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Lily of the valley

ピートがミネラルタウンに来て三年の月日が経ちました。彼は三年前、おじいさんの残した荒れ果てた牧場を再建することとある約束を果たすためにこの町にやってきました。そしてまだ肌寒いこの春、ようやく町のみんなに三年間の業績を認められ、晴れておじいさんの牧場を受け継ぐ牧場主となったのでした。

牧場主となってはじめての朝、牧場には町中の様々な人が、皆ピートへのお祝いの言葉と贈り物を手にしてやってきました。そうなると、ピートも自分が牧場主となったこと対していよいよ実感するのでした。
ピートにとってこの三年間はとてつもなく長いものに感じられました。牧場を経営するということは、彼が思っていた以上に大変骨が折れることだったのです。もちろん中には素敵な思い出も数多くありましたが、思い出というものは辛いことや嫌なことほど記憶に残りやすいものなのです。
ピートは口にこそ出しませんでしたが、荒れ果てた牧場を再興することはもちろん、慣れない牧場生活と慣れない田舎暮らしに心が折れそうになったことが幾度もありました。しかし、彼には共に牧場で暮らすクレアという仲間がいました。見知らぬ他人であった二人でしたが、ピートの誘いで共に牧場経営をすることになりました。この三年間、二人はつらいときは励まし合い、楽しいときは一緒に笑いました。ピートはクレアがいたからこそ、今こうして自分たちは与えられた試練を乗り越え、この町のこの牧場で生きていけているのだと日々感じていました。そしておそらくクレアもピートに対して同様の気持ちを抱いていることでしょう。

さて、ようやく牧場主となったピートですが、これを機に暮らしが変わるかといったら、そんなことはありません。昨日も今日も、おそらく明日もこれまでと同様、牧場の仕事に明け暮れることでしょう。とくに春先は冬の間待ち続けた畑仕事が始まることで、土いじりで一日が始まり、終わりました。

この日もピートが畑づくりに勤しんでいると、クレアが鶏と牛と馬を放牧させているのが見えました。

「やっぱり春はいいね。動物たちもうれしそうだ」

ピートはクレアに向かっていいました。動物たちは元気そうにすこし冷たい土の上を歩き、育った牧草からほんの少しの草まで、牧場内を探し回り、食べました。

「小川の方の花壇にもいくつか芽がでていたわよ」
「冬のうちにいくつか球根を植えておいたんだ」

ピートは徐々に深まる春の訪れに身震いしました。もう少し暖かくなれば、この牧場もかつてのおじいさんの牧場とまではいかなくとも、美しい牧場になると想像できたからです。動物たちが牧草の中を歩きまわり、立派にそだった馬が、そして町でも愛される看板犬の牧羊犬がしっぽを振って訪れた人を迎えるこの牧場を、これからは胸を張って自分のものといえるのです。

ピートは軽いため息を吐いて、牧場を愛おしそうに眺めていました。その姿を見ていたクレアがそっと彼に近づきました。

「ピート、なんだか幸せそう」
「嬉しいんだ。まさかここまで牧場らしくなるなんて思わなかったから。これで少しはおじいさんの牧場に近づいたかなぁ」
「おじいさん、おじいさんて、ピートの理想は高すぎやしない?あなたはいつもおじいさんの牧場を目標にしてきたけど、結局この三年間、あなたは昔見たっていうおじいさんの牧場のことを話してくれなかったわ。だから、おじいさんの牧場がどれだけ素敵だったのか私には分からないけど、ここは今も十分良い牧場だと思うわ」

ピートは何も言いませんでした。クレアのいう通り、牧場は三年前とは見違えるほど活気あふれるものとなりましたし、二つ先のヨーデル牧場に引けをとらないほどまでに成長していました。しかし、ピートはいつだって、かつてのおじいさんの牧場を目指しました。ピートには誰にも話したことのない、ミネラルタウンでの思い出がありました。それは彼にとって非常に価値あるものとして、また理想の時間を過ごした記憶となりました。

