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ランドマーク

オレは恋愛に懐疑的だ。それでも毎年この町に戻ってくる。
「それはどうしてだと思う?」
彼女がそう訊く。
「それはオレが夏男だから?」
オレはいや、違うなと思いつつ応えたことがあった。

「へぇ、ドクター結婚するのか」
「お陰様でね。きみの方はどうなんだい、カイ」
結婚なんてするわけないだろう。と言いたいところだったが、結婚を目前に幸福そうな表情を浮かべるドクターに言えるはずもなく、オレは笑ってごまかした。
昨年の夏から一年振りにミネラルタウンにきて、挨拶がてらドクターのもとを訪ねたら、開口一番にエリィとの結婚報告とは驚いた。
「いや、よかったね。お似合いだもんな、お幸せに」
ドクターはクリニックの外まで送ってくれる、エリィが受付からこちらを見ている。ああ、ドクターとエリィはこれからずっと一緒に生きるんだ、よく覚悟できましたね。
どうしたことか、オレはそんな嫌味な言葉しか頭に浮かばない。
「カイ、クレアくんのところにはもう行ったのか。どうせきみのことだから、一年間ほったらかしだったんだろ」
「おいおい、きみのことだからってなんだよ」
ドクターは真夏だというのにちっとも日焼けしていない顔で、でも健康そうに笑った。きっと幸せなんだろうな、と思った。
クリニックから宿屋へ向かおうと思ったが、足は自然とクレアの牧場へとすすむ。時刻は正午をすこし過ぎたばかり、町の煉瓦の道はどこもかしこも、真夏の日差しで燃えるように熱くなっていた。
そこを通るからか足元が重い。いや違う、本当は、
「クレアに会い辛えな〜」
オレとクレアは付き合い始めて今年で三年目だった。
といっても夏以外は会わないし、連絡もとらないから三年付き合ったという実感はあまりない。自慢じゃないが街で何度か女に声を掛けられ一度か二度遊んでしまったこともあった。そのあとの罪悪感がハンパないことから、クレアが一番なんだなと再確認したりした。
思えば、三年前付き合うときも大変だった。
クレアと付き合うことになったとき、それまでオレに懐いていたポプリが泣いて泣いて、たいへんな修羅場となった。本当はほっといてもよかったのだけど、クレアが「ポプリちゃんをたぶらかしてるの?」とか「ポプリちゃんのことがあるんじゃ付き合えない」なんて言ってきたのだ。
そもそもたぶらかしているとはなんだ。ポプリがオレに好意を寄せていたのは知っていた。だからそんなポプリに感謝の気持ちを込めて、オレは適当に気持ちを返していた。ただその間一度もポプリを好きだと思ったことはなかったし、そう言ったこともなかった。それでもたぶらかしているというのだろうか。でも仕方がないから泣きじゃくるポプリに「オレはクレアと付き合うから、お前とはもう遊べない」と伝えたのだ。
オレは恋愛に対して懐疑的な立場をとる。
恋愛なんていうものは偶発的で、一瞬の気の迷いが何か錯覚のようなことを引き起こすのだ。だからある日突然目が覚めたりする。三年前、オレとクレアはたまたま出会い、惹かれあって、未だにその一種の異常状態から回復していないから付き合い続けているのだろう。
でもいつ目が覚めるか分からない状況で、一生の愛を誓わなければならぬ結婚なんかできるものか。
しかし、そう言いながらもいまオレはクレアに恋をしているのは紛れもない事実なのだ。
「カイ!」
ちょうど町はずれに足を踏み入れたところでクレアが牧場の方からやってきた。
いつ見ても変わらぬ白い肌に、ピンクのギンガムチェックのシャツにオーバーオールを着てる。長い金髪が汗でいくらかおでこにくっついてる。作業時は髪を結えばいいのに、といつも思う。
「よう、久しぶり。元気だった?」
「ほんと連絡よこさないんだから!」
「今年もきましたよー」
二人で牧場の中で日陰を探し、外で軽い昼食をとる。小さいハチがぶんぶんと飛んでいる。
「カイ、何か考え事でもしてるの?」
「ドクターとエリィが結婚するんだと」
