恋せずにはいられない
夜中の1時過ぎ。夜寝ているときは携帯はサイレントにしてるけど、何となく光が目に入って気付いた。携帯、鳴ってる。
「もしもし」
『こんばんは風邪引いた』
なんつー挨拶だよ。こんばんはもいいけど電話とるときはもしもしが基本だよ。
「まじかー。じゃあおやすみ」
『熱出た』
「あーそれ風邪だよ風邪。じゃあおやすみ」
『優しくないのう』
しょんぼりした声を出したって無駄だよ。その手は先週使ったでしょ。
この電話の相手、仁王雅治は、大学に入ってから知り合った同じクラスのやつ。実は中、高も同じ立海だったけど、クラスも部活も違うし共通の友達もいないしで全然絡みはなかった。
大学入って同じクラスになって、オリエンテーションのときにちょっと会話したぐらい。そのとき何を話したかも覚えてないのに、あっちは勝手にあたしと友達になったと勘違いしたのか、それからやたらと電話してくる。しかも特に用もないのか、意味不明なことばっか。先週だって風邪引いたから見舞いこいって言われて行ったらピンピンしてたし。突然人生ゲームがしたくなったんじゃって朝まで人生ゲームに付き合わされて。もちろん、二人で人生ゲームなんておもしろくもなんともない。
『見舞いは?』
「やだよ。何時だと思ってんの」
『明日授業午後からじゃろ』
「何で知ってんの」
『知っとるよ、お前さんのことなら何でも。例えば明日乗る電車の時間は12時36分っちゅうことや、今日食べたお昼ご飯は冷やし中華ごまだれ味のきゅうり抜き、今着てるパジャマはいちご柄……』
「やめて!なにそれ怖い!」
ククッと笑った声が耳に騒めいて完全にホラーだ。メリーさん?あなたあたしのずっと後ろについてメリーさんごっこするつもり?
仁王は気に入った相手にストーカーするって聞いた。相手は誰かわかんないけど、中学時代は執拗に観察して、ついにはその相手に変装してテニスの試合をやってたって話だ。怖い、怖いよこの人!今度はあたしに変装するつもり?
『ちゅうわけでうちに来て』
「全然理由になってないし。むしろ怖いから行かない」
『来て』
「やだ」
その後数分、来て、やだ、の繰り返し。何なのこの人、なんでこんなにわがままなの?ていうか、もっとクールなやつかと思ってた。ギャーギャー騒ぐタイプじゃないし、どちらかというとおとなしめな。
でもそんなイメージも、ここ数週間で完璧に崩れた。
『じゃあ、どうしたら来てくれるんじゃ?』
「どうもこうもない。行かないもん」
何で行くこと前提になってんだか。まぁ、仁王は一人暮らしだから寂しいのはわかる。眠れない夜とか静まり返った部屋とか、ずっと実家暮らしのあたしには考えられない。
そういえばこないだ仁王ん家に行ったって友達に話したらずいぶん驚かれたっけ。一晩中二人っきりで、まさか何もなかったわけじゃないでしょうね〜…とか。そのまさかだよ。仁王はあたしを女として見てないだろうし。別にあたしも何か期待して行ったわけじゃないけど。ていうか、仁王とあたしがそんな雰囲気になるなんてナイナイ。ギャグだよギャグ。
『実は俺、風邪なんじゃ』
「さっき聞いたよ」
『…ちゅうか俺、名前に会いたいんじゃけど』
少しの間の後、仁王は小さく呟いた。
