聞こえないから告げる言葉 |
――ああ。ヤバいな。 私は眉をしかめた。クラクラする。 睡眠不足とか、ちょっと体調不良とか、それに女の子の日とか、いろんなことが重なって、何かもう……ヤバい。 今日は早めにやることをやって帰ろう。私は本棚に向かって手を伸ばした。高い位置の本を取ろうと上向いて――グラリ、 「紫サン!?」 ――北条の声が、遠くに聞こえた。 大海は大きな息を吐いた。……ギリギリで間に合った。 紫が、到底届きそうもない高い所の本を取ろうとしていた。そういうとき、彼女から大海に頼ろうとしないのはいつものことで、いつものように自分が取りますと言いかけた時だった。 紫の身体が、不自然に揺れた。 ――倒れる―― 咄嗟にそう思った大海は目一杯腕を伸ばした。そこに紫が倒れ込んできた。そのまま彼女を引き寄せ抱き留める。……あとちょっと遠かったら届かなかった。 「……紫サン?」 返事はない。気を失っているらしい。 大海は唇を噛んだ。紫の顔色が悪いことには気づいていたのだ。彼女がいつもに輪をかけて不機嫌なことにも。だから調子が良くないのだろうと思ってはいたが、大海は取り立てて彼女を問い詰めることはしなかった。 聞いたところではぐらかされるか、怒ったふりをして誤魔化されるか。どちらにせよちゃんと答えてくれなかっただろうけど……それでもちゃんと聞いていたら良かった。 大海は紫の顔にかかった髪をそっと払った。そして力ない彼女に負担をかけないように気を配りながら抱き上げると、一番近い長椅子に横たえた。 さてこれからどうしようか、誰か呼びに行くべきだろうか。枕元で彼女の様子を窺いながら思案していた時、 ――ピクリと、紫の瞼が震えた。 「……ん……」 「紫サン?」 大海が柔らかく彼女の名を呼ぶと、彼女はゆっくりと目を開けた。 「ほう……じょう……?」 「あなたは本を取ろうとして倒れたんです。覚えていますか?」 どこか焦点の合わない瞳のまま、紫はかろうじて頷く。大海はため息をついた。 「調子が悪かったんでしょう? ……お願いだから無理はしないでくださいね」 そう言うと紫は僅かに目を見開いた。 「どうして……」 「わかりますよ。あなたのことだから」 額に手を遣る。幸い熱はないようで、そのまま優しく髪を梳くと、紫は再び目を閉じた。気持ち良い。声に出さず唇だけがそう動いた。 「ちょ……と……寝る……」 「はい。おやすみなさい」 そのまま髪を梳いていると、程なく紫から寝息が漏れた。それでも離れがたく、大海はしばらく紫の髪を梳いていた。 寝顔は意外な程あどけない。眠る前の素直な反応といい、今日はまた彼女の新たな一面を知ることができた。 「……やっぱり、可愛いな」 面と向かって言うと全力で怒られる台詞も、きっと今の紫には届いていない。 ちょっとだけ、欲張ってもいいだろうか。 「紫サン……紫サン、大好きです」 本人に告げたくて堪らない、だけど告げるにはまだ早い言葉を、眠る彼女に囁いた。 今告白したら、きっと彼女は戸惑って、――そして距離を置こうとするだろう。 せっかく彼女の一番近くに居るんだから。 焦らない。焦らない。大海は自分に言い聞かせる。でも。 「……大好き、です」 もう一度だけ呟いて、大海は立ち上がった。これ以上傍に居ると、弱り目の彼女につけ込みそうになってしまうから。 斜向かいの椅子に腰掛けて本を開く。 静かな図書室、聞こえるのは、控えめな寝息だけ―― |