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それぞれの夏

ミネラルタウンの夏は春の穏やかな気候とは全く違い、ピートとクレアが想像したよりもずっとずっと暑く厳しい夏となりました。それでも二人は順調に牧場生活を送ったし、春の終わりから始まった同居生活も問題なくうまくやりました。
ある日、ピートは作物の種を調達するため一人で町へ出向きました。彼は暑い日差しの中、なるべく日陰を通るように歩きました。それでも暑い空気が彼を取り巻いていたので、暑い、暑いとぼやかずにはいられず、ピートは自分がはいたその言葉すらも暑さによってじゅっと音を立てながら消えていくような気がしました。
「夏は暑いからいいんだよ。もしこの町が避暑地だったらおれは来ねーよ」
ふとピートの前に現れたのは夏の間だけミネラルタウンを訪れ、いろいろと町を盛り上げ騒がせるカイでした。ピートは「なんだ、カイか」と言って、少し足を止めましたがすぐにまた歩き出しました。二人はこの夏知り合ったばかりでしたが、妙に気が合いあっという間に仲が良くなりました。ピートはもともと口数が少ない方でしたが、カイの前では他の人と話すよりもたくさん自分のことを喋りました。
「残暑が厳しいけどさ、もう夏も終わりだぜ。花火大会が終わったらあっという間に秋が来る。寂しくなるよ。ピートもさみしいだろ、話相手のおれがいなくなるとさ」
自分を邪険に扱うピートに、カイはわざと甘えるようにそう言いました。そんなカイを見てピートは返事をすることなく道のわきの木陰に腰掛け、仕事の合間ではあったがカイと少しだけ話をすることにしました。それにはカイも満足そうに笑うとピートに続きました。
カイのいう通り、つい最近始まったばかりと思われた夏はすでに終わりが近づいていました。暑い日は連日続いていて、まだまだ夏真っ盛りに感じられましたが、この町の人たちは夏の最後に花火を楽しむ習慣がありました。そしてその花火大会はもう目前に迫っていたのです。
「お前はだれと花火見んの?やっぱクレアちゃん?」
「クレアと?クレアはドクターと見たいんじゃないかな」
カイはピートとクレアのことを冷やかすことが好きでした。彼からすれば、男と女が同居するなど普通では考えられないことで、二人に何か起こることをいつも期待していました。そしてこの夏ロマンチックな花火を二人でみることで、ようやく期待していた何かが起こるだろうと予想していたのです。ところが、カイはピートの言葉に非常に驚かされました。ピートの返答はあまりにカイの期待を裏切るものであったし、想像もしないことだったからです。つまりカイはクレアがドクターに想いを寄せていることを知りませんでした。
「お前らって本当にただの同居人なのか。それよりクレアちゃんてドクターがすきなの!」
「クレアのドクターへの態度を見たら気付くだろ。ドクターの前だとすぐ真っ赤になっちゃうからさ」
それから二人は少しだけ黙りました。先に口を開いたのはカイで「言いにくいけどさ」と彼には珍しく真面目腐った態度で言いました。
「ドクターは無理なんじゃないかな。クレアちゃんはエリィの存在知らないの?」
ピートはカイの方をちらりと見て「やっぱり、あの二人って」と訊ねました。
「たぶんね。町公認の仲だし、結婚するんだと思うよ」
カイは苦い顔をしながら頭を掻いていました。しかしピートは特に驚きませんでした。ドクターとエリィの二人を見ていたら、なんとなくそうだろうと思っていたし、むしろ驚かない自分に対して「自分はエリィに惚れていたわけではなかったんだな」と驚きました。
「クレアは気付いているのかな」
ピートは木陰の下から、空を見上げながら言いました。葉の間からまぶしい日差しが二人に刺さったのでピートはそれに目を細めて、視線を地面に戻しましたが、細めた目は元には戻りませんでした。ピートはこの時初めてがっかりしている自分に気が付きました。それはクレアのことを思うと、そうならずにもいられなかったのです。
