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足跡を残すように

それはあまりに急なことでした。
お花の牧場一同は帰路についていました。手土産はすべて配り終えたのですが、帰りは行きよりも大荷物でした。それに先ほどまではピート、クレア、Pの二人と一頭でいたが、今は二頭に増えていたのです。
ピートとクレアはヨーデル牧場で見た、あの仔馬を譲り受けることになったのでした。
先ほどまではあんなにはしゃいでいたのに、今は二人とも浮かない表情をしていました。
「おお、二人とも。今帰りかね」
一同が牧場の前に着くと、ちょうど町長が通りかかりました。
「仔馬をもらったのかい?ムギさんが困っていたのをしっているよ。あの仔馬はなかなか譲り手がないらしく、この辺りの町を色々回っているようだったからね。きみたちもよかったんじゃないか、仔馬といえど買うと高いだろう」
「ええ、まぁ」
クレアは浮かない顔で返事をしました。それを怪訝に思ったのか、町長は眉をひそめました。
「嬉しくないのかい?」
「いいえ、とんでもない!すごく嬉しいです。本当にかわいい仔馬ですし、ただ……」
クレアは先ほどのヨーデル牧場に居た時のことを思い返しました。
ヨーデル牧場で仔馬を見たとき、二人はとても興奮しました。
まだ畑仕事も上手くいかない現状でしたが、牛や羊、そして馬が牧場内を楽しそうに歩いている姿を見て、自分たちの牧場の未来に希望が持てました。
「この仔馬を育ててはもらえないかね」
長いこと仔馬と戯れていたピートとクレアに、ムギは言いました。
そして二人は二つ返事で仔馬を譲り受けることにしました。あのとき二人は浮かれていたのです。
それを考えるとクレアは何とも気分が重くなりました。なんだか軽い気持ちで仔馬をもらってしまったような気持ちになるからです。
「ただ、急に責任感じてきちゃって……」
クレアの代わりにピートが弱々しく言いました。そして、その言葉にクレアが寂しそうに頷きました。
しかし町長は二人とは打って変わって、笑い飛ばしました。
「なにを今さら!素人の若者二人が牧場を経営する時点で責任は重大じゃないか!遅かれ早かれ動物は必要になるんだ。なぁに、そんなに不安にならなくたって大丈夫さ」
そう言われたピートは「ははは」と笑い頭を掻きました。内心、町長は他人事だと思っているのでは、と思っていました。町長にもそれは伝わりました。
「きみ、わたしを信じていないね?」
「いえ、そんな!でも、やっぱり、不安ですよ」
「大丈夫さ。きみたちができなくても、この町の人たちは絶対に助けてくれるよ。町に住むとはそういうものだよ」
町長は優しく笑って、ピート、クレア、P、そして仔馬の順に優しく触れました。
クレアは急に肩が軽くなった気分になり、ほっと溜息といっしょに涙をこぼしました。
「そんなに自分たちで背負い込んでいたら、良い牧場なんて出来ないよ。もっと町のひとたちを信頼しなさい。助け合いこそ、町ってものじゃないか」
「おれたちもこの町の住人ってことですか」
「そうとも、挨拶もみんな喜んでいたよ。牧場は君たちの生き方がそのまま形になるさ。ピートくんのおじいさんの牧場が、おじいさんと同じでみんなに愛されていたようにね」
やがて空に一番星がきらりと光ると、町長は慌てて帰っていきました。
それを見送りながらピートとクレアは自分たちのすぐ側でじっと静かにしている仔馬を撫でました。
「いい意味でも悪い意味でも、わたしたちのだけの牧場じゃないってことよね」
「おれたちはこの町とこの牧場に生きているってことだな」
「がんばろう、ますます、がんばろう!」
ヨーデル牧場からお花の牧場までの一本道は街の歩道のように整備されていません。やわらかい土と固い土と砂利の混じる道でした。
二人はいま歩いてきた道をふと振り返りました。地面にはしっかりと跡が付いていました。ひとの靴の足跡が二人分と、小さい犬の足跡、そして仔馬の足跡です。
「足跡、きみの分もちゃーんとついてるよ」
クレアは仔馬に抱きついて言いました。
「こうやってみんなでこの町に足跡を残していこうね」
仔馬は元気にぶるると返事をして、クレアを驚かせました。
そしてその晩、ピートとクレアは遅くまで仔馬の名前を考えました。
牧草地をイメージさせる草原という言葉と足跡の思い出を大切にするために、ふたつをかけて“ステップ”と名付けました。綴りは“steppe”にしました。