seiken | ナノ



夜の海に星がおちる

リュミヌーの恋人ギルバート。彼はリュミヌーを一筋に心から愛していますが、彼の心の本質は“恋に一途”なのでした。というのも、彼は恋に恋するという性で、少し軟派なところがあるのです。しかしギルバートは間違いなくリュミヌーの恋人であり、間違いなく彼女を愛しているのです。
一方、リュミヌーは浮気な恋人にしばしば手を焼いていますが、彼女は寛大な心で恋人を見守ることができたので、なかなかうまくやっています。
しかし、リュミヌーはときどき不安になるのです。浮気な彼の心がいつか自分から離れていくのではないかと。
「そんなの悔しいじゃないの」
リュミヌーの友人フラメシュは大きな声で言いました。彼女はギルバートのことが嫌いでした。軟派な男は男ではない、そんな考えの持ち主でした。
「アイツにフラれるなんて絶対イヤよ!自分のことでなくても絶対イヤ!リュミヌーから振っちゃいなさいよ。大体どんな理由でアイツと恋人やってるわけ。信じられないわ」
フラメシュのいうことは少しばかり言い過ぎているように感じますが、リュミヌーの心は揺れました。恋人が浮気者だとつらいことが多いからです。
いつかギルバートの心が自分から離れてしまい、自分がひどく傷つき、ひどい悲しみに見舞われてしまうのではないか。少し身勝手な心配かもしれませんが、リュミヌーはそのように思いました。でもギルバートを嫌いになったわけでもないのに根拠のない想像の未来のために、愛する恋人に別れを告げるなんてもっと悲しいとも思いました。
もしもこの世界にリュミヌーとギルバートの二人だけしか存在しなかったならば、どんなに素敵でしょう。彼の心がリュミヌーの元から離れ、どこかへ行く心配なんてないのに、そうリユミヌーは思いました。しかし実際は星の数ほどの人々が生きるこの世界こそが現実なのです。ギルバートの心はまるで海辺の砂浜のように、やわらかくて、崩れやすいとリュミヌーに思いました。二人でいるときは、彼の愛の誓いは何よりも固く確かなものに思うのに、美しい女性が現れるとたちまち彼の誓いはゆらゆらと揺れてしまうのからです。
「ハニ〜、久しぶりだね〜」
リュミヌーはフラメシュとお喋りを終えて、ポルポタの海岸で海を眺め一人静かに考えごとをしていました。そんな彼女のことを呼ぶ、この声の主はギルバートです。リュミヌーは「噂をすればなんとやらね」と心で呟きました。
「ギルバートお久しぶりね。お元気してた?」
「この通りさ〜。でも君に会うと会わないとでは全然違うね。さっきも幸せだったけれど、今は幸福の絶頂、そんな気分さ〜」
リュミヌーはくすくす笑いました。ギルバートのこの率直でヘンテコな愛情表現がいつも彼女の心を何やらくすぐるのです。そしてギルバートも愛おしそうに恋人を見つめては幸福そうな表情を見せました。
いつもだったら、このまま二人の世界に旅立つのですが、今日は違いました。リュミヌーの心がそうさせなかったからです。
ギルバートったら、今さっきまで何をしていたのかしら。まさかほかの女性にも同じようなことを言っていたのではないかしら!ギルバートのことだから町中の魅力ある女性に絡んでいたのではないかしら!
