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恋人になる

「チハヤももう少し笑った方がいいんじゃない」

アカリは真面目な顔をして言いました。そしてそう言われたチハヤは顔をしかめました。

二人が出会ってからもう幾らか月日が経ちました。町は昼間陽が差していても身が縮まるくらい寒くなりました。それでも二人は平日の午後はキルシュ亭の近くにあるベンチに腰を下ろしお喋りをしました。それは二人が“友達”になった日から自然と習慣になったことでした。
二人は毎日他愛無いお喋りをするのですが、この日の二人は少し真剣でした。
というのも、チハヤがアカリに自分の気持ちを打ち明けたからでした。
チハヤはアカリに「好きです」と伝え、アカリは「わたしのどこが?」と訊ねたのです。そしてチハヤは“きみの笑顔”と言ったところでした。

「あなたに何があったのかは知らないけど、もっと笑ったら世界も変わると思うの」
「そういうきみはいつもヘラヘラ笑っているもんね」

チハヤが意地悪い笑顔でアカリに言いました。

「そりゃそうよ。この世界に起こるすべてが素敵って思ってみることにしてるもの。あくまで、そう思ってみるってことが大事なのよ」
「僕にはマネできないな」

チハヤはアカリよりも長い睫毛を伏せて、少々自嘲気味に笑いました。

「大丈夫。だからわたしがいるんだから。わたしがチハヤの分まで世界に素敵を期待してたくさん笑ってあげるから」
「つまり?」

アカリは少し照れた顔をして頷きました。
チハヤは「やっぱり僕にはきみしかいないと思ったんだ」といつになく嬉しそうに笑いました。

「いつもそうやって笑えればいいのにね」
「ぼくもそう思うよ」

こうしてこの日を境に二人の午後のお喋りは、お互いの家ですることになりました。
二人は恋人同士になったわけですし、冬を間近にしたワッフルタウンはお喋りするには寒すぎました。

チハヤとアカリが恋人同士になり幸せを感じる一方、キルシュ亭の一人娘のマイは心を痛めていました。アカリはマイのチハヤへの気持ちに気が付いていたので、そのことが少々気がかりでした。そしてあるとき、マイを家に招くことにしました。チハヤのことを話す機会を設けたのです。

「マイ、寒かったでしょう。どうぞ上がって」

マイは約束の時間通り、アカリの牧場へやってきました。いつものワンピースの上にウールの上着を羽織り、手にはユバが持たせた焼き菓子の入ったバスケットを下げていました。

「おじゃましまーす。ここがアカリのお家なのね。ストーブ、可愛いね」

マイは寒さで鼻の頭を赤くさせていましたが、アカリの家に入ると彼女らしくはしゃいで家の中を見て回りました。アカリの家には雑貨屋で買った様々なデザインの家電や、木工所で気に入って買い集めた家具が置いてありました。その中でも、マイはレトロなストーブに興味を持ち、ストーブの前も後ろもしゃがみ込んでじっくり観察していました。

やがてお茶の時間を迎えると、二人はアカリが淹れた熱い紅茶と新鮮な冷たい牛乳でミルクティーを飲み、マイのお土産の焼き菓子を食べました。ひとしきり日ごろの近況報告をしたり、町の噂話などお喋りをしたあと、二人は一息ついてもう一度お茶を淹れなおしました。そしてカップをすすったとき、部屋に沈黙が訪れました。

「マイ、チハヤのことなんだけど」

アカリは沈黙を破りました。その表情には何か決意のようなものが浮かびました。
一方マイは“チハヤ”と聞いて、体を強張らせたようみ見えました。

「わたしたち恋人同士になったの」
「うん、知ってるよ」

マイは少し悲しげな顔で頷きました。カップを持つ手に力がこもっていました。

「あたしチハヤのことはずっと前から好きだったんだけどね、でもどうしてもあいつの心の穴を埋めることはできなかったの。でもアカリにはそれが出来るんだと思う。チハヤの顔を見てれば分かる。あいつがアカリに見せてる笑顔、あんな顔あたしには見せたことがなかったもの」
「………ごめん」

アカリはマイに返す言葉が見つからず、ただ小さい声で謝りました。しかしマイの方はあっはっはとアカリを笑い飛ばします。

「謝ることないよ〜!でもルークには謝ったほうがいいかも!ルークなんか自惚れてるみたいだったから!きっとアカリのことが好きなんだと思うなぁ〜」

マイはからかうように片目を瞑ってみせました。アカリは赤面して、手で顔を覆いました。まさか、あのルークが自分を!?彼女はルークをただの仲良しだと思っていたのです。

「ルークのことはともかく、チハヤのことお願いね。ルークは誰とでもやっていけるけど、チハヤの方はあなたじゃなくちゃだめなんだから」

マイの真っ直ぐな瞳をアカリはしっかりと見つめて強く頷き、「ありがとう」と言葉を添えました。

マイは失恋をふっ切ったのか、笑顔で牧場を去って行ったけれど、アカリはそこまで笑顔でいられませんでした。自分たちが恋をして笑顔になる一方、どこかで誰かが悲しみ涙を流していたと思うと、どうにも自分の恋に幸せを見い出せなくなったのです。

でもこんなときこそ笑っていなくてはいけません。こんなときこそ、この世界のすべてが素敵なんだと期待を込めて笑っていようと、アカリは思いました。

「例えそうでなくても、そう思うことに意義があるんだから」

アカリは目に涙を浮かべながらそう言って笑顔に努めました。