ワレモノ注意
「なーんでお前がいんのかな」
「そこにブン太がいるからです」
海へと続く石段に座り込む俺を、上から見下ろし自慢気に笑う名前。
何度目かわかんねーため息をつく。まだ痛いような気のする右のほっぺたを見られないように、顔を逸らしながら。
「海水浴にはまだ早いぞー」
「泳ぐために来たんじゃねーよ」
「入水自殺もまだ早いよ?」
「いつかはしていいのかよ」
「だーめ。ブン太はまだまだあたしと漫才しなきゃ」
なにが漫才だっつーの。
一人で勝手にボケて一人で勝手に笑ってる名前を見て、少なからずイラついてる俺がいる。
「で、ナニ用」
そんなわけで俺のめちゃくちゃ感じわりぃ話し方。言っちまってから後悔しても遅いよなぁ。
「ブン太クンならこれについて何か知ってるかなって」
名前は俺の隣に座ったかと思うとポケットから紙切れ一枚を出した。
昨日もらったゴミ箱行きのプリント(保健だより)の裏に、ぐしゃぐしゃに書いてある。
「今朝部室に置いてあったの。えーなになに、“迷惑かけてごめんなさい。やめます。探さないでください。”だって」
「ちょっと待て。“探さないでください”までは書いてねーぞ」
名前はそのぐしゃぐしゃの文字を読んだ。
ぐしゃぐしゃなのは文字だけで、きっとそれを書いたやつの心がぐしゃぐしゃになってるように感じたのは、今更気のせいだ。
「家出ですか?」
「家は出てねーよ」
「じゃあ部出かな」
「退部だバーカ」
はっきり言い切った俺に、わざとらしくビックリした顔を見せた。
「テニスやめて何すんの?」
「料理部入る」
「いやいや、部活じゃなくてダイエットの話」
「ダイエットのためにテニスやってたわけじゃねーよ!」
「ほう、知らんかったのー」
どっかの詐欺師のような話し方。
あーイラつく。
「でもブン太、泳ぐのはダイエットにいいよ」
「でもじゃねぇよ。まぁ、水泳は全身使うからいいって言うよな」
「決まりだ!」
なにが?
聞き返す前に、名前は俺の手を強く引っ張り、思わず俺は立ち上がる。
そのまま鞄を掴んで海、波打ち際へ走ってった。
こいつは何を考えてんだ、いや、何も考えてない。
考えずに走るもんだからローファーに砂が入り込む。
波打ち際に着くと、名前は鞄を投げ捨てた。セーターと靴と靴下も脱ぐ。本気で泳ぐ気か?
その脱ぎ方にそそられながら、目を逸らすようにさっきまで掴まれてた腕を見つめる。
俺はこんなふうにちょっとこいつに触れられるだけで、こーゆう気持ちになっちまうんだ。
「ブン太ー!早く!」
いつの間にか名前は海に入ってた。ゴミとかいっぱい浮いてて、きれいには見えないけど、
冷たーいってはしゃぐ名前は、きれいだ。
少しずつ、どんよりした気持ちが抜けてく。
俺もセーターと靴と靴下を脱いでズボン、めいっぱい捲り上げて、名前のとこに向かう。
「くらえっ」
走り寄った俺に、名前は笑いながら歓迎の水しぶきを浴びせた。
「冷てー!」
「あははっ、頭冷やせバーカ!」
「うるせ!おら!」
仕返しは三倍返しが基本だぜ。
しばらく二人で水かけ合った。たぶん明日風邪引くことは間違いない。
あっという間に俺たちは全身びしょ濡れになって、たぶん帰ったら母ちゃんに叱られることも間違いない。
でも、寒いーって叫びながらうれしそうに笑う名前を見たら、
そんなことどーでもいいやって思った。
「ブン太っ」
「あー?」
「あたし、色っぽい?」
濡れたワイシャツにブラが透けて色っぽいどころの騒ぎじゃない。
ピンクか。いいな。
「バカっぽい」
直視できねーよ。
だってなんか、キラキラしてる。
こいつは俺の気持ち気付いてる。
余裕綽々の笑顔、気にくわねー。
可愛いけど。
俺がこのままテニス部やめたら、
あいつのものになっちまうんかなー。そうなったら、マジ入水もんだ。
このままやめたら。テニスも恋も、終わっちまう。
……嫌になってきた。やめんの。
「そうそう、肉まんがあるんだった。冷めてるけど」
名前は鞄の中から肉まん2つを取り出す。
「…冷めた肉まん?うまくなさそう」
「あたしがもらったときすでに冷めてたもん」
「は?」
「これ、迷子のブンちゃんに届けてくれんかのう。…ってさ」
真似、全然似てねーぜ。
あいつがくれたのか。
「反省してたよ」
「…なんか言ってた?」
「ちょっとやり過ぎたって」
あいつが…?へぇ。
昨日のことを簡単に説明すればこうだ。
俺がマネージャーである名前のこと好きってばれて以来、あいつにひやかされまくり。
