Race.6「ぼくはあきらめない」

大好きなコーラを片手に、
らしくなく少し緊張した面持ちでみんなの前に立つ、切原。
みんな彼に、注目する。

これから男子部新部長として、みんなに挨拶をするんだ。


「んんっ!……えー、みなさ…、」

「あー!!」


切原が口を開くと同時に、
丸井先輩が耳にキーンとくるぐらいでかい声で叫んだ。
何事!?


「仁王てめそれは俺の肉だぞ!」

「プリッ。」

「すげー美味そうだったのに!返せ!」

「ほれ。」

「きったねぇ!」


なんて醜い争い…!
二人の真ん前に座ってる松浦先輩は爆笑中。止めないんでしょうか?
かたや松浦先輩の隣のジャッカル先輩はオロオロしてる。止めれないんでしょうか?

そうこうしてると、ゴスッ!ゴスッ!という鈍い音が2発。


「いってー!」

「何すんじゃい、真田。」

「静かにせんか!」


はるか向こうからフルスピードでやってきた真田先輩の制裁が入り、ようやく二人はおとなしくなった。

今あたしは焼肉屋に来ている。
さっき役職決めの会議が終わって、その後何人かの人たちで焼肉屋にきたというわけです。

噂には聞いていたけど、男子部レギュラーはみんな焼肉が好きらしい。
だからさっきからこんな小さな争いが飛び交うんだな。
全部丸井先輩が絡んでるのが引っかかるけど。


「ちょっとちょっと、先輩たち!ちゃんと俺の話聞いてくださいよ!」

「はいはい。」

「赤也クン頑張りんしゃーい。」


ニヤニヤする先輩たちに若干、切原は膨れてる。


「なーんかやりづらいんスよねー…、まいっか。とにかく、絶対全国制覇しますんで!安心して引退してくださいよ!」

「なんつー挨拶だよ。」

「赤也クン冷たいのう。」

「相変わらずうるせーなぁ…とりあえず、お疲れっス!んで、これからもよろしくお願いしまーす!」


切原は一通り先輩たちに祝福を受けると(ボコボコに殴られてるように見えるけど)、
飲みかけのコーラと、新しいオレンジジュースを持ってあたしの隣にやってきた。


「飲む?」

「あ、あひがと。」

「口に肉詰めすぎ。」


バカにするように笑われて、
ちょっと恥ずかしかったけど、うれしかった。
切原が隣に来てくれて。
オレンジジュースを持ってきてくれて。


「そーいやあんたさ、再来週の校内戦出んの?」

「…………なにそれ。」

「…副部長なんだから一応知っとけよ。代替わりの引き継ぎイベントでさ、中等部内で試合すんだよ。新旧レギュラーは強制。事実上中等部のNo.1決定戦みたいなもんかな。」


今まで完全に無縁だったから知りませんでした。
そんなのがあったのか。うむ。


「レギュラーだけじゃないの?」

「ほぼね。補欠とか二軍のやつとかも出るけど。あんたは?」

「どーしよーかな。」


レギュラーばかりなら勝てないのはわかってるけど、
出てみたいな。


「そんでさ、」

「?」

「俺、もちろん1位狙うんだけど、」

「うん。」

「もし、マジで、1位になれたら…、」


切原はなんだか言いづらそうで、
ものすごく言葉を溜めてる。
そのちょっと緊張してる顔が、切原らしくなくて。
何を言うのか、あたしまで緊張してきた。
少しの沈黙。

1位になれたら…、
1位になれたら…?


「あっかやー!」


丸井先輩が切原の背中に飛びついてきた。ちょっと可愛い、先輩。
邪魔すんなよって思ってるのが、切原の顔見てすぐわかった。


「もーなんなんスか!」

「これから打ちいかねぇ?」


8時過ぎ。
学校入っていいんだろうか。
でも幸村先輩たちもいるからいいのかな。
幸村先輩がいたら、一番無敵な気がする。


「行くっス!」


うれしそうな顔して即答した切原を見て、あたしもうれしくなった。
さっきまで練習してたのに、
本当にテニスが好きなんだなって。


「亜季も行こうぜ!」


焼肉パーティーはお開きになり、みんなで学校に戻った。



その後の部室にて。
あたしはまるで、ライオンに追い詰められた崖の上のうさぎのように。壁を背に固まっている。

それはみんなで学校に戻ってきて、さあ着替えようとしたところだった。


「無理っス!」

「無理じゃないって!」


外からは、すでに打ち始めてる切原や丸井先輩の声が聞こえてきた。
あたしも早いとこジャージに着替えて打ちたいんですが、


「亜季ちゃん、これ履いてみてよ!」


松浦先輩が嫌な笑顔でスコートをあたしに押し付けてきたんだ。

このスコートは、女テニレギュラーだけが履くことのできるもの。
当然、あたしは履いたことがない。
もちろん、レギュラー以外で自前のスコートを履いている人もいるけど、
あたしにはそんな勇気がなくて。