「おじいさんの牧場は本当に素敵な場所だったんだ」

「そろそろ話してくれてもいいんじゃないの。わたし、三年間も待ったのよ。おじいさんの牧場みたいにしたいって目標があるのに、それが何かわからないまま三年間頑張るって結構大変だったわ」

クレアは冗談っぽく笑うと、結局話を諦めて動物小屋のほうへ歩いて行きました。
ピートはそれでも何も言わず、晴れた空と牧場を見ました。彼は今まさにあの日のことを思い出していました。

ピートがまだ子供の頃、おじいさんの牧場に一人で訪れたことがありました。牧場にはたくさんの動物がいて、畑も多くありました。牧場内には静かに流れる小川のせせらぎが聞こえ、その小川に沿って、おじいさんは様々な花を植えていました。淡い色の小さい花や大きい花が太陽に向かって一直線に伸び、さわやかな香りを放つ植木鉢もあれば、地面を這うように無造作に育ったハーブがありました。また、牧場の敷地内にはみどり色の牧草地が一面に広がり、草が風に揺れるたびにピートを手招くようにしていました。そんな牧場で何日か過ごすと、ピートはおじいさんと牧場がとても好きになりました。ある日、おじいさんに勧められて、マザーズヒルの中腹に一人で散歩にいったことがありました。丘の散策は楽しく、風が吹き抜ける音や木や草の匂いが心地よく、しばらく原っぱで休んでいるとピートは知らぬ間に眠ってしまいました。すると、そんな彼に、同じくらいの年頃の少女が声を掛けたのです。二人は少し話すとすぐに仲良しになりました。それから二人は、丘を登り、花を摘み、歌をうたいました。ピートは牧場で過ごした日々と、少女と過ごした時間は今までにないほど長く感じました。しかし、街に帰る日になると、まるで夢だったかのようにあっという間であったと感じました。別れの際、おじいさんは「楽しかった」と言ってくれました。そして、少女とは「また会えるよね」と再会の約束を交わしました。
たったこれだけの出来ごとでしたが、ピートはこれほど素敵な時間を過ごすことはもうないと思ったくらいでした。そして、いつか少女と再会するという約束のために、あのときと同じようにおじいさんの牧場をもとのように美しい牧場にしたいと思っていたし、そうしなければ約束は果たせないと思っていました。しかし彼のその理想は記憶の中にかなく、結局約束を果たすにはあの少女が彼の前に現れるしかなかったのです。
こうして彼の三年間の時間は過ぎていたのです。
ピートはこの町に来てから何度かあの時の少女のことを考えました。ミネラルタウンはただでさえ人の出入りのが少ないので、ピートと同じ年頃の女の子といえば探せばすぐに分かることでした。しかし彼は探しませんでした。再会の約束よりもまず牧場を元のようにすることが先決でしたので、あの少女が誰か、今何をしているのか、そんなことは、この三年間彼にはどうでもいいことだったのです。

「あの子は今幸せにしているかな。おれは今、すごく幸せなんだけど、牧場はまだまだあの時の牧場には届かないな」

ピートにしては珍しく、少し弱音を吐くようにぽつりとつぶやきました。

すると突然、かつて少女とうたったあのメロディが聞こえてきました。それを聞いたピートは心臓が普段の何倍も膨れ上がったような気がしました。反射的に音のする方に視線をやると、普段この時間は町の医院にいるはずのエリィが牧場に来ていました。そして、ピートの思い出のメロディは彼女の口から聞こえてきていました。