顔がいいのは認める。声も素敵。だからか、耳に響いたちょっとかすれたその声が、本当なんだか嘘なんだかわからなくて。
いつもの仁王なら嘘だって、疑う余地もないぐらいなのに。なんでかな。
「会いたいって……、言われても…さ」
『好きじゃから、名前』
今度は嘘だとはっきりわかった。
電話越しに、少し漏れた笑いの声が聞こえたんだ。それに、さっきの“会いたい”よりも、いやにはっきりした口調。どぎまぎしたあたしとは対照的に、躊躇いはひとかけらも見られなかった。
“騙すときに必要なのは、躊躇わないことと少しの演技、それと信じてくれる相手じゃ”
こないだ風邪って騙されたとき、仁王はバカにするように笑ってそう言った。殴りかけたあたしにストップをかけたのは、見渡す限りに寒々とした部屋。しばらく仁王はここに住んでるはずなのに、なぜか住んでる感じがしなかった。きれいなのはもちろん、あたしだったらもっとかわいらしい部屋にとか、寂しくないようにいろんな家具も揃えそうだけど。仁王の部屋は、明日引っ越しますって言ってもおかしくないぐらい、さっぱりした部屋だった。
もしかして家にあんま帰ってないのかも。その家が好きじゃないのかも。いつも寂しいのかもって、ちょっとだけかわいそうに思った。
でもそんな回想、あたしには必要なかった。
「…やめてよ」
『……』
「言っていい嘘と悪い嘘があるでしょ」
あたしは電話を切った。ちょっと怒ったふうに言ってしまったかもしれない。
ちょっとショックだったのもある。いつもみたく笑って済ませられる話にしてもよかったのに。
あたしのことがお気に入りなんだろうってのは思ってた。迷惑だけど、面倒くさいけど、でも誰かに好かれてると感じられるのは、それだけでずいぶんと心地よい。
でもそんな気持ちもこの妙な関係も、こんなふうに嘘っぽく終わらせてしまうなんて、不愉快でもあり寂しくもあった。
…いや、やっぱり冗談でツッコミ入れてから終わりにすりゃよかった。このままだと明日から気まずいのでは。
早くも後悔しかけたあたしの携帯は、また光った。
「…も、もしもし」
『怒っとるんか?』
仁王だった。まぁこんな時間こんなタイミングなんて仁王以外あり得ないけど。
「別に怒ってるわけじゃ…」
『そうか。俺は怒っちょるから』
ブチッと、いきなり電話を切られた音が耳に響いた。
えーっと……、まさか仁王が一方的に切った感じ?電波がなくなったとかじゃなくて?
思わず自分の携帯の電波を確認したけど、普通に三本。仁王も家だろうし、今まで電波なくなって切れたことはないし。
─プップップップッ…
あたしはすぐに電話をかけ直した。いや、電波不具合だったら悪いし。…じゃなくて。
“俺は怒っちょるから”
なんで怒ってるのかなと。ただ聞くだけだ。
『…はい』
「あ、どうも…」
コール音6回で仁王はとった。すぐにとらないってことは、やっぱり仁王が切ったんだ。
「…何で、怒ってるの?」
状況的にはあたしが怒っててもおかしくないはずだ。こんな夜中に呼び出しの電話かけてこられて、会いたいって持ち上げられた後に嘘っぽい嘘吐かれて。
でも怒ってる仁王。そんな仁王になんでか、焦りを感じた。
『嘘とか言うからじゃろ』
「は?」
『どれだけ緊張して言ったと思っとるんじゃ』
それはさっきの“好き”って言葉のことだろう。これは嘘?ほんと?
