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季節がくれたスタート

月日は流れに流れ、ピートとクレアが牧場を始めて4年目の春がやってきました。
毎年、この季節になるとひとは新たな気持ちになりました。春の暖かい風は人々の身も心も軽やかにさせ、新しい何かを予感させるようでした。
そして、ピートとクレアにとってこの春はまさに心機一転新たなスタートを迎えるときとなりました。というのも、二人はこの春から正式にミネラルタウンのいち牧場主となったのでした。二人の三年間の努力は報われ、町の人々は快く二人を正式な牧場主と認めたのでした。
「また春が来たね。今年は何もかも新しく感じるね」
クレアは穏やかな笑顔を浮かべてピートに言いました。
ピートは「そうだね」と頷きながら、頭ではこの三年間のことを思い出していました。
いまではお花の牧場はそれはそれは立派なものとなりました。
春の訪れを告げるとともに畑からはすでにたくさんの作物の芽が出ていました。そしてその畑の数は前年よりもずっと多くなっていました。広々した牧場の敷地は作物畑、牧草地、花畑と分かれ、牧場の北側には当初の倍以上に増築された二人の住まいと動物たちの小屋が立っていました。
動物小屋には牛と羊の割合が半々で飼われていました。そして十羽の鶏が毎日卵を産みました。
そして何よりピートのお気に入りは、ここに来て二年目の春から作り始めた小さいながらも可愛い自分たちの庭でした。
自宅の後ろから郵便ポストがある場所までの小さな敷地に作った庭には、季節の花をプランターで植えたり、何種類かのハーブを土に直に植えました。中でも虫除けのために植えたローズマリーは、さほど効果はなくピートは取り除こうかと考えましたが、紫色の小さな花をつけたそれをクレアは気に入っているようでそのままにしてありました。そしてこの二年間の間にローズマリーは大きく、そして予想以上に増えていきました。
自宅の影になっている庭の日陰には小さなガーデンテーブルとチェアが置いてあります。テーブル下の地面と、すぐ側の自宅の壁には育ちすぎたアイビーが長く蔦を這わせていました。
ピートは枯れたアイビーの葉をもぎ取りながら、チェアにゆっくり腰掛けました。
一息ついたこのとき、彼は牧場を一頻り見渡して、自分が牧場主になったことをようやく実感しました。
「ねぇ、ピートここにゼラニウムを植えない?」
突然ピートのすぐ横にあった自宅の窓からクレアが身を乗り出して言いました。
「窓の近くに植えるの?いいね、ゼラニウムは虫除けになるっていうし」
「また虫除けってローズマリーのときと同じこと言ってる。それじゃ、植えても良いんだよね」
クレアはぷっ吹き出して、窓の中に顔を引っ込めました。
ピートは虫除けと聞くと何でも試したがるのですが、今まで試した色々なことはすべて失敗に終わっていました。
「そいじゃ、これが頼まれていたゼラニウムの苗でーす」
「おう、ありがと…って…」
ピートはふいに視界の外から聞こえた声に反射的に振り返りました。クレアだと思ったその声は、思えば彼女とは全く違う男の声でした。
「カイ?!」
「よう、ピート。この前の夏ぶりか?元気だった?」
その声の正体は言わずと知れた夏男でピートの親友であるカイでした。
カイは片手を軽くあげて、ニカッと白い歯を見せて笑いました。そしてもう片方の手には丁寧に包まれたゼラニウムの苗を持っていました。
「流石に手ぶらで来れねーだろ?クレアちゃんに要り用聞いたらコレが欲しいっていうからさ」
「ね、クレアちゃん!」とカイが家の中に居るクレアに大声で言うと、「ありがとー」とクレアの楽しそうな声が返ってきました。
「クレアに連絡するなら俺にも連絡くれたらよかったのに」
ピートが言うと、カイはにやりと笑って言いました。
「バカだな、ピートは。サプライズだろ、サプライズ!」
「サプライズ?」
「友人が夢を叶えて牧場主になったんだよ。こんなめでたい日に駆けつけないバカがこの世の中にいると思うか?」
カイはピートの肩に腕を回して、「おめでとう、オーナーさん」とからかいましたが、ピートは然程嫌そうな顔もせず笑っていました。
それからピートはカイに牧場を案内しました。カイは滅多に牧場には来なかったので、羊を触ったり、今では立派なたてがみを持ったステップを観察しました。それでも、彼が一番興味を持ったのは牧場のことではなく、ピートのことでした。
「なぁ、お前まだ結婚しないの?」
「そうだね。結婚の予定はないよ」
「ってことは、クレアちゃん以外と結婚する気ないんだろうな」
ピートは何も答えませんでした。
