豆腐
「ちょっと相談したいことがあるんだけどいい?」
彼女、苗字名前は恥ずかしそうにそう言うと兵助と一緒にどこかへ行ってしまった。
苗字と兵助はそんなに親しくなかったと思う。
顔見知り程度じゃないだろうか。苗字とは俺の方が親しい。
食堂で茶菓子を食べながら雑談する程度には親しい。
兵助なんてなんの接点もないよな?
別に彼女のことを意識したことはないが、なんだか心がもやもやして落ち着かない。
俺は雑談相手にはなっても相談相手には物足りないのだろうか。
いや、違う。
彼女は恥ずかしそうにしていたし、何か色っぽい事情なのだろうか。
彼女のあんな顔、俺は知らない。
…。
考えるのは止めよう。
仮に苗字が兵助を好きだったとして俺に何の関係がある?
何もない。
ただ茶菓子を食べながら雑談するだけの間柄のだから。
…だけどなんだ、このもやもやは。
これじゃまるで俺が苗字の事を好きみたいじゃないか。
二人は何を話しているのだろう。
二人が恋仲になったら俺はどうしたらいいんだろう。
もう苗字とは茶菓子も食べない方がいいのかもしれない。
少し寂しいけど。
兵助とも遊びに行く時間が今より少なくなるのか?
やっぱり少し寂しいけど。
でもうまくいって欲しい。どちらも大切な友人だから。
うん、うまくいって欲しい。幸せになって欲しい。
俺はそう思ってるはずだ。そう思うべきだ。
「ただいま」
兵助が戻ってきた。なんだか嬉しそうだ。
「なんだったんだ?」
素知らぬ顔で聞いてみる。
「それが、彼女豆腐に関心があるみたいで色々教えてくれって言われてさ!」
豆腐に興味を持ってくれるなんて今時いい娘さんだよ、と兵助は答えた。
それは兵助に近づきたいための口実なんじゃないだろうかと思ったけど「そうか、告白をしたわけじゃないんだ」そう思うと少し心が軽くなった。
それからというもの、苗字と食堂で茶菓子を食べると云う事もなくなった。
彼女は最近豆腐ばかり食べているようだった。
彼女は兵助に告白をしたわけじゃないけれど、いやだからこそ他の男と一緒にいて誤解されるのが嫌だったのかもしれない。
なんだか体よく避けられているように感じて少し寂しかった。
そんな事も2か月もすれば忘れられる、と思ったら意外とまだ気になっている自分に驚いた。
あれから苗字と兵助の二人は何の進展もないようだった。
「あれ?苗字こんなところで何してんの?」
苗字が食堂で大福を食べていた。
甘い餡がぎっしり詰まったおばちゃん特製の大福だ。
「うどんでも食べてるように見える?大福食べてるの。尾浜も食べる?」
勧められるまま俺は大福を食べる。甘くて美味しい。自然と頬がほころぶ。
でもそれは大福が美味しいからだけではない。
「こうやって一緒に食べるのも久しぶりだな。苗字はお菓子が嫌いになったのかと思ったよ」
少し茶化す様に言うと苗字が恥ずかしそうにしながらこう言った。
「お菓子が嫌いになるなんて、そんなことない!最近は、その、ちょっと体重が…」
言いづらそうにぼそぼそと言っていたが、つまり太ったから痩せる為に甘いものは控えカロリーの低い豆腐ばかり食べていた、と云う事だったらしい。
なんだそれは。俺の杞憂はなんだったんだ?!
「…なにそれ」とつい口に出てしまっていたらしい「女の子には重要なことなの!」と怒られた。
「全然気にすることないじゃん」
「煩い!気になるの!」
俺はもっといろんな事を気にしちゃったよ、と心の中で呟きながら兵助の事は何でもなかったのかと思うと自然と笑みがこぼれた。
「何笑ってんの?尾浜にはわかんないかもしれないけど私には重大なことなんだからね!」と顔を赤らめて言い放つ彼女をなんだか愛しく感じた。
「苗字は可愛らしいね」と言うと「おだてても大福は半分ずつだからね?」と言われた。
そうなつもりではなかったけれど「残念」と笑ってごまかした。
気付いてしまったこの気持ちを、一体いつ彼女に言おうか。
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