ごめん
俺は別に人からどー思われてるとか気にするタイプじゃない。誰が何言ってようと、そんなの知らねぇ勝手に言ってろ、そういうスタンスだ。
俺は別に無駄に優しさを出すタイプでもない。困ってる人見ても、まずは自分で何とかすれば?、そう思う。
「うわっ、最悪」
英語の小テストで立て続けに赤点。次取ったら1ヶ月間毎朝7時から補習だって先生に脅されたもんだから、今日は部活が休みなのに図書室で6時まで勉強してた俺。
滅多なことするもんじゃねぇな。いつの間にかどしゃ降りで下駄箱から一歩も出られねぇ。降り始めたときさっさと帰りゃよかったぜ。
誰かに入れてもらおうにもテニス部のやつはいねーし。忘れ物だかまだ帰ってないやつのもんだか、傘立てには何本か傘が残ってるけど人の物パクるほど俺は悪人じゃねーし。
どーしよう。
「傘、ないの?」
後ろから声かけられて振り返ったら、隣のクラスの名字サン(だっけ?)がいた。入り口でぼさっと突っ立ってる俺を見て、すぐ傘がなくて困ってることに気づいたんだろう。
「あー。スゲー雨だしどーしようかと思って」
「あたし2つ持ってるから1つ貸してあげようか?」
名字サンは、手に持ってたピンク色の傘を俺に差し出した。いかにも女の子チックなやつ。俺なんかが持ってたら、絶対先輩たちに笑われそうなやつ。
「え、でも」
「ほら、あたし折り畳みのも持ってるんだ。こっちのは花柄だから、これのほうがいいでしょ」
そう言って笑った名字サンは、カバンからその花柄の折り畳み傘を見せた。確かにそれよかこっちのがいいけど。
「いつでもいいから」
「あ、ちょっ…」
「じゃあね、切原くん」
今まで話したことはなかったけど、俺のこと知ってたんだ。
女のくせに歩くのが速いんだか、名字サンはあっという間にどしゃ降りの中、消えていった。
ピンクの傘なんて恥ずかしいけどよう、せっかく貸してくれたし。俺も濡れんのやだし。
貸してくれた傘をさして、帰った。
もしこれが逆の立場だったら。俺が傘2つ持ってて、名字サンが傘なくて困ってたら。
俺は絶対貸してない。だってしゃべったことねーし。相手も俺のこと知らねぇと思ってたし。優しい人とか思われてもしょうがない、自分で何とかすればって思う。
俺とは違って優しいやつなんだな。
家帰ったらさっそく姉貴に冷やかされた。やっぱり借りなきゃよかった、助けてもらったくせに、そう思った。
次の日は晴れた。いつでもいいって言ってくれたけど、次いつ雨降るかわかんねーし。大体、中学にもなればけっこうみんなビニール傘とか壊れてもいいような適当な傘使ってんのに。このピンクの傘はずいぶんきれいで、ネームプレートもちゃんと付いてたからきっと気に入ってて大切に使ってんだろうと思って。早いとここの傘を返そうと思って学校に持ってくことにした。
となるとやっぱり花柄でもなんでも、カバンに入れられる折り畳みのほう借りときゃよかったと思った。デカイこのピンクの傘は、思った以上に目立つ。
おまけに今日は快晴。傘を持ってるってだけで目立つ。
そんで俺にとって、一番起きて欲しくない事態が起きる。
「よー赤也」
声がしたほうを向くと、クラスの友達だった。
「お、おう」
「今日朝練ねぇの?」
普通に仲のいいやつだけど。どっちかっつったら悪友。あんまいい性格はしてない。俺に言われたくねーだろうが。
嫌な予感がして、俺は咄嗟に傘を体の後ろへ隠した。
「今日は休みだから」
「へー、珍しい。…つーか」
そいつの視線が明らかに後ろに隠した傘へ向いてることに、今さらながら気づいた。
「お前何で傘持ってんの?」
あー、やっぱ突っ込まれるよな。おかしいもんな、こんな晴れの日によう。しかもピンク。ダセーことこの上ない。
「あー…っと、これは…」
「しかもピンク?え何誰の?お前のじゃねーよな?」
まさか隣のクラスの女に借りたなんて言えねぇ。
昨日、クソ姉貴にからかわれたことが頭の中で蘇ったから。