じつは二年前の冬、ピートはクレアにプロポーズをしました。しかしクレアは笑顔を浮かべるだけでイエスともノーとも返事をしませんでした。ピートは返事を急かすこともせず、またそれっきり結婚の話はしませんでした。二人の関係は良くも悪くも変わることはなく、二年間それはそれは穏やかに牧場生活を送りました。そしてピートは案外この幸せな日々を気に入っていました。
「お前らって本当変わらないよな〜。そんなのんびりしてると結婚もしないでジジイになっちまうよ」
「これでいいんだよ、毎日楽しんだ。カイは結婚の予定あるのか」
カイはピートの問いかけに急に目の色を変えて「あったりまえよ!」と胸を張りました。
「オレは今からポプリんとこにプロポーズしに行くんだよ。リリアさんとうるせーリックに『ポプリをください』って頭を下げに行くんだ。だから夏には結婚だな」
ピートは驚きのあまり声も出せませんでしたが、これまでのカイとポプリの関係を考えれば、そう驚くことでもないと納得して「おめでと」とどもりながら祝福しました。
「ということはさ、今日ここに来たのって本当は俺のためじゃなくって、ポプリにプロポーズするためなんじゃ…」
「さぁ、どうだろうな。ピート、お前もこの春が新しいスタートだろ?頑張れよ、オレはお前の幸せ願ってる」
カイはふざけているのか、真面目に言っているのか判断のつかない表情をしていました。
ピートはこんな風に掴めないカイの性格は結婚してもきっと変わらないんだろうなと心で思いました。
「応援はありがたいけど、もう十分幸せですから」
カイは鼻をふんと鳴らし、「それじゃあ」と言って歩き出しました。
ピートがカイの後ろ姿を見送っていると、彼のズボンのポケットが膨らんでいるのが見えました。きっとあの中には指輪が入っているんだろう。そしてもう片方には青い羽根があるに違いない。ピートはカイの背中に向かって「がんばれよ」と声を張り上げました。そしてカイは一瞬笑顔で振り返りました。
それからピートがしばらくの間牧場の牧草地でステップとPと戯れていると、クレアが自宅のから出てくるのが見えました。彼女はピートを探しているようでした。
「いたいた、ピート!カイは帰ったの?」
「ポプリにプロポーズするんだって。夏には結婚だと言っていたけど…」
「きっと大丈夫。それに男に二言はないでしょ」
カイを心配するピートにクレアは強気な口調で言いました。
クレアの視線にピートは以前の自分のプロポーズを思い出し、まるで自分のことを言われているような気がしました。
「そりゃあ、二言はないよ。それより、早くゼラニウム植えちゃおう」
クレアは何も言わず、ただ嬉しそうに頷きました。そして二人はカイの持ってきたゼラニウムを植えるために並んで土を掘って、培養土を足したりしました。
無言の作業でしたが、時折吹く風の音や動物たちの鳴き声があるので二人にとって沈黙は何にも苦になりませんでした。いつもなら沈黙の中で作業は終わりますが、今日は違いました。苗を植え替える準備が整ったところで、クレアが口を開いたからです。
「この牧場も随分変わったよね」
クレアが作業の手を止めても、ピートは止めずに喋りました。
「そうだね。日々変化があるね、もちろんいい方向に」
「こうしてだんだん理想に近づいていくんだわ。わたし、最近は本当に牧場生活が楽しい」
そう言って笑うクレアにピートも満足気に微笑みました。クレアが楽しそうにしていると、ピートはとても嬉しい気持ちになりました。
そして彼は慣れた手つきであっという間にゼラニウムを植えてしまいました。
クレアは土で汚れた手を洗うために水場に向かいました。ピートもそれに続こうと、カイが持ってきたゼラニウムの包みを持ち上げたとき、包み紙の中から何かが落ちました。ピートはそれを見て驚きましたが、カイの気遣いに苦笑いするとそれを拾い上げ、クレアに気付かれないようにうまい具合にポケットに押し込みました。ピートは小走りで水場にむかい、二人は並んで手を洗いました。
「クレアはここに来てから、顔色が良くなったんじゃない?前はいかにも都会のおねーさんって感じだったから」
「そうかな」と濡れた手で自分の頬を触るクレア。
「日焼けしたからかなぁ?でもその分そばかすが増えたの」
「そばかすなんて誰でもあるって。それに仕方がないさ、クレアは色白だから」
「もっと日焼けするのは嫌だなぁ」
二人はしばらく他愛もない話をしていました。やがて会話が一段落すると、二人の間にはまた沈黙が訪れ、牧場のどうぶつたちの声と鳥たちのさえずりがピートの耳に響きました。
そんな中、突然真面目な顔をしたクレアがピートの手を握ったのです。ピートは驚きのあまり体が硬直しました。
「ねぇ、わたしがドクターに失恋したあの冬、あなたはわたしには花が必要だって言ったよね」
