噛んで二度おいしい
※企画夢『どんぐりアメ』の続き
若干切なめかもしれません
「見て見て、真田くん。ちゃんと予習やってきたよ」
名前は自慢気に、隣の席の真田へ英語の教科書を見せた。
「…それは感心なのだが」
「?」
「英語の時間毎に見せるのはいい加減やめろ」
真田はため息をつきながら答えた。一度誉められてからというもの、隣の席の名前は毎時間、真田に予習済みの英語の教科書を見せびらかしていたのだった。
「アピールだよ。ちゃんとやってきてるって」
「お前がやってきているのはちゃんとわかっている」
「お前じゃないよ、名字だよ」
「……名字がやってきているのはちゃんとわかっている」
律儀に言い直してくれる真田に、名前は笑った。
この前二人で教室掃除をしてから、名前は真田に対し、苦手意識がほぼなくなった。怖いと思っていたのもただの印象であって、実際話してみれば、怒っているとき以外は割と普通なのだ。まぁ真田は怒っているときのほうが多いのだが。
いいことはいいと、はっきり言ってくれるところも名前はうれしかった。
「真田副部長ー!」
突然、クラスに真田を呼ぶ声が響いた。
教室内に駆け込んできたその声の主を見ると、テニス部二年の切原赤也だった。
「赤也!廊下は走るなと何度言えば…」
「見てくださいよー!これ!こーれ!」
説教を無視し、赤也は一枚のプリントを真田の目の前に広げた。
「英語のテスト、95点だったんス!」
隣の席の名前もそのプリントを覗き込むと、確かに英語のテストで“切原赤也”が95点だった。
「真田副部長に特訓してもらったかいあったっスよー!つらかったけど」
「フン。まぁそれはよかったが…、それより95点ごときで浮かれるな。何故あれだけやって満点がとれんのだ!」
だいたい、95点など一番精神がたるんどる証拠だ!…と、お決まりのごとく赤也への説教が始まった。
──せっかくうれしかったから見せびらかしにきたんだろうに。
名前は心の中で赤也に同情した。でも実際、真田も喜んでいるだろうことはわかった。なんとなくだが、いつもより声のトーンが高い。
赤也はおそらくそれには気付かず、涙目に不貞腐れながら教室を後にした。
「あんな怒っちゃかわいそうだよ」
赤也が去った後、名前は真田に言った。真田に意見をするのは初めてだったが、怖さが払拭されたおかげで難なく言えた。
「せっかく報告にきたのにさ。相当うれしかったんじゃないかな」
「む…!」
「あーあ、かわいそー」
真田も喜んでいたのはわかってはいたが、ちょっと意地悪をしたくなったのだ。そして真田自身も言い過ぎたと気付いていたのか、何も言えなくなっていた。
──あの真田くんが反省してる!
名前はまた笑いそうになったが、そこは堪えた。
「…少し厳しくし過ぎたか」
「うん、厳しい。いつもだけど」
「はっきり言うな!」
「じゃあ部活のとき、誉めてあげなよ」
きっとこの前自分にしたように、厳しい言葉を被せつつも、素直に誉めちゃうんだろうなと想像し、名前は吹き出して笑った。
それを見て真田は怒りつつも、素直にわかった、と呟いた。
「名字ー」
昼休み、名前は担任に呼ばれた。特に悪いことはしていないものの、呼び出される理由が自分にははっきりわかっていた。
「進路希望、まだお前だけ出してないぞ」
先月配られた進路希望調査の紙。立海は大学までのエスカレーターのため、進路はほとんどの生徒がそのまま附属高校に進学する。
名前も去年は“立海大附属高校”と出したのだが、実はその気持ちが変わりつつあった。名前には将来なりたい職業があった。
「…すみません。もう期限ですよね?」
「ああ。決まってるなら今日中に出せ」
「はい…」
「まだなら相談にも乗るからな」
優しい担任の言葉に名前は今言ってしまおうかと思った。しかし口には出せなかった。
立海大附属高校にだって進学したい気持ちはある。でも、そのなりたい職業を考えると、立海大附属高校ではなく外部の高校のほうがなれる確率が高い。両親にも勧められている。そしてそれなりの受験勉強もしてきてはいたが、提出期限ギリギリまで悩み、結局答えは出せなかった。
─放課後。
名前は一人教室に居残り、進路希望の紙とにらめっこをしていた。進学と受験、どちらが正解なのか。
悩んだ挙げ句、名前はそのまま“立海大附属高校への進学を希望”と紙に書こうとした。正解なんてわからない。そのまま進学したからといって夢が断たれるわけじゃなし、何より今大好きな友達のいる立海を離れたくなかった。
そのときだった。
─ガラッ
教室の扉を開ける音がすると思えば、真田がいた。
「真田くん…」
「何だ、まだいたのか」
真田は席まですたすた歩いてきて、机の中からノートを取り出した。
「これを忘れてしまってな」
