その手にキスして

「ハイ!これ雪菜先輩に!」


中3の9月だったか。部活を引退して少し経った頃。赤也たち一個下が沖縄へ修学旅行に行き、帰ってきたときのこと。

赤也は真っ先に私に、お土産を渡しにきてくれた。…ただ。


「…違うよ!」

「え?違った?」

「私が欲しかったのはー…」


立海では修学旅行は沖縄と決まってて、私もそのちょうど一年前に行ったばかりだった。そのとき、帰り際に買おうと思っていたのに、時間がなくて買えずに後悔したお土産があったんだ。

それを赤也に頼んだのに、まんまと間違えたというわけ。赤也らしいと言えば赤也らしい。


「スンマセン!」

「もういいよ。これもこれでうれしいし」

「いつかまた沖縄行ったら、絶対買ってくるっス!」


お土産なんだから文句なんて言えないのに、私は赤也をちょっと責めてしまった。もういいなんて言いつつうれしいなんて言いつつ、顔を見ればそれは口だけだろうと赤也でもわかったらしい。私を宥めるように、謝りながらヘラっと無邪気に笑った。

この時点で、私のほうが赤也よりもずっと子どもだった。



「そろそろ目的地っスよー!」


弾んだ声の赤也に起こされた。あろうことか私は、せっかく誘ってもらったデートだと言うのに助手席でうたた寝をしてたんだ。どこをどうとっても最低な女である。

…朝早いのに昨日なかなか眠れなかったんだよね。なんか遠足に行くみたいで楽しみで。言い訳だけど。


「…あ、水族館?」

「そう!」


休日ってこともあってか、そこそこ混んでる駐車場で、警備員に誘導されつつ駐車した。

運転もうまかったけど、駐車もなかなかお上手で。女子がときめくシチュエーションとしてありがちな、とてもスムーズにバックを使いこなす赤也の横顔に、また私は見惚れていた。


「…あー、ちょっと曲がっちまったか」

「……」

「まあいっか。…って、雪菜先輩」

「え?」

「別にぶつけたりしないっスから、そんなじーっと見ないでくださいよ。緊張しちゃったじゃないっスか!」


どこが曲がってるのか全然わかんないけど、それよりも赤也をじっと見つめ過ぎてて、またも赤也は少し照れたように笑った。…助手席からガン見とか、まるで教官みたいになっちゃったかな。見惚れてただけなんだけど。


「それより、水族館っスよ!ここ!」


エンジンを止めて、赤也は外を指差した。


「…あんまうれしくなかったっスか?」

「いやいやいや、まさか!」

「ほんと?今なら変更できますけど…」

「ダメ!ここがいい!」


少し反応の鈍かったらしい私に、赤也は心配になっちゃったんだろう。でもほんとに変更なんてとんでもない。だってめちゃくちゃうれしいから。


「さっきね、昔のこと夢で見た」

「昔のこと?」

「赤也がお土産間違えたやつ」


てくてく歩いて、水族館の入り口までやって来た。やっぱり休日だからか、混んでることは混んでる。
でも、周りはデートらしきカップルや親子連れ、男女のグループなど、みんな楽しみにしているような笑顔でいっぱい。

うちらもきっとそうだ。


「ハイハイ、あの修学旅行のやつっスね〜」

「あのときはごめんね」

「イヤイヤ!俺こそほんと、肝心なところで間違えちまって」


今さらだけど、あのときは後々後悔したんだ。なんでもっと優しい対応ができなかったんだって。

それと“今”が少し重なって、水族館だって気づいたときはびっくりしちゃった。


「さぁ行きますか!」

「うん!」

「俺としてはリベンジも兼ねてますんで!」


入場券を握りつつ、赤也はそう笑った。リベンジというのは、あのお土産のことだろう。沖縄の水族館で買って来てとお願いしたアレ。


「売ってるかなー」

「売ってますって!たぶん」

「頑張って探そう!」

「ういっス!」


私が欲しかったお土産は、“イルカまんじゅう”。赤也が買ってきたお土産は、“イルカせんべい”。まぁ和風だし、なんとなくシブいってことで赤也は間違えたんだろうな。ほんとに小さな些細なこと。