「ピート、お前からうまくいってやれよ。クレアちゃん知らなかったらかわいそうじゃん。おれなら知らない所で誰かに同情されながら片思いなんてしたくねーよ。クレアちゃん可愛いし、もっといい奴いるだろうし。なんならおれがクレアちゃん誘ってあげようか」
カイは最後の方はふざけながら、ピートの肩を軽く叩きながら笑いました。
「おまえはポプリと約束してるだろ。クレアとポプリの仲がこじれたらどうすんだよ」
「それはまずい。けどさ、お前クレアちゃんのことどう思ってんの」
カイがピートにそう言うと、町に正午を知らせる鐘の音が鳴り響きました。するとピートは「もう行く」とだけ残しそそくさとその場を去りましたが、彼はそのあとも一日中このカイの問い掛けについて考えずにはいられませんでした。実はピートもここのところ、自分のクレアに対する見方が変わってきているように感じていたからです。
この夏は色々なことがありました。
まずは夏のはじめに大型の台風が町にやってきたことで、畑が悉くだめになりました。海開きではカイがぶっちぎりの一位でゴールし、ピートはほぼ真ん中の順位でゴール。一体何番目だったのかもよく分からないというむなしい結果に終わりました。またトマト祭りではカーターをスケットにしたことに問題があったのかなかったのか、お花牧場チームは試合開始直後にトマトまみれになって一回戦で敗退しました。そして鶏祭り(これはピートが最も力をいれた行事でもありました)は順調に勝ち進みましたが、決勝で敗れ惜しくも二位という結果になり、ピートは涙を飲みました。これら夏の思い出はどれも良いことではありませんでした。しかしそんな落ち込むピートの隣ではいつも彼を明るく励ますクレアの姿がありました。もちろん夏の初の収穫物として真っ赤に染まったトマトがたくさん実ったとき、またカイの店でおいしいものをごちそうしてもらったときは、笑うピートのとなりには同じく笑顔のクレアがいました。
二人は春の終わりから同居することになり、前よりも更に一緒にいる時間が増えました。最初はピートもクレアもお互いのことを何も意識してはいませんでしたが、ピートは自分がクレアに何か特別な感情を持ち始めているように感じていました。楽しいときも悲しいときもいつも隣にクレアがいることがだんだんと当たり前のことになって、これからもずっとそうだといいのにと思うこともありました。しかしクレアはドクターのことが好きで、でもドクターはエリィのことが好きだというではありませんか。その事実を彼女が知ったらどうだろう、ピートはクレアの悲しむ姿は見たくないと思いました。だからクレアにドクターとエリィのことを話すことなど彼には出来そうにありませんでした。
明くる日、ピートはカイに会いにいきました。カイが町を出て行ってしまうまえに、自分がクレアをどう思っているか話したいと思ったからです。カイに言うことで、自分自身と向き合える気がしました。
ピートがカイの店を訪れると、カイはトレードマークのバンダナを頭に巻いていない状態で浜辺でとうもろこしの皮をむいていました。ピートに気付くと、彼は人懐っこく笑い、冷たい飲み物を用意してくれました。
「カイ、この前のことだけど」
「この前のこと?」
「クレアのことどう思うかってやつ。おれさ、たぶんクレアのこと……」
カイは頬杖をつきながら一通り話をきくと大きくため息をついて、手に持っていたバンダナを頭に巻きました。その手つきは妙に力がこもっているように見えました。
「つまり、クレアちゃんがすきだから悲しむところは見たくないってか」
「まぁそんな感じかな。好きかわかんないけどさ、ただ大事っていうか」
「その気持ちもわからなくないけど、本当のこと知りたいって思うやつもいるんだよ」
カイは神妙な顔つきで言い、ピートはわかってるよ、と口をとがらせて言いました。