リュミヌーはいつもは気にしたりしないこと(気にしていたらキリがありませんから)を、今日に限って随分と考えこんでしまいました。
彼女は無言のまま、怒ったり悲しんだりと色々な表情になりました。その様子に気づいてギルバートは言いました。
「ハニ〜、どうしたっていうのさ〜。きみの表情がなかなか定まらないのはどうしてなんだい〜?」
「あら、やだわ!」
リュミヌーは、はっと我に返ったかと思うと自分の顔を手で覆いました。そしていつものにこやかな表情を取り戻すと手をどけました。
「ちょっと考え事しちゃったわ。あなたが来る前に考え事をしていたものだから、いつの間にかそっちに戻っちゃったみたい。ごめんなさいね」
「そうだったのか!ハニ〜。よかった、心配しちゃったよ。でも今はいつもの美しいきみに戻ったようだね〜」
ギルバートはにっこり笑って、恋人の手を強く握りました。こんなときはしっかり彼の愛は伝わってきます。リュミヌーは今彼を疑ってしまったことを少し反省しました。そのうしろめたい気持ちをどこかへ遠ざけるように「フラメシュがあんなこというからだわ。」と、責任転嫁しました。
彼は浮気者だけれど、たしかにわたしを愛している!リュミヌーはそんな風に自分に言い聞かせました。
いつもだったら、これで万事解決でした。といっても、また不安になるときはやってきましたが。どうやらリュミヌーの不安の種を完璧に失くすことは今までなかったのです。寄せては返していく波のように、リュミヌーの不安は何度も繰り返しやってきました。そしてこの日の不安の波はなかなか引いていきませんでした。
それでも気づけば二人は随分長く海岸でお喋りを楽しんでいました。次第に空の色は青色から美しい紫色に変わっていきました。
「ごらん、ハニ〜。瞬きするたびに空の色が変わるようだよ〜」
「あら、本当ね。素敵だわ」
「一瞬たりとも同じとき、ものなんてないのさ〜。ぼくはこの美しい瞬間をすべて見逃したくないよ〜」
ギルバートは歌うようにそう言って、変わっていく空の色を言葉通りじっと見つめていました。その間、同じくリュミヌーも空を眺めていましたが、ふと彼の言葉を考えました。
“同じとき、ものなんてない”つまり変わらず確かなものなどないということです。時は無常で、万物は流転しているということです。
ちょうどギルバートがいい例になります。それは彼の誓いは固くとも、その心は移ろいやすいということです。このことは、リュミヌーにとって、確かなものなんてないと思わせる“確かな”根拠になりました。
「リュミヌー、ぼくらの愛はこの空のように変わることはなく、でもいつも美しいままで、永遠のものだよね」
ギルバートは恋人にいいました。でもリュミヌーは返事をできませんでした。
「どうしたのさ、ぼくはそう信じているよ〜。誓いを貫くには信じる心がもっとも大切だからね」
彼の言葉にはじめのうちは「よく言うわ!」なんて感じていたリュミヌーでしたが、ギルバートの言うことは現在の彼女の不安な心にすごく響きました。(ギルバートったらリュミヌーが悩んでいることを知っているかのようでした。)
そして彼女は気づいたのです。なぜこの不安は何度も何度も繰り返し自分のもとに訪れてしまうのか。
「原因は私にあるのね」
そうなのです。この不安は愛するギルバートへの疑いから生まれてくるのです。
リュミヌーは、反ギルバートの友人フラメシュが、いつも自分をギルバートへおちないようにこの恋から醒めさせていると思っていました。しかし本当は、リュミヌー自身が自分をおちさせないようにしているのだと気づいたのです。
「だからあなたを信じられないのね……」
リュミヌーは小さな声で呟きました。幸いギルバートは気づきませんでした。
リュミヌーから不安を取り除くには、彼女自身が自分の心をすくいあげてギルバートに手渡すほかないのです。ギルバートはギルバートなりにいつだって彼女に手を差し伸べています。
先ほどまで夕暮れ時だった空はもう暗くなりました。無数の星がチラチラと夜空を照らしました。そして水平線を軸に真っ暗な海にも夜空が映り、二人の見る世界は星でいっぱいになりました。街は静まり、耳に響くのは波の音だけでした。
ああ、まるで世界にギルバートと二人っきりになったみたいだわ、リュミヌーは思いました。
「なんて静かで素晴らしい夜だろう!こんな時をきみと過ごせるなんて〜!」
ギルバートの声は静かな海岸にすっと溶け込むように消えていきます。
リュミヌーは恋人の横顔を見つめていました。
そしていくら考えても、「ギルバートが好き」という気持ちでいっぱいになりました。
くわえて、リュミヌーは念願の“世界にギルバートと二人っきり”が叶った気持ちがしているのです。それほど二人の世界には海と夜空の星以外の存在が感じられませんでした。こうなれば、彼女の心の行く末はひとつです。
「私はあなたを信じるわ。だからあなたに心をあげる。そしてあなたの心はいつだって私がすくってあげる」
「きみの心を受け取るよ〜。それにぼくの心はいつだってきみのものだよ〜。さぁ一緒に星を眺めよう」
「ええ、そうしましょう。流れ星さんはどこかしら」
二人は寄り添って夜空を眺めました。そして愛の歌を歌いました。
夜空の星たちに照らされたリュミヌーの心はすっかり愛で満たされました。今まで繰り返した不安も消えてなくなりました。
でも彼女は、二人だけの世界の中でも束の間の現実を見ました。そこで、これからもギルバートに振り回されることを前提に、ある願い事をするために流れ星を探しました。彼女はギルバートの心をつなぎとめようなど野暮なことは願いません。
リュミヌーはふいに目を閉じて、自分の心と流れ星にお祈りしました。
「どうか私がギルバートを疑ったりしませんように」
そして星はちょうどよく、夜空を横切りました。
海に映ったそれは、まるで星が海の中におちていくようにも見えました。