だって、パンチラどころの騒ぎじゃないっスよ。
もちろん中に履くけど。
割と恥ずかしがり屋のあたしにはパンツ見えるとか以前に無理で。
レギュラーにはなりたいけど、これはちょっとなぁって、正直思ってた。
まぁテニスやる以上は避けれないものだけど。


「大丈夫!亜季ちゃん似合うよ!色白だし!」


似合う似合わないは関係なさそっス。
もし今が普通の練習中みたいに男女バラバラならいいけど、
今は…、

今は、いるから…、


「そんなにスコート嫌い?」


高山部長まで寄ってきた。
今更だけど、あたしはこの二人の先輩が大好きだ。
切原にとっての、丸井先輩や仁王先輩みたいに、
あたしもこの二人は素敵な先輩だと、心から思う。

だからでしょうか、断固として拒否できないのです。
しかも、素直に理由まで滑らせてしまいます。


「………男子が、いるから…、恥ずかしいです。」


あたしが呟くと、二人揃ってあたしに抱きついてきた。


「「かわいーっ!」」


……は?
いやいや、そんなお二人さんのが可愛いっス。


「千夏!これはますます履いてもらわなきゃね!」

「だね!あー絶対赤也くんに見せたいっ!」

「バカ!しっ!」

「おおっと!」


赤也くんに?今赤也くんにって言った?


「あ、あの、先輩今…、」

「さぁ亜季ちゃん、スコート履きなさい!部長命令よ?」


仁王先輩の彼女だから性格がいい。
それはどうやら間違っていたようです。
というより、仁王先輩に似てきたんでしょうか。
仁王先輩、恨みます。

そして二人に引っ張られ、コートに出た。
コートでは、丸井先輩とジャッカル先輩対切原と仁王先輩でやってた。


「お、やっと来た来た!…あ、亜季レギュラースコートじゃん!」


1秒でも遅く気付かれたかったのに、さっそく丸井先輩に突っ込まれてしまった。

丸井先輩が似合うじゃんって言ってくれたのはうれしいけど、とってもでかい声だったから、
他の人の目もあたしに向けられてしまった。

切原は…、
わかんない。切原のほうは、死んでも見れない。恥ずかしすぎて。

せめて夜でよかった。
あたし今顔真っ赤な気がする。
…何の拷問ですか。


「ククッ、赤也、口開いてるぜよ。」


仁王先輩のそんな声が聞こえた。
開いてないっスってでかい声が響いて、
もしかして、あたしを見てだったりしてって、
ずいぶん自信過剰に思った。

そんなそわそわ落ち着かないまま、隣のコートであたしたちは各々試合を始めることにした。



「飲み物買ってきます。」


何試合かした後、空き時間に、飲み物を買いにコートを抜け出した。
歩きながら、ふわふわ浮き上がるスコートを見て、
何だか可愛いなと、自分でも思い始めてきた。

確かに先輩たちが履いてるのを見て可愛いなーとは思ってたけど。
憧れのユニフォーム。
だんだんうれしくなってきた。
いつか、公式戦で、これを…、


―ガチャン…


自販機に着くと、先客がいた。
暗くて、一瞬誰だかわかんなかったけど、すぐわかった。

この人だといいなって思いつつ、
この人だったらどうしようって。
頭の中を過ぎったから。


「き、切原。」

「ん?…おー。」


なんかやっぱり恥ずかしいや。
足、隠したい。


「休憩?」

「ああ。」


切原は、自販機の横のベンチに座った。
なんか、さっきまでうるさかったくせにちょっと大人しい切原が変に感じて。

本当なら早くコートに戻りたかったけど、
あたしもジュースを買ってベンチに座った。切原の隣。
切原に、このスコートのことなんか言われるかなって、ちょっと期待してる。
この人が褒めるとは思えないけど。
レギュラーじゃないくせに何履いてんスかーとか、そんなんでもいいって、ちょっと期待してる。

でも切原はしばらく無言で。
どうしたんだって、心配になってきた。
はしゃぎすぎて疲れたのかな。
今日は蒸し暑いから。


「あ、切原。」

「ん?」

「さっき言ってた、校内戦で1位になれたらって話。続きは?」


あー…って、切原は何となくばつが悪そうにした。
タイミング悪かったかしら。


「…1位になれたらさ、」


そこまで言うと、切原はうーんって、苦しみだした。
前もこんなふうにもがいてたなぁって思い出した。

虫の声がいい感じに聞こえる。
今日は蒸し暑いけど、これから涼しくなっていく。夏が終わる合図。
切原の言ってた校内戦、それが終わったら、完全に三年生は引退。
もちろんあの先輩たちなら毎日変わらず練習には来るんだろうけど。