「赤也誰のそれ?何女の子の?もしかして好きな子?あ、相手が赤也のこと好きなの?やだー照れちゃって!好きなんでしょその子のこと〜!」
なんですぐ好きだの何だのになんだよクソ女。
俺は好きじゃねーし。話したこともねーし。あいつもただ優しいやつなだけだろうが。
「…これ、姉貴の」
「は?」
「壊れてっから、捨ててきてって」
咄嗟の嘘だったけど。近くにゴミ捨て場があるのが目に入ったから。
最もらしい話になっちまった。
「へー」
そいつはたぶんその話を信じた。信じたっぽかったから、俺も言った通りのことをしなきゃなんなくなって。
道端のその汚ならしいゴミ捨て場にピンクの傘を、投げ捨てた。
「俺もよく兄貴にパシりにされんだよなー」
「…あ、ああ、お前も弟だっけ」
「そー。こないだもさー」
そこからその友達と適当に会話して学校に向かった。
けど、正直会話の内容は覚えてねぇ。
どんどん離れてくのに。もうどんな傘だったかもはっきり思い出せないのに。
投げ捨てられたあの傘が、後ろから俺を悲しそうに見てる気がして。俺の背中に突き刺さってて。
一度も振り向けなかった。
「うわっ、最悪」
あれから一週間が過ぎた。
一回だけ、赤点は免れたものの、結局また赤点を取っちまって補習だと脅された。そんで例によってまた図書室でずっと勉強してたわけだ。
滅多なことするもんじゃねぇな。またどしゃ降りじゃねーか。そんなに俺が勉強すんのがおかしいことか?
また傘はねーんだけど。それより何より、あの日のことを思い出しちまって。気分良くねぇ。
どーしよう。
「……あ」
あの時とおんなじシチュエーションで、声が聞こえたほうをあの時とおんなじように振り返ったら。
やっぱり、名字サンがいた。
そんで右手にはあの時とおんなじ。ピンクの傘を持ってた。ドキンと心臓が跳ねる。
あのあと俺は、さすがに罪悪感に耐えきれなくなった。別に名字サンに嫌われようが知ったこっちゃねぇ。大体俺は、悪魔だの何だのとずいぶん評判は悪いほうだ。今さらそんな人からの評価なんてどーでもよかったけど。
後ろからずっと突き刺さってたのは、別にピンクの傘の怨霊なんかじゃなくて。
名字サンがあの時くれた優しさだって、気づいたから。
休み時間にあのゴミ捨て場まで、取りに行った。
でももう、あの傘はなくなってた。
ゴミ回収がきたのか、壊れてもないキレイな傘だったからどっかの誰かが持ってったのか、わかんなかったけど。
名字サンが見つけちまったんだ。
「あ、あのよ…」
「……」
俺がその傘捨てたって、さすがに気づいてるよな。
マジで俺、なんてひでぇことしちまったんだ。
名字サンの顔は見れなくて。何て言って、どう言い訳すればいいのかわかんなくて。
しばらく沈黙が続いた。
「それ、傘…、ご……」
ようやく俺が言葉を絞り出せたと同時。
名字サンは、俺の横を無言で通り抜けた。
そしてピンクのあの傘を広げて、どしゃ降りの中、消えていった。
やっぱり足速ぇ。おまけに今度は走ってった。
俺から逃げるように。
あとたった3秒。俺の口から出るのが早かったら、伝わったかもしれない。
伝わらなくても、耳には届いたかもしれない。
許してもらえなくても、罪悪感を拭いたいだけの自己満足でも、
俺は言わなきゃいけなかった。
人からどー思われようが、何言われようが関係ねぇと思ってたのは俺自身なのに。
ピンクの傘持ってようが女から傘貸してもらおうが関係ねぇと、そうは思えなかった俺はガキだった。
そして優しくない俺は、優しい女の子を傷つけた。
言わなきゃいけないことを言えなかった俺は、話したこともなかった彼女ともう二度と、話せることはないと思う。
雨はちっとも弱まる気配がない。
下駄箱から出れない俺は、立ち尽くすしかなかった。
「ごめん」
優しさが痛かった
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