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きみとの幸せ

タケルはハモニカタウンに辿り着くと町で唯一の宿屋オカリナ亭へやって来た。
「タケルさん!いらっしゃいませー!」
マイはまんまるの大きい瞳を輝かせ、ピンクのワンピースをふわふわさせながらタケルを出迎えた。
タケルはこの店の一人娘のマイと一緒に昼食を食べるため、町外れからわざわざ出向いてきたのだった。
マイはタケルよりもいくらか年下の少々甘えん坊な女の子だ。色白で背が小さく、その可愛い顔で「タケルさんにお願いがあるの」と見つめ言われると、町のほとんどの人間は彼女のどうでもいい頼み事でも断れないのだった。
しかしタケル町の人とは別だった。タケルは随分前からマイのことが気になっており、マイのお願いは断れないのではなく出来る限り願いを聞いてやりたいと思っていた。兄弟のことを第一に考えるなかでタケルの中でマイにできることはそれくらいしかなかったのだ。
「タケルさん、いつも来てくれてありがとう!あたしはお店のお手伝いでここを出られないから………」
「だから来てくれて嬉しい!」マイは白い肌を少し紅潮させてにっこり笑った。
そして「座って座って」とタケルを一番奥のテーブルへと引っ張っていく。その様子を少し離れた店内だマイの父と母は微笑ましく眺めていた。
「今日はね、サンドイッチを用意したの。安心してね、作ったのはあたしじゃないわ、さっきチハヤが作ってくれたの!」
「へえ、チハヤが?おいしそうだね」
タケルが席に着くとマイはチェック柄のランチマット二枚とハムやレタス、キュウリとツナといった美味しそうなサンドイッチが入ったバスケットを取りに行った。
そして両手の塞がった彼女は慌てて「誰か、お皿取って〜!」と厨房に向かって叫んだ。
しかし厨房から出て来たのお皿ではなく、怠そうに腰に手を当てているチハヤだった。
「マイ、きみはどこまで他人に甘えれば気が済むんだい」
「げっ、チハヤ!まだ居たの?!」
「よく言うよ。居たも何もきみがサンドイッチを作れって僕のことを呼び出したんじゃないか」
チハヤはやれやれと大きくため息をつくと、エプロンを脱ぎ店を出て行こうとした。タケルはそんなチハヤを慌てて呼び止めた。
タケルとチハヤは同い年で普段から仲が良かった。他人に干渉されることを嫌うチハヤだが、控えめなタケルとの会話は嫌いでなかったし、タケルの方が少し陰のあるチハヤを心配しているのだった。
「チハヤもたまには一緒に食事しようよ。良いよね?マイちゃん」
マイは「えー!!!」といかにも嫌そうな反応を示し、予期せぬタケルからの誘いにチハヤも目を丸くした。
チハヤはマイの気持ちを知っていた。タケルがマイを想う一方でマイもタケルのことが好きなのだった。だからマイは彼と二人でランチがしたいのだ。なのに三人で食事など、そんな野暮なことができるわけがない。
「せっかくだけど、ぼくはやめておくよ。これから仕事までの貴重な時間を無駄にしたくないからね」
チハヤは半分本音でそう言うと、さっさと外へ出て行ってしまった。
マイはしばらく膨れていたが、タケルがテーブルにつくとぱっと表情を明るくして、バスケットの中のサンドイッチを皿に移し、ガラスのカップにアップルジュースを手際よく注いだ。その動作を見ていたタケルが「さすが、ウェイトレスさんだね」と褒めるとマイはとても嬉しそうに笑った。
「タケルさん、美味しい?」
「うん、美味しいよ。今日は弟妹たちみんなバラバラのお昼なんだ。きっと僕が一番ご馳走だとおもうな」
タケルは自分の皿に盛られたサンドイッチをきれいに平らげた。
食事中、タケルは買い出しのため農場に行ったユウキの心配や、タオと川釣りに出たヒカリのこと、最後は彼の愛妹のアカリが鉱山に向かったという話をマイに聞かせた。こんな話しはいつもといえばいつもだった。タケルの話はどんなときも最終的には自分の弟妹たちの話に繋がってしまうのだ。
マイはそんな兄弟想いの彼を嫌いではなかったが、実のところ面白くもなかった。それは自分にもっとかまって欲しいと思う一方でもうひとつ理由があった。