「その話ね。あなたが先週この町に来ていれば、町中その話で持ちきりだったわよ」
クレアは笑った。オレは「ふーん」とクレアが用意したサンドイッチを頬張った。
「ね、カイも結婚とか考える?」
クレアが横から顔を覗き込むようにして楽しそうに笑う。
「さあね。どうだろ」
「はぐらかさないでよ〜」
「やめろー」
誤魔化すオレに腕に巻きつくようにして答えをを要求するが、オレは応えない。思っていることをはっきり言うほどオレも馬鹿じゃないってことだ。クレアは口をとがらせて言う。
「あなたは何しにこの町に戻ってくるのだと思う?」
「またそれか。そりゃ、オレが夏男だからじゃない?」
サンドイッチを飲み込んでクレアの方を見ると、今までにみたこともないくらい真面目な顔をしてこちらをみてる。
「全然分かってないんだから!」
「なにがさ」
「あなたはね、本当はわたしに会いにこの町に戻ってきてるの!」
オレは思わず笑ってしまう。自分の彼女がこんなにも自惚れ屋だったとは。
それと同時に彼女はオレのことを全然分かっていないといえる。
オレは何でこの町に戻ってくるのだろうか。
「そのことは否定しないけどさ、クレアは知らないんだよ。オレは恋愛にそんなに本気になれないんだ」
「カイはわたしが何もわかっていないと思ってるみたいだけど、それはカイのほうなんだよ」
「なんで」
「じゃあさ、カイが恋愛に打ち込めないのはどうしてだと思う?」
「……それは、」
「カイが臆病だからだよ」
クレアの言葉をそうなのか?と考える。
またさっきのハチがぶんぶん飛んでいる姿が目についた。
「本当は今日わたしに会いづらくて堪らなかったでしょう」
「………」
「秋、冬、春って、わたしをほったらかしにしてしまって」
「………」
「それでもあなたはこの町に帰ってくるし、海に行く前にこの牧場に来たでしょう」
「………」
「ねえ、それはどうしてだと思う?」
夏以外はクレアのほったらかして、違う女と遊んでる、それでも悪いことしちゃったかなとか、クレアのことを考えないときはない。そして夏には自然とこの町に戻ろうとする。
「それはクレアに会いたいからなんだと思う」
クレアは目尻を下げて笑う。そのほっとするような笑顔を見るとやっぱりこの牧場に来て良かったと思う。
「ねぇ、わたしはカイのこといつまでも好きだよ。わたしたちの恋は覚めたりしないって信じようよ」
オレはドクターたちの結婚のことを思い出す。そうか、結婚って信じることなんだなと今なら結婚する気持ちも納得できる。
空に大きい雲が流れてきて、まぶしいほどに差していた陽の光が一瞬遮られる。そしてその雲が風に流されて再び陽が差す頃に、再びハチのぶんぶん飛ぶ様が目に入り、目を閉じる。
「クレアのいう通りだ。オレはクレアが好きで、いつか裏切られんじゃないかって、だから信じるのよそうって思ってたみたいだ」
「でもここに来ちゃうのよね」
「うん。オレは夏になるとこの牧場を目印に、この町に戻ってきちゃうんだ」
クレアは気持ちに迷いが生じたらこの牧場に来れば大丈夫だと言って、オレもそれに賛同した。
クレアと別れて、宿屋へ向かう途中ドクターに会った。
「カイ、牧場に行ってたのかい」
「ああ」
ドクターはクリニックの前通りに水をまいていた。しかしその水も夏の暑さによってすぐに乾いてしまう。
「ドクター、外はあっちぃよ。中に入ったら?」
「いいんだ。ボクはほとんど屋外にでないからね、ここで夏を満喫してるのさ」
はははと笑うドクターにつられて笑う。
「じゃあさ、これから夏は海か牧場で満喫してくれよ」
「そうだね、今度いくよ」
「ドクター、さっきは言わなかったけどさ、オレ結婚もいいと思うんだよ」
「きみもその気になったんだね」
「ああ」と頷いて宿屋へ向かうオレの背中にドクターが声を掛ける。
「きみ、それクレアくんには伝えたのかい」
「ああ、そうだね、それ忘れてた」
牧場の方を見てクレアのことを想う。たぶんあいつなら言わなくても分かっているんだろうけど。
こんなにも暑い夏なのに、オレはまったく清々しく笑った。

おしまい