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それでもやっぱり、

ポプリが帰り、一人牧場に残ったピートはクレアの帰りを待ちました。
昼食の後すぐ雑貨屋に買い出しに出かけたクレアは、おそらくそろそろ帰ってくるはずです。
ピートはポプリの(生意気な)言葉を反芻して、今日このあとクレアと話そうと考えました。クレアが悲しい思いをしてまで嘘をつく理由とはなんなのか、これを聞き出さなくてはピートの進むべき道はわからないままなのです。
自分の想いが届く届かないの問題ではなく、また春の頃のように楽しく牧場をやっていけたら、彼はそう思うばかりでした。
一方クレアはちょうど買い物を終え、大きな袋を二つ抱えて町から牧場への道を歩いているところでした。
がさがさと袋の中を漁って、買い忘れたものはないかと確認しながらふらふらと歩いていると、後ろから彼女に声を掛けるものがいました。
「クレアくん、ずいぶんと大荷物だね」
「ド、ドクター!」
クレアはその声に振り向き、ドクターの顔を確認すると驚きのあまり袋をひとつ落としてしまいました。ドクターは困ったように笑って「驚かしちゃったね」と言うと袋を拾い上げます。
「いま帰りだろう?僕はこれからリリアさんを訪ねるところなんだ、一緒に行こう」
「は、はい。でも袋は持ちます!その悪いんで」
「なに言ってるのさ、大丈夫持つよ」
ドクターは「さぁ行くよ」町はずれへの道を進んで行きました。
「きみとこうやって話すのは随分久しぶりな気がするよ」
「は、はい」
クレアは花火大会の日以来、出来るだけドクターを避けて生活していました。わざと、というよりも無意識にそうしていたのです。
「牧場はどうだい?最近家畜も増えて牧場らしくなったと聞くよ。今度遊びにいってもいいかな」
クレアはそう言って笑うドクターの横顔から目を離すことができませんでした。彼女の恋の始まりは一目惚れでした。考えてみれば、今までこんな風にドクターと二人でお喋りしたことがあっただろうか。こんな風に自分に向けられたドクターの笑顔を見たことがあっただろうか、クレアは返事もせずにじっとドクターを見て考えていました。
「クレアくん、きみ疲れは溜まっていないかい?毎日働き詰めはだめだよ、適度に休むこと、それに………」
ドクターはあーだこーだと医者らしい言葉を喋り続けていました。
クレアはただ「はい」と返事をするだけで、気のきいた楽しい会話をすることができず、気が付けばもう牧場の入り口が見えていました。
緊張してしまって何も話せないクレアは、せっかくこの機会になぜ!と後悔し、そしてやっぱり自分は、と思いました。
「おや、もう着いてしまったね」
「す、すみません。荷物持ってもらっちゃって…」
「久しぶりにきみと話せてすごく楽しかったよ。荷物はどうしようか?牧場まで運ぼうか」
「ここで、大丈夫です」
クレアはドクターの言葉に胸が高鳴りました。
おそらく、彼の言葉には何も深い意味はないのです。
しかし、揺れる不安定なクレアの心をしっかり掴んだことに間違いはありませんでした。そうなる為の理由はいくつもありません。
特定の人物の言葉が理由もなく胸に響くとき、それは特別なひとからの言葉だからに他ならないのです。
「ドクター、あの、また今度」
「ああ、また病院にも遊びにきてくれ。エリィも喜ぶよ」
「はい、“エリィ”によろしく」
牧場の隣の養鶏場に向かうドクターの後ろ姿をクレアは見送っていました。
色白のほっそりとしたドクターのとなりに、やはり小柄で華奢なエリィの姿がよく似合うと思いました。それでも、
「やっぱりわたしはドクターが好きなんだ」
例えドクターの自分への言葉に何の意味がないと分かっても、ドクターが自分を想っていないと分かっても、やっぱりそうなのだ、と否定など到底不可能なくらい彼女の心は
ドクターの方に向いているのです。
クレアは二つの袋を抱えて、さっきよりもしっかりと歩けるような気がしました。
しかし、お花牧場に一歩足を踏み入れて、ピートの姿が見えたとき、
わたしは公にドクターを好きでいていいのかしら。
たとえピートが自分を想ってくれているとしても?
それを振り切る強さが自分にはあるのだろうか。
彼女はまた袋を落としてしまったのでした。