ピートは目を丸くして、クレアの話にただ頷きました。
「あの言葉、正解だったと思う。あの冬が明けた頃は花はまだ少ししか咲いて居なくて、今のように花が育つまでは時間はかかったけれど…、花を育てる間わたしは少しずつ元気になった。いつだった、こんなふうに牧場で生活することの幸せに改めて気が付いたとき、わたしは心に余裕ができたんだって実感したの。あのときはごめん。わたし、自分のことばっかりで余裕がなくて、本当にあなたのこと傷つけてばかりだった。こうして手を握って、ドキドキしないなんて言ったよね…」
「ショックだったでしょ?」とクレアはすまなそうにピートの落ち着かない瞳を覗き込みました。ピートはそんな冗談交じりのクレアの言葉で我に返ると、力いっぱい彼女を手を握りしめました。
「あのときも、今も、ドキドキしているのはおれだけってこと?」
ピートは頬を赤らめて、それでも冗談っぽく言いました。
「わたし、あの時も今も、ドキドキはしないけれど……」
「けど?」
「あなたの手を握ると、すごくホッとする。あの時だって、手を握って、すごくホッとしていたの。でもあの時は、優しくしてくれるピートに甘えてる自分が嫌で素直に言えなかった。それにピートったら、全然わたしのこと諦めないんだもん」
クレアは顔をくしゃっとさせて笑いました。それに対してピートは「今も諦めてないけど」と心で首を傾げました。
クレアは手を放すと、一人水車の方へ足を進めました。彼らは水車小屋の近くにも、花をたくさん植えていました。そこには小さな花壇があり、冬の間も元気に花を咲かせ続けた、大きな黄色い顔をしたパンジーや、小さくて愛らしい薄紫や白色のペールトーンのヴィオラの花が植えてありました。ときおり吹く風が花たちを揺らしました。そんなとき、クレアは花たちが自分を手招きしているように思いました。
「わたしはピートのことが好きだよ。ていうか、あなたのこと好きにならない方が難しいよ」
クレアの突然の告白に水場から花壇へ向かっていたピートは驚いて足を止めました。
「何年か前に手編みの手袋あげたり、少しはアピールしたけど…ピートって鈍いんだもん」
「え、あれって手編みだったの?いや!それにそれと同じ頃にプロポーズしたじゃないか!」
ピートは興奮気味にあれやこれやと捲し立て、「あれ本気だったの!?」と驚くクレア。
そのやり取りは何度か続きましたが、やがてどちらかともなく二人は吹き出してしまいました。
「それにしても、長い間ずっと無意識にピートを縛ってしまったね…」
「おれは縛られてるわけじゃないよ!自分で勝手にクレアを好きになって、いつもクレアをほっておけないってお節介焼いてて、つまり望んで縛られているというか、好きでやっていることだから…」
ピートはしどろもどろに色々言っているうちに、だんだんと自分の言葉に恥ずかしくなり、言われている方クレアも同じで、今度は二人とも顔を真っ赤に染めて、俯いてしまいました。
また二人の間に沈黙が流れました。そして優しい風が牧場の中を通り抜けました。それは四年前、二人が牧場で始めて出会ったときの風とよく似ていました。まだ少し冷たい空気を含んだ春風は、二人と目の前の花壇の花たちをゆらゆらと揺らしました。
「ねぇピート、きっとあなたのおじいさんの牧場は素敵だったに違いないわね。花がこんなに可愛くって、花を育てることでこんなに優しい気持ちになるなんて知らなかったわ」
「どれもこれもおじいさんが教えてくれたんだ。そしてこれからおれたちの牧場もおじいさんの牧場のようになっていくさ。春は季節がくれたスタートの合図だから」
クレアはピートの言葉を聞いて小さく笑みを浮かべ、風に揺れている花たちに微笑みました。
そして花々も二人に笑っているようでした。
「そうそう、カイからの差入れがあったんだ」と、ピートは先ほどカイの置いて行った包みから拾ったものをポケットからそっと取り出して、クレアに差し出しました。それは綺麗な深い青色をした鳥が落とすといわれるきれいな羽根でした。
ピートはもう恥ずかしさなどなく、晴れやかな気持ちでいました。そして穏やかな笑みを浮かべて言いました。
「クレア、結婚しよう」
クレアは静かに頷きました。


おしまい

ついにお花の牧場のシリーズ完結です。
一体なにが言いたかったのか…まとまらない長編となってしまいました。お花を愛するひとは穏やかな気持ちの持ち主ということです。わたしは、そんなふうに思うんです。
そしてなにより、ピートとクレアくっつけられてよかったです。
どマイナーCPとなりましたが、長々と読んでくださいまして本当にありがとうございました。
つぎの長編もお願いいたします!