「でもおれは言わない。クレアがドクターを好きなことには変わりはないんだから。言ったらクレアの恋に水を指すことになる。でも、花火は誘う」
「とんだ自己矛盾野郎だな。でもがんばれ、おれは応援するよ、お前のこと」
カイは口角を片方だけあげる彼特有の笑顔を見せると、ピートの背を思い切りたたきました。
カイの後押しがあってかどうか、後日ピートはクレアを誘い、二人で夏の最後の目玉イベントである花火を見にいくことになりました。ピートはクレアへの見方を変えてから初めて二人で出掛けるということで少し緊張していましたが、とても楽しみにしていました。しかし当日、花火に行く途中、二人はドクターとエリィが共に花火をみるために歩いていく姿を見てしまいました。ドクターとエリィは普段の事務的な雰囲気とは丸っきり違い、誰からみても恋人同士のようでした。ピートは「驚いたね」とクレアに言いましたが、彼女からは何の返事もありませんでした。ただ、クレアの顔が少しだけ翳ったように見えたピートはぐっと胸が痛んで耐えきれず、半ば強引にクレアの手を取りミネラルビーチまで駆けだしました。
ピートもクレアもただただ走りましたが、二人は訳もなくだんだんと笑いだしました。浜辺につくころには二人は息を切らせて、ピートは砂の上に倒れこみ、クレアは膝に手をついて体を支えました。二人はその間も笑っていましたが、しばらくして二人の呼吸が整うと笑いも収まってきて、クレアはピートの横に腰をおろして言いました。
「もう!ピートって強引だー!あんな風に走らせなくても、わたしドクターのこともう好きじゃないのよ。さっきはあんな顔しちゃったけどさ」
ピートは起き上がってクレアの方を少しだけ見ましたが、すぐにまた寝転がりました。クレアの顔を見れば彼女が嘘を言っているのがピートにはすぐに分かりました。
「クレアは知ってたの。ドクターとエリィのこと」
「知らないも何も、二人を見ていればねぇ。片思いでもいいって思ってたんだけど、やっぱりつらいじゃない。それにあなたにまで気を使わせちゃってるみたいだし!」
静かな浜辺には二人の声がよく響きました。ピートを安心させるためか、クレアは無理に明るくふるまっているようでした。しかしときどき覗かせる彼女の悲しい表情にピートは耐えられませんでした。
「クレアに気を使ってるとか、そんなんじゃない。おれはクレアのそんな顔見たくないだけなんだ」
そう言ったピートの顔は歪みました。このときピートはクレアの気持ちはまだドクターに向いていること、そして自分はそれでもクレアが好きなのだということを確信しました。そして同様にクレアは、自分の気持ちとピートの自分への気持ちに気が付きました。
「なーに、それ。いつも一緒なんだから、どんな顔も見慣れてほしいよ」
「うん」
「いつもありがとね」
「それはこっちの台詞だな」
クレアは小さく笑いました。つられてピートも小さく笑いました。二人は目を合わせることもなく、砂浜の上で投げ出されていたお互いの手に触れて、やがてどちらかともなく、しっかりと手を握りました。
それからすぐに二人の目の前に大きな花火が上がりました。それがあまりに美しかったので、二人のややこしい思考回路は停止して、ただ目の前の美しい花火で頭はいっぱいになりました。でも花火が打ち上げられている間、二人はずっと手を握ったままでした。
それから数日後、カイがミネラルタウンを去る日がやってきました。カイが牧場に挨拶に訪れると、ピートとカイは固く握手を交わし、「また来年」とただそれだけ言いました。
ピートはこの夏、カイと仲良くなって色々なことを知りました。
ひとつは、自分は意外とよく喋る人間なのかもしれないということ。
ふたつめは、誰にも聞けなかったドクターとエリィの関係。
みっつめは、自分の本当の気持ち。
そして中でもピートが知って驚いのは、カイは町の男たちが言う悪い奴では決してなかったということでした。
こうしてミネラルタウンの夏は静かに終わっていきました。