大きな音を立ててマウスが机の上から床へと滑り落ちた。
そのマウスを慌てて拾うのはなのちゃんの姿だ。何だかあたふたしている。
さっきの満面の笑みはもう消えてしまっていた。

「どうしたの、なのちゃん?調子悪くなった?顔色が急に……。」
「な、何でもないんです!何でもないんです、本当に……。」

彼女が何かを誤魔化そうと必死になっているしか私には見えなかった。

「あ、ひー君さ、」

そんなかんなちゃんの一言になのちゃんは強張るように肩を思い切り揺らした。それは誰もが見ても一目瞭然だ。
しかし私には思い当たる節がなく首を捻るしかない。





「来年は是非とも文芸部へって併せて伝えておいてね。」
「……へっ?」

間の抜けたなのちゃんの声が細く擦り抜けてゆく。

「どうかなぁ、秀人は野球馬鹿だから補欠でも一層のことマネージャーでも野球部に行く気がするわぁ。」

私は野球馬鹿の自分の弟を嘲笑う。

「あ、えっと……ひー君って……。」
「ああ、志乃ちゃんの弟だよ、二個下の。来年小出高校受けたいんだって。」

紫ちゃんの説明にただただポカーンとするなのちゃん。
私にはその理由は今は未だ知らない。

ただ、心の中で弟にエールを送るだけ……。





おわり(笑)





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