もう部活は終わったんだろうか。名前は不思議に思い時計を見ると、もう6時を過ぎていた。どれだけ長い間悩んでいたんだと驚いたが、そういえば最初のうちは決断するのが嫌で、明日の予習や今日の復習までやっていた。途中うたた寝もした。なんやかんやと引き延ばしつつ、いつの間にかこんな時間になってしまったんだと、名前は一人で過ごした時間を振り返った。
「何をしているんだ?」
真田はちらっと名前の机の紙を覗き込んだ。そして直ぐ様事態に気付き、難しい顔へと変わった。
聞くに聞けない、かける言葉も見つからない、とまるで顔に書いてあるかのような真田の表情。それを見て名前も表情が曇った。
立海にそのまま進学したい理由。それは友達と離れるのが嫌だからというのが一番大きい。でも、そんな悩みを真田に話したところできっと、動機が不純だとか人生なめんなとか言われるに決まっている(なめんなはないだろうが)。名前は黙り込んでしまった。
「…外はもう暗い」
真田が先に口を開いた。そして目的のノートを持って、教室の入り口へと歩いていった。
「気を付けて帰れ」
そこまで言うと、真田は廊下へと出ようとした。何も言葉が見つからず、相談にも乗れないと判断したのだろうか、いつもお節介な真田の割りには、あまりに静かだった。
「真田くん!」
真田の右足が廊下に踏み出たところで、名前は真田を呼び止めた。思わず…というのが正しいが、名前もなぜだかわからない。
でも、名前が立海にいたい理由、その一番が友達と離れたくないこと。そしてその根底にあるのが、“今が一番楽しいから”だった。
三年になってから、名前は真田に近寄りたくないと敬遠していた。でもそれは単なる偏見で、実際彼に関わってみると実に普通の人だった。もちろん他の人よりもずいぶんと厳しいし、怒りやすい。顔も怖い。しかし、普段は話が弾めば笑ってもくれるし、からかうとその反応が人一倍おもしろい。何より、この前感じた“かっこよさ”に、名前は一番の魅力を感じていた。いろんな真田を日々見つけては楽しんでいた。
もともと不満のなかった学校生活。加えて最近できた密かな楽しみ。それが名前にとって、進路を悩ます最大の理由だった。
「…何だ?」
「え?…いや……」
なんでもないんだけど、と呟いた。ここで真田に何を言えばいいのだろうか。進路の相談?それは励ましてほしいのか、引き止めてほしいのか。自分にもわからなかった。
真田は名前の方を向き、腕を組んだ。顔は例の、眉間にシワを寄せた説教モードだった。
「何を悩んでいるのか知らんが、俺は人の相談に乗るのが苦手だ」
「……」
「俺は、お前自身が決めた道を応援することしかできん」
俯きかけていた名前は顔を上げた。そして真田の言葉の意味を考えた。
それはつまり、応援してくれるってこと?
たとえどんな道を選んでも?
「心配しなくとも、お前の学力ならばどこへでも行けるはずだ。それ以上にお前には、努力する精神が十分備わっている」
学力がどーのって悩んでるわけじゃないんだけどな、とは思ったが、真剣な真田を見て、水は差さなかった。
努力する精神。いつもあたしのこと、見ててくれたんだね。
「一番行きたいところを選び、進め」
──相談に乗るのが苦手?何言ってんの?
今の真田は、正に相談に乗ってくれている。そして背中を押してくれている。
「一つ聞いていい?」
「何だ?」
「真田くんの夢って、なに?」
頭もよくて運動神経もいい彼も、自分と同じように何かを夢見たりするのだろうか。そして悩んだりするのだろうか。名前は答えが聞きたかった。
「俺の夢は、立海大附属を再び王者にすることだ」
ああ、そうきたか、と名前は思った。確かに普段の真田を見ていれば、テニス以外頭にはなさそうだ。それに今年は全国二位に終わり、散々悔しがっていたことを、人づてに聞いていた。
「な、何がおかしい?」
「いやいや、真田くんらしいなって」
「…?」
突然笑いだした名前を不思議がりながら、真田は内心ホッとしていた。どうやらうまく励ますことができたようだと。
「真田くん」
「む?」
「卒業式に、真田くんのネクタイちょうだい」
思い出に。
真田との思い出は短い。三年の、今の時期になって話すようになるなんて、なんて惜しいことをしてしまったんだと名前は悔やんだ。
でも短い思い出であっても、深い思い出でなくても、自分が真田と過ごしたことは忘れたくなかった。隣の席に真田がいたこと。怖くて毎日予習をしたこと。実は気づかいができる人だということ。忘れたくない。
「…そ、そういうことは無事進路が決まってから言え!」
ついでに照れ屋だということ。
真田でもその意味に気付いたのか、顔を赤くしてその場を去った。
一人残された名前は一頻り笑うと、再び進路希望の紙と向き合う。
「後悔しないようにしないとね」
──ありがと、真田くん。
そう心で呟いて、名前は進路希望の答えを、紙に書いた。
『噛んで二度おいしい』END
庭球純愛様企画『どんぐりアメ』の続きです。なんだかんだ私は真田が好きみたいです
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