三年生の引退は、夏の終わり。
この暗闇に、そんな雰囲気や気持ちが相俟って、
切原の、二人のときバージョンの男らしい感じが、
やけに際立つ気がした。
だからですか?ドキドキするのは。


「…お願いしたいことがあって、」

「なに?」

「いや!だからそれは1位になってから言うっス!」

「1位にならないと言えないの?」

「だって、1位じゃないとカッコつかねー…あ、いや!」


またまた何が言いたいんだ、うさぎさん。
ま、あんま問い詰めても。

それより、ちょっと元気になってきた切原を見て、
あたしも元気になってきた。
いつの間にか、元気な切原があたしの元気になるようになってた。


「よかった。」

「へ?」

「切原さっきちょっと元気なかったから、でも普通になってきた。」

「あー…、元気なさそうだった?」

「うん。大人しかった。」


らしくなかったよーって付け足したら、
頭をグシャグシャにして再び苦しみだした。
切原は本当素直だから、苦しんだり悩んだりしてるのがすぐ出るんだろう。


「あのさ、俺、さっきから、」

「うん。」

「あんたがレギュラーじゃなくてよかったって、思ってて。」


………はい?
それはけっこう意味不明というか。
あたしにはグサリとくる言葉というか。


「な、なんでっスか?」

「あ、いや、別に悪い意味じゃないんスけど…、それ…、」


そう言って切原はあたしのスコートを見た。
いきなり目を向けられて、
恥ずかしさがまた復活した。


「履いてほしくないっつーか…、」


今ここに部室やトイレがあったらあたしは間違いなく駆け込んでる。
恥ずかしさと、切原に否定された悲しさに、
一瞬で泣きそうになったから。

褒めてくれなくてもいい。
でも、やっぱり褒めてほしかった。
そんなワガママな今のあたしにはこれは、重すぎた。


「え…!ちょ、ちょっと!何泣きそうになってんスか!」


あたしが俯いたままでいると、切原はうろたえ始めた。
あなたのせいっス。バカめ。


「だってあたしのスコートは見苦しいって…、」

「だー!もう!勘違いしてる!」


勘違い?何が勘違いなんだ?
わけがわからなくて、搾り出すような次の切原の言葉を静かに待った。


「えーっとつまり…履いてほしくないってゆーのは…、その…、他の男に見せたくないからであって…」

「…………はぁ?」


しかめっ面で返したあたし。
たぶん彼が思ってた以上にあたしが冷たかったからだろう、
ビビったのが、わかった。ざまぁ。


「だからぁ、他の男には見せたくねぇ!でも、俺は見たい!」


全国の女の子ならみんなあたしと同じ意見になるでしょう。


「…変態?」

「違ー…わねーのか?いやいや、とにかく、俺は亜季のしか見たいとは思わねーよ。だから変態とは違う、絶対違う!」


“赤也くんに見せたい”


さっきの先輩の言葉を思い出した。
あたしは勘は鋭いから勘違いでなければ……、
勘違いで、なければ?


「は、早く、コートに戻らなきゃ!」

「へ?…あー、ハイハイ。」


切原の顔は見ないように、あたしは立ち上がった。
このままここにはいられないと思った。

だって、あたしの顔、体、
やばいっス。どうしよう。
これからうちら、どうにかなるんだろうか。
彼が今まであたしにくれた優しさや言葉。
思い返すと、当てはまる。
この、仮説。

それは期待であって、願いだと、
今のあたしには、はっきりわかる。
のろいけど、
のろいながらも進んできたあたしの心。
どこに向かってるのか。
誰に、向けられてるのか。
わかってきたんだ。


「亜季、」

「は、はい!」


不意打ちに後ろから切原に呼ばれ、文字通り地面から跳びはねた。


「それ、すっげー似合ってる。マジ可愛い。」


今いる場所は、コートからの照明のおかげでちょっと明るい。
それ以上に明るい、切原の笑顔があった。


「公式戦でも履けるように、頑張んなきゃな!」


あたしの夢。
無理だとはわかってても、あきらめたことはない。

さっき気付いてしまった、気持ちは、
かつては同じぐらい無理なことだったかもしれない。
でも、たどり着きたい。
あたしは少しずつ、前に進んできたから。

今のあたしなら、たどり着ける。


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