「タケルさんはもう少し自分の心配もしたほうがいいよ」
マイは突然真剣な面持ちで言った。
「兄弟の心配をするタケルさんのこと優しくって好きだけど、あたしはタケルさんにもしあわせになって欲しいの」
「マイちゃん……」
マイはしばらく口を尖らせていたが、タケルが何も言い返してこないことに腹が立ったのか、半ばヤケクソにサンドイッチを食べ始めた。
口のまわりにサンドイッチのクリームチーズがついてもマイは気にせずパクパク食べ続けた。タケルはそんなマイの姿をみて嬉しそうにしていた。
「マイちゃんおいしい?」
「おいしいよ。タケルさんはおかわりしないの?が食べないなら全部食べちゃうよ」
タケルは「いいよ」と残りのサンドイッチをマイの皿に移してやった。
「お腹一杯になるまでマイちゃんが全部たべて」
マイは意地悪で言ったつもりが、根が優しいタケル気は意地悪などとは思わず、ただにこにこしているだけだった。
再びマイは食べるのをピタリとやめた。
その表情はさっきとは違い口を尖らせるだけでなく、今度は眉をきっと釣り上げていた。
「もう!タケルさん、あたしの言ってること分かってる!?あたしはね、タケルさんにもっと自分のこと考えてほしいんだってば!」
「わ、わかってるよ」
タケルは両手を前に突き出し、マイを落ち着かせようとするが、マイはちっとも黙らなかった。
「あたしの気持ち全然分かってくれないじゃない!もうタケルさんなんて嫌い〜!」
マイはわーんと泣き声をあげて、テーブルに突っ伏してしまった。さすがのタケルもこれには焦ってしまう。取り乱した彼は普段秘めていた本心をもこぼしてしまう。
「その、ちゃんとわかってるんだよ。それに僕はマイちゃんのこととすごく大事に想ってて、マイちゃんがぼくの心配してくれるから、ぼくは兄弟たちのこと心配できるんだよ」
「マイちゃんのこと好きなんだ」
「嫌いにならないで」
そう言ってタケルは何度も何度も謝った。マイが泣き止むまで。
マイがそっと顔をあげるといつも優しく笑っているタケルの目元はくしゃくしゃになって悲しい目をしていた。
マイは今までタケルには片想いをしていると思っていた。いつも優しくはしてくれるが、まるで妹の一人ように扱われているような気がしていた。
「タケルさん、その、あたしのこと……好きなの?」
タケルは頷く一方で、眉を八の字に下げて続けた。
「マイちゃんのこと幸せにしたいけど、ぼくは兄弟たちを幸せにするためにここに来たんだ。誰より先に幸せになるのはぼくのなかではルール違反。だから少し我慢させちゃうこともあると思うんだ」
ごめんと、タケルはマイの頭を撫でた。それでもマイは納得がいかないらしくタケルの手を振り払った。
「あたしはタケルさんが好きだから、タケルさんを幸せにすることを一番に考える!それが許されないないならタケルさんなんて嫌いだから!」
マイは真っ直ぐタケルの目を見て言った。
しばらく沈黙が続いて、BGMのないこの店には外の波の音と厨房の何かを鍋で煮詰めるグツグツという音が聞こえるだけだった。
色々考えていたタケルはふぅとため息をつくと、いつもの優しい表情にもどり、目尻をくたりと垂らして笑った。
「ありがとう。マイちゃんには勝てないね。ぼくマイちゃんに嫌われたくないよ」
「なら、タケルさんの幸せ一番に考えていいのね!」
マイは目を輝かせ、腕を胸の前で組んで立ち上がった。
「タケルさんとお付き合いできるんだ!」
わーいわーいとまるで小さい子供のようにはしゃぐマイ。そんなとき厨房と宿のスタッフルームから小さい拍手が聞こえてきた。
どうやらマイの恋が成就したことを店のものたちが祝っているようだった。
タケルは店に人がいることをすっかり忘れていた。彼は顔を真っ赤にして、残ったサンドイッチをただ頬張るしかなかった。
「ねぇ、タケルさん。今日ね、あたしすっごくすっごく幸せだよ」
「ぼくも嬉しいよ」
マイは頬を赤く染め輝く瞳で言った。彼女は誰から見ても本当に幸せそうな表情を浮かべていた。もちろんタケルも幸せを感じてはいたが、しかしその幸せな自分が彼の中で少しだけ腑甲斐なく思えていた。