…見抜けない。わからない。でも仁王は怒ってる。じゃあ、さっき言ったことも。
「マジですか?」
『信じないなら勝手にしんしゃい。じゃあな』
「あ!ま、待って!」
あたしは必死で引き止めた。なんでかって、もし仁王の言うことがほんとなら、嘘って決め付けたあたしが悪い。仁王が怒る理由もわかる。
それにさっきあたしは後悔してた。冗談に済ませてしまえばよかったって。仁王と気まずくなることを想像したら、それだけで嫌だった。
でもこの今、冗談で済ませるのも正解じゃない気がする。仁王は怒ってるんだから。じゃあ…、
「じゃあ、どうしたら、許してくれる?」
電話越しにあの仁王の、人を小馬鹿にしたような笑いが漏れた。
「いらっしゃい」
語尾にハートマークでも付いてんじゃないかってぐらい、満面の笑みで迎えられた。
あのあと、仁王が出した答えはこれ。
“今すぐうち来て”
行って、不機嫌な仁王の顔が見れるのかと思いきや、この笑顔。
「なんじゃ、不満そうな顔して」
「はめたでしょ…!」
「何が?」
さ、早く人生ゲームやるぜよと、うれしそうにボードを広げた。あたしに渡されたのは赤い車にピンクの棒人間が刺さったやつ。ついでにわずかなお金も。
ああ、やっぱり騙されたんだ。駆け引き上手な彼にまた負けてしまった。
腹は立つけど、不思議とさっぱりした気持ち。やっぱり仁王と気まずくなるなんて嫌だったからか、心底安心している自分がいた。
ふと、仁王が用意してくれたお茶を飲もうとテーブルに目を向けると、すぐ傍に白い小さな紙袋が目に入った。
お医者さんでもらう薬の袋だ。
「…仁王、風邪引いてんの?」
「ん?何を今さら。さっきそう言ったじゃろ」
「え、嘘じゃなかったの?」
「俺今日は一個も嘘吐いとらんよ」
そう言ってニヤっと笑った仁王に。
あたしはなぜだか身の危険を感じて。
「ぅわっ!」
「どこ行くんじゃ?」
立ち上がった体を、見事引っ張られ仁王の腕の中に収まった。勢いのあまり、鼻を仁王の胸にぶつけて痛い。
さっきまでのはめられた怒りとか、すっきり仲直りできた安心とか全部ぶっ飛んで。
襲ってきたのは動きすぎな心臓が響く胸の痛みと、仁王自身。
「ちょ、ちょっと…離し…」
「ダメじゃ。人生ゲーム終わるまで」
「こんな体勢じゃできない…っ」
「俺病人だから。労って」
また語尾にハートマークが付いたような気がした。突き飛ばすのも蹴飛ばすのもできそうだったけど。
仁王の腕の中があったかくて心地よくて。そのまま、腕に収まったまま、5分か10分か、もしかしたらもっとかもしれない。じっと、大人しくしていた。
その間、仁王の体からも響いてきた心臓の音。ドクンドクンと、あたしと同じように速くて。さっき言ってた“緊張して言った”も、ほんとだったのかもしれないと思った。
「仁王…」
「ん?」
「さっきは嘘だなんて言ってごめんなさい」
「わかればいいぜよ」
うれしそうに笑うと、あたしのおでこにキスをした。
それは反則!って言おうと思ったけど、満足そうに腕をまたギュッと締めた仁王を見たら、何も言えなかった。
ていうかわがままだし。きっと何言っても離してくれない気がする。
「どうしたら手、離してくれる?」
「そうじゃなー…」
答えを言う前に仁王はゆっくり手を離した。それはあたしの気持ちを配慮しての仁王の優しさなのか、もう満足したのか、わからないけど。
少しだけ寂しくて、つい仁王の腕をそっと掴んでしまった。
それを見て仁王はハハッと笑った。あーあ、きっとあたしの行動は全部、仁王にはお見通しだったんだろう。なんて駆け引き上手なやつだ。
「離せないから答えはなし、じゃな」
再びあたしをギュッと抱きしめ直すと、あたしは腕の中、ずるいとだけ呟いた。
「…てか、何でさっき笑ったの。電話で」
「いや、緊張し過ぎると笑っちまうじゃろ」
「…そーかなぁ」
「そうじゃ」
このまま、仁王のペースにはめられたまんま、あたしはゆっくり恋に落ちていく。
そんな気がした。
『恋せずにはいられない』END
それが 仁王クオリティー。
大学設定にする必要はなかったが、一人暮らしさせたかったので大学生にしました
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