赤也は自分のリベンジだと思ってるかもしれないけど。私こそ自分のリベンジだと思って、赤也との今日を思いっきり楽しもうと思った。


順路通りに回り、タイミング良くイルカショーも見ることができた。


「すごかったね、イルカ!」

「ね!イルカってすっげー賢いんスね!」

「ね!イルカ飼えたら楽しそうだよね!」

「すげー楽しそう!飼えるんスかね!」


私も赤也も、もしかしたらイルカより頭悪いかもしれないバカっぽい会話だけど。でもそれは語彙力がないだけで、お互い楽しさ絶好調であることは間違いなかった。


「…ぅわわ!」


そのイルカショーの会場から出ようと、階段を上っていると。水に濡れていたのか、滑って転びそうになってしまった。

でも、後ろからついて来ていた赤也に、ガッシリと抱えられた。


「大丈夫っスか?」

「…う、うん、大丈夫」

「ちゃんと足元見とかねーと危ないっスよ!」


ハハッと赤也が笑い、私も自分のマヌケぶりに笑いたいところだけど。
階段一段分違っても、赤也のほうが高い。私の目の前に赤也の口元がある。
…ドキドキする。


「先輩危なっかしいんで」


大きく笑っていた口元は、控えめな微笑みに変わっていた。それと同時に、私の右手が赤也の左手に包まれる。


「これで安心」


そう言った赤也は、私の横へ上り、すぐに一段追い抜かした。そしてそのまま、優しく手を引っ張った。突然のことで少し固まってしまった私も、それで何とか上りきれた。


「ヤだったら突き飛ばしてもらっていいっスよー」


歩きながら、ヘラヘラと笑って赤也は言った。昔と変わらない。ワガママだけど、誰かのワガママも笑って受け入れようとする。
…誰かの、じゃないか。主に私のだ。


「ううん。…このまま希望」


ちょっと小さい声になっちゃったけど、ちゃんと赤也には聞こえてたらしい。無言だったけど、ただ握っていただけの手から、ゆっくりと指先が絡み合った。

そのあとも引き続き回り、お土産屋さんでは念願だった“イルカまんじゅう”も手に入れることができた。かつての物とは種類も違うんだろうけど。
赤也にとっても私にとってもリベンジのはずが、それはもうついでのようになってしまい…。

繋いだ手のほうが、ずっとずっと上回る思い出になった。


「今日はありがとね。ほんと楽しかった!」

「いーえ!俺こそ楽しかったっス」


帰りも行きと同じ道で、赤也は私の家まで送り届けてくれた。
家のそばの道路で、もちろん路駐はよくないんだけど…。じゃあね〜と、なかなか私は外に出られない。

別に赤也に引き止められてるわけじゃない。ただ単に、私がまだ赤也と一緒にいたいなんて、そんなワガママを考えてるから。

そんなこんなで、数十分ぐらい、この車の中で他愛ない会話を続けていた。
その会話が少し途切れたとき。そろそろ帰らないとダメなのかな、赤也もなんでコイツまだ出て行かないんだろとか思ってたりして、なんて思い始めたときだった。


「…さすがに」

「え?」

「家にまでお邪魔するつもりはないんスけど。たとえ誘ってもらっても遠慮しますけど」


そんなことを言われてドキッとした。
確かに、今この年齢で、しかもちょっといい感じの男女が家に二人きりとか。それがどういう展開に向かうかは自然とわかってしまうものだ。

