seiken | ナノ



in the spring rainB

それはイムがバドとコロナを連れてジオに観光に来たとき、雨が降り始めてから降り止むまでの出来事です。
ジオとは魔法の研究に重きを置く城塞都市です。街の北側は大金持ちのクリスティーの宮殿を臨み、中心にはドミナには見られないような様々な専門店が軒を連ねるファ・ディールきっての大都市です。宝石店や宿屋などの並ぶ目抜き通りを東に抜けると、ジオのシンボルである魔法学園が堂々たる雰囲気とどこ不思議な空気を放って佇んでいます。
バドとコロナはジオに足を踏み入れると、学生寮を飛び出してきたというわりには特に気まずいといった様子もなく軽い足取りで旧友たちに会いにいくのでした。
イムはそんな二人に、午前中のうちにそれぞれの用事を済ませ、午後にはフルーツパーラーでお茶をし、帰宅する予定であることを強く言い聞かせました。双子たちは素直に返事をして「じゃフルーツパーラーでね」と手を振ると学園に向かって、目抜き通りを駆け抜けていきました。
イムは自分の用事を済ませてしまうと、思ったよりも大分時間を持て余してしまいました。待ち合わせまでまだまだありました。ではもう少し街の中を歩き回ろうか、そう思って外を歩いているとポツポツと雨が降ってきたのです。イムが空を見上げると、先ほどまでは青く明るかった空は薄っすらと灰色の雲に覆われていました。
「すぐに止みそうだけど……」
イムはため息をつくと喫茶店でしばし雨宿りをすることにしました。外を歩きたかったイムは残念そうにしていましたが、気分はさほど悪くありませんでした。彼女は静かに振る雨で退屈を過ごす楽しみ方を知っているのです。喫茶店に入ると窓際のテーブル席に座り、静かに外の様子を眺めていると魔法学園の学生たちが重たそうなローブを引きずりながら雨に降られてんてこ舞いになっていました。その学生たちの中で一人の青いローブをきた学生が窓の内側でニコニコしているイムの姿をみて近づいてきました。彼は窓の外から「やっぱり」とイムのことを確認すると喫茶店に入ってきて、イムと同じテーブルにゆっくりと座りました。
「あなた誰だっけ?」
イムは「あなたたち学生陣は見た目が似ているから見分けがつかない」と自分を見ている学生に正直に打ち明けました。
青いローブを着ているその子はまるで老人のように目尻を優しく下げて笑いました。
「わしですじゃ。セージ。ばあさんも痴呆かの」
イムは彼の口調を聞くとすぐに思い出しました。
「ああ、ジジイごっこの君ね。バドと仲良しなのよね」
「そうですじゃ。さっきあの双子に会いましての、学校から帰るとこを雨に降られてしもうたのですじゃ」
セージにつられたイムは自然とジジイごっこを始めました。
雨の降る街を眺めながら、老人のように他愛ない話をしました。
「それにしても生憎の天気ですな」
話が一段落するとセージはお茶をすすりながら言いました。
イムは彼のために焼き菓子の盛り合わせをウエイターに注文していましたが、ウエイターからセージの方に視線を移して大袈裟に驚いてみせました。
「あら、おじいさん!そんなことないですよ。いいお天気ではありませんか」
イムはこんな風に雨が降るからゆっくり雨宿りをして、窓の外を眺めたり、お喋りしたり、退屈を楽しめるのだといいました。
「なんだか、あんたの方がよっぽどジジイっぽい考えをしているようですじゃ」
セージは肩をすくめると、ウエイターが持ってきた焼き菓子を子供らしくぱくぱくと食べました。
イムが微笑んで老人ぶったこどもを見ていると、聞き慣れた声で自分が呼ばれるのに気がつきました。
「師匠!」
「バド?どうしたの」
「約束の時間になっても来ないから探しにきたのさ!ほら、傘」
バドはふんと胸を張ってイムの前に傘を差し出しました。
その傘はコーラルピンクの生地に淡い色で小さな花がたくさん描かれていました。しかし素敵なその傘はところどころに泥のようなものがついています。イムは目の前の傘をみて目を円くして固まってしまいました。
「今日は雨の予報だったから、傘持ってきたんだ。でもさっきそこの水たまりにうっかり落っことしちゃったんだ」
バドは小さく舌を出して傘を持っていない方の手で頭をかきました。
「雨の日は足元に気を付けないと」
バドとセージはケラケラと笑いました。しかしイムはわなわなと震えています。二人はまだそれに気が付いていないのです。
「バド、この傘はこの間買ったばかりで、お気に入りだったのよ!」
「え?」
「あんたはすぐに汚すんだから!もう!」
イムは「バカ!」と言って傘をぶん取り、汚れをはたきました。
「あちゃ〜師匠の逆鱗に触れちゃった。変なところで怒るんだ」
「ゲホゲホゲホ」
バドは咳き込むふりをするセージの背中をさすってやりました。
「もう今日は最悪の天気だわ!」
ぷりぷりと怒ったイムは一人喫茶店を後にしました。残されたバドとセージは彼女の背中を見送っていましたが、その姿が見えなくなると互いに顔を見合わせました。
「さっきはいい天気と言ってたんですじゃ」
セージが不思議そうに顎に手を当てます。
「それは本当ですかの」
バドもつられてジジイになります。
「本当ですとも。でも今は最悪と言ってますじゃ」
セージは変わった師匠だねとバドに言い、一方バドは悪戯っぽく笑うと「でもいい人なんだよ」と笑顔で応え、イムを追って喫茶店を出て行きました。
セージは再び席について、窓の外に目をやるとイムとバドの姿がありました。雨はまだ降っているのに、イムは傘を大事そうに持ったまま頬を膨らませていて、そんな師匠をバドが何度も機嫌を直させようと謝っているようでした。怒っているように見えたイムでしたが、ため息をひとつ零すとバドの頭をぽんと撫でると彼の手を取り歩き出しました。きっとバドが自分を迎えにきてくれたということを思い出したのでしょう。そのとき彼女の口が「ありがとう」と言ったのをセージは見逃しませんでした。
「やっぱり変わった人ですじゃ。ゲホゲホゲホ…」
セージが咳き込みふりを終えて、もう一度窓の外にを見ると既に雨は上がっていました。