「エリィ」
「ピートくん、覚えてる?このうた、あのときは一緒に遊べて楽しかった」

エリィはピートのところまで歩いてくると言いました。
その言葉にピートはあまりに突然すぎるこの事実に驚きを隠せず、また茫然としました。彼の世界はまるで時が止まってしまったかのようでした。そして目の前の景色はすべてセピア色に染まったように感じました。あの日、ピートが出会った少女はエリィだったのです。エリィは彼がミネラルタウンに来た時から気付いていたのでしょう。しかし何も言わなかったのです。それは彼女にとってもあの日々の出来事が、何よりも素敵な思い出だったからに他なりません。そして少女だったエリィもきっとピートと同じ気持ちで三年間この牧場が元のようになるのを待ち続けていたのです。

「きみは今まであの時の女の子が私って気が付かなかったのね」
「うん。今でも信じられないよ、おれ」
「ピートくんが三年間頑張っていたから、邪魔したくなかったのよ。でも本当にあの頃のあなたのおじいさんの牧場みたいに良い牧場だわ。町のみんながそう言ってるわ。わたしも今日改めて来て見てそう思うもの」
「そうなのかな、自分では全然まだまだ」
「わたしがなかなか正体を現さないから、ピートくんを余計に頑張らせちゃったみたいね。それにもう持ちくたびれてしまってたんじゃない?実は今現れてグッドタイミング?」

エリィは肩を少しあげて、いたずらっぽく笑ってみせました。ピートは未だ驚きを隠せずにしていましたが、エリィが笑うとつられて少しだけ笑いました。

「おれもあの子が一体だれだったのか、敢えて探さなかったんだ。あのときと同じ環境でまた会いたかったのもあるけれど、やっぱり子供のころの約束で女の子を、まぁそれはきみだったんだけど、無理に縛りたくなかったから。でも忘れられてるのかなって思ったりもした」
「忘れることなんてことないわ。あのときはまるで物語みたいだった。丘で知らない男の子が寝ていて驚いたわ。わたし普段はあまりおじいさんの牧場に来ることもなかったし、丘にも一人で登ることが多かったし。でもあのときは本当に楽しかった」

二人は遠い日々のことを思い出し、微笑みました。
そしてエリィは「また牧場を元に戻してくれてありがとう」と言いました。ピートは彼女のその言葉を聞いて身体が急に軽くなったような気がしました。そして、少しはにかみながらいいました。

「約束が果たせてよかった」

すると、ちょうど町に正午を告げる鐘が鳴り響きました。

「さぁ、きみはそろそろ医院に戻らないと。ドクターが心配するよ」
「ピートくんったら。でもそうね、そろそろ戻らないと。それより、クレアさんにも三年間も待たせてしまったわね。もう私たち約束果たしたのよ、なんの遠慮もなくなったんだからね」

彼女には珍しく少しだけ意見すると、一輪の花をピートに手渡し牧場を去りました。それは小さい白い花が鈴のようにいくつもついた可愛い花でした。
ピートはエリィと別れるとすぐに動物小屋で一休みしていたクレアの手を引いて、りんごの木の木陰に連れていきました。そしてエリィから受け取った花をクレアに贈り、彼女に永遠の愛を誓いました。

そして二人は木陰でしばし休み、ピートは今まで誰にも言うことのなかったおじいさんの牧場のことと、そこで過ごした日々のことをクレアに聞かせました。そして午後にはいつもと変わらず、一生懸命働くふたりの姿が牧場に見られるのでした。

おしまい



大変遅くなりましたが、一応アンケートでリクエスト頂いた“ピートが子供のころ出会った女の子はだれ”というコンセプトで書いてみました。かなり捏造を加えたので、リクエストとお話の趣旨がちがったらすみません。
子供のころの約束って案外怖いですよね。子供のころの婚約を片方だけ本気にしてしまうとか、ありがちなんでない?
解説としてはピートとエリィは大人な子供であった。ピートは約束を果たしようやくクレア一筋になったのであった。タイトルはあるお花の英名です。このお話にあうお花を探してみました。
いやー反省点がおおいな。ちょいちょい推敲重ねたいと思います。ともかく!みなさま長いのにここまで読んでくださってありがとうございました!