それでもまだ赤也と一緒にいたいと、私の気持ちはそんなふうになっちゃってる。


「…帰したくねぇなーって、思ってて」

「……」

「あー別に、返事を急かしてるとかじゃないんで!」


返事、というのは、こないだ赤也が言った“チャンス”の件だろう。付き合ってくれと、そう言われたわけではないけど。


「正直、柳先輩への気持ちは今どうなんスか?雪菜先輩の、今の気持ち」


赤也がはっきり言わないのは、私の気持ちを配慮してに決まってる。ついこないだまでは柳に対しての気持ちが残ってた、もしくは再燃した、というように捉えてると思うし、それはまったく間違ってない。

私の柳に対する気持ち、か…。
もしも、柳に彼女がいなかったら?私はそれでも赤也を選んでた?
結局は、元カレがダメだったから自分に好意を寄せてくれる人に惹かれてるだけなんじゃないの?

今日ずっと感じてたドキドキも、まだ一緒にいたいって気持ちも、全部自分の都合のいいほうに流されてるだけ?


「…先輩?」


自分でもはっきりと答えを出せない。こういう感情は、もしかしたら付き合い始めたときの柳と同じなのかも。

でも、大切だとかなかなか会えなくても支え合えればなんて、そんな殊勝な心は、大人になった今だからこそ難しいように思える。

ぎゅっと赤也の左手を握りしめて思った。私は今、こうしていたいって。煮え切らない勝手な気持ちだけど。


「雪菜先輩…」


ぎゅっと、赤也からも手を握り返されたと思ったら。逆側の手が私の肩に回され、顔も近づいてきた。これでいいのか、やっぱりちゃんと話し終えてからじゃないとダメなんじゃ…、そう感じたことを行動に移せるほど、冷静ではなかった。
ただ、近づいてくる赤也にドキドキして、手にばかり力がこもる。

でもそもそもそんな必要はなかったみたい。
赤也は私の肩に、トンと頭を乗せただけだったから。そして次の瞬間、少し拗ねてるような声が聞こえてきた。


「俺今すんげーー我慢してるんスけど」

「…ご、ごめん…!」


ほんとにそれはごめんだと思った。はっきりしないくせに、密室で手を握るなんて甘えた行動をとって。相手が相手なら、そのまま進んでしまう状況だ。


「…やっぱ敵わないんスかねー」

「え?」

「俺はいくつになっても勝てないんスかねー、柳先輩に」


中学の頃、入部以来赤也は柳にテニスで勝つことはほとんどなかった。噂によると、U-17の合宿が始まるときに対戦して、赤也が勝って合宿に残留できた、なんて聞いてたけど。
結局は、柳が赤也に譲ったというのが真相らしい。


「今も昔も、譲られる気なんてサラサラないっスけど」


赤也は顔を上げて私をじっと見た。真剣な目に吸い込まれそう。


「先輩、一回柳先輩に全部ぶちまけてみません?」

「…ぶちまけ?」

「引きずってたこととか。今も好きかもしれない…は、彼女サンに悪いんで、とりあえず吹っ切ることが目標な感じの」

「……」

「これからも雪菜先輩がずっと、しこりっつーの?そういうの抱えていくの、俺もヤだし」


まだ繋がれたままの手に、ぎゅっと力がこもる。

赤也の今言ったこと、それがいいことなのか悪いことなのか、わかんない。私はスッキリできるのか、赤也は嫌じゃないのか、柳にだってその彼女にだって迷惑じゃないのか。
いろんな人の気持ちがあるから、わからない。

わからないけど、でも、赤也は今けして強引なことはしないし、私のこれからのことを考えて提案してくれてる。
私のことを想ってくれてる。それだけははっきりとわかる。


そのとき。ほんとにほんとに偶然だった。そんなことまったく予期していなかった。
私の携帯に、登録されていないアドレスからのメールが届いたんだ。ただ、登録はされていなくても、並ぶイニシャルらしきアルファベットや数字に、すぐ連想される人物がいる。

そして名刺代わりの件名を見て、うれしさでもときめきでもなく、胸が騒めいた。
赤也も黙って私を見ていた。

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