しまいには、わざと名前にちょっかい出し始めて。こないだから噂なんだ。あいつと名前が付き合ってるって。
しばらくは俺も我慢してたけど、昨日も練習中あまりにうざくて、我慢できなくなって、キレた。
そしたら真田に殴られて説教されて、
今に至る。
書き置き残して家出したわけだ。
いや、部出か。
あいつがムカつくのと周りのやつら(特に真田)が理解してくんなかったのとで俺は傷ついた。
海で一人人生を振り返って腹減ったなーと思ってたら、
名前と肉まんが現れた。
ほんとにあいつ、反省してんのかな。
「まぁ口だけだろうけどね」
「…嘘も方便って知らねーの」
「みんなブン太がいないと寂しいってさ」
「マジ!?」
「嘘も方便って知らないの?」
「うぜぇ…」
ムカつく。
でもこいつとこんなやり取りしてたら、家に戻りたくなってきた。
やめたらもう、こんなふうな掛け合いもできねんだよな。
「肉まんっておっぱいに似てるよね」
「突然下品すぎんだけど」
「さー、ブン太くんに質問です」
肉まん2つを構えニッコリ笑う名前。
やべぇ、肉まんがそれらしく見えてきた。
「肉まんとあたし。どっちの胸で泣く?」
頭おかしいんじゃ。
んなもん、決まってんじゃん。とっくに俺の気持ち知ってんだろ?
「………肉まんで」
好きな女に泣きつけるか。
無言で肉まんを受け取り、必死で食う。
冷めててうまくねぇけど、腹は満たされてく。
さっきからぽっかり腹に穴が空いてたんだよな。むなしくて。
でも肉まんのおかげで、腹が膨れてく。
腹に空いた穴が、ふさがってく。
肉まん必死で食ってるせいか、本心言えなかったせいか、心なし小さく俯く俺の頭は、
目の前のおかしな女に、抱えられた。
一瞬、思考回路がストップ。健全な俺、いやいや、純粋な俺はドッキドキ。
「ブン太、父さんもう怒ってないよ。姉ちゃんにじわじわ責められてたから」
「謝罪させてやる」
「兄ちゃんとお姑さんも心配してるし」
「今日、ご飯食いにいく約束してたっけな。…兄ちゃんのおごりで」
「ペットはブン太のお菓子勝手に食べてたよ」
「お仕置きだ」
「母さんは笑ってた」
「こわっ!」
肉まんを選んだはずが、いつの間にか胸にしがみつく俺はすげーかっこわりぃけど。
構うもんか。
「みんな待ってるから。帰ろう!」
肉まんよかはるかにやわらけーこいつの胸から、冷たいワイシャツを通り越してあったかい体温が伝わってきた。
「……苦労かける」
「気にしないっ!」
びしょ濡れの俺たちは、手をつないで海から上がった。
手をつないでというか、俺が引っ張られて。
結局折れちまった。やめる覚悟してたのに。
いや、覚悟、できてなかったのかも。
一人で海にいた時間中、ずーっと、
今までのテニスの思い出、みんなとの思い出ばっか振り返ってたから。
こいつが来て、そんな胸のモヤモヤが消えてくように感じた。
「名前。……サンキュな」
俺の手を引きながら半歩先を歩いていた名前は振り返る。
まだ乾ききってない髪と、夕日、プラス恋心のおかげでずいぶんと色っぽく見える。
「海に向かって好きだーって、叫んでもいいよ?」
バカかと。
イタズラっぽく笑う名前に天才的チョップをかましてやった。
「次来たとき叫んでやるよ」
チョップした手が無意識にこいつの頭を撫で始めると、自分でも意外なぐらい素直な台詞が飛び出した。
頭撫でられてか、俺の言葉にか、
うっれしそうに笑う名前を見て、もしかしてうまくいくんじゃねーかと期待した。
「じゃーあたしも負けずに叫んじゃお」
「やってみろい。負けねーけど」
「どっちがより愛を込めて叫べるか競争ね」
「あー、ますます負ける気しねぇ」
「あたしだって負けないもんね」
告白?ビミョー。
ちょっとずつお互い、つながれた手に力が入ってきて、
今日のこの家出も、万更無駄じゃなかったと思った。
学校戻ったら、みんな笑いながら何も聞かずに迎えてくれて。
仁王が、おかえりってゆーから。
ただいまって、小さく返事した。
真田にもすまんって言われたけど無視してやったぜ。
「次の日曜、海いこう」
帰りぎわ名前に言われたこの一言で、俺は完全に元気を取り戻した。
やっぱ、好きだ。
ただいま、テニス。
『ワレモノ注意』END.
青春中につきガラスのハート
父→真田 母→幸村君 姉→柳 姑→柳生 兄→じゃこ ペット→赤也 でオーディオネタ
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