こっそり
セルジア殿下が部屋にいなかったので探していると、厨房の方からなにやら騒ぐ声が聞こえた。厨房には女性しかいない。なにかあっては大変だと覗いてみると、女中よりも背丈の低い鮮やかな青緑が見えた。
「…殿下、なにをしてるんですか?」
女中と相対していたのは、俺が探していたセルジア殿下その人だった。
「ターリスさん!丁度いいところに!」
女中が助かったとばかりに俺の方に来た。
「殿下が、厨房を使わせてくれと言って聞かないんです!」
また何を言い出したんだこの奔放王子は。
殿下を見ると、膨れたほっぺのままそっぽを向いた。なにやら胸に大きな本を抱えている。
「厨房には火もあって危険ですからとお断りしているんですが……。」
そう女中は言うが、おそらく理由はこれだけではないのだろう。というのも……まあいいや。この話はまた今度にしよう。
俺は殿下に分からないように小さくため息をついた。
「……殿下、どうしてまた、厨房に入りたいのですか?」
殿下の前に行ってしゃがみ、殿下と目線を合わせる。
抱える本の表紙には、お菓子の絵が描いてあった。
「……今週末、お姉さまが帰ってくるでしょ?」
「ええ、そうですね。お手紙が来ていました。」
殿下の姉君、エレナリア様には放浪癖がある……という程度ではないが。エレナリア様は一年に数回しか帰って来ず、エレナリア様のことが大好きだというセルジア殿下は、姉君が帰ってくる日をいつも楽しみにしているのだ。
「それでね、ちょうどそのへんって、あの、大好きな人にチョコ渡すっていう……。」
「ああ、なるほど。」
『バレンタイン』のことだ。
異世界には、愛する男性へ女性がチョコレートを贈る日があるという。これは、俺達の友人リトに教えてもらったことだ。異世界から来たという彼女は殺人鬼アディの元で暮らしているのだが、王子と殺人鬼が会っているなど知られたら大変なので、他の者には秘密なのだ。
リトはこの説明に加えて「まあ、今はこれにかこつけて仲良しでお菓子食べるだけのイベントになってるけどね」と言っていた。これを聞いたアディがそわそわしていたから何か作るのだろうとは思っていたが、殿下にまで影響があるとは思っていなかった。
「つまり殿下は、エレナリア様に贈るチョコお菓子を作りたかったのですね。」
俺の要約に、殿下がこくんと頷いた。
殿下に断って、抱えている本を見せてもらう。殿下に示された淡いオレンジ色の栞が挟んであるページには、お花の形をしたチョコレートフィナンシェのレシピが書いてあった。本の他のページにも折り目がついていたから、どれを作るかさんざん迷ったのだろう。
「ちなみにお聞きしますが、買ったものではダメなんですか?」
「……ダメってわけじゃないけどぉ……。」
口を突き出して不満そうにしている。
「……だって、お姉さまに僕が作ったもの、食べて欲しいし…っていうか僕が作りたいし……。」
薄々気づいてはいた。殿下は料理に興味があるらしい。屋台で何かを買う時やアディが昼食を作る時にも、その作る様子をとても熱心に見ていたし、俺もたまに料理をすると言えば色々と聞かれた。遅かれ早かれ、料理をしたいと言い出すだろうとは思っていたのだ。
俺はレシピに分量や火加減など詳しく書いてあることを確認して、本を返した。
「…殿下。俺も、お手伝いしていいですか?」
「!!…いいよ!!!」
「ターリスさん?!」
喜ぶ殿下と対照的に、女中からは信じられないという声があがった。
俺は立ち上がって女中の方を見た。
「考えても見てくれよ。これがもし外の貸し台所とかで、コショウ少々とかお好みの焼き加減でとかばっかりの料理を作ろうとしてたら?」
女中が口篭る。
ちなみに俺は、一人暮らし最初の料理でそんな感じのレシピを参考に作ろうとして、鍋に穴を開けたことがある。
「それに比べたらまだマシだろ。お菓子ならレシピ通りに作ればあまり失敗しないだろ。」
「でも、危ないですし…。」
「俺もちゃんと見ている。……そうだ、心配なら一緒に手伝ってくれないか?いいですよね、殿下?」
「うん!いいよ!鍋に穴開けたターリスだけじゃ僕も不安だし。」
「殿下なんでそれ知ってるんですか?!」
まあ大方あのデカイ友人だろうが。
俺らのやりとりを見て、女中も諦めたのか了承してくれて、3人でお菓子作りがはじまった。
結果としては、なかなかに成功だった。数個焦がしてしまったが、ほとんどがいい焼き具合になってくれた。
そして、もっと成功だったと思うことは、今回手伝ってくれた女中と殿下がとても仲良くなったことだ。殿下も訳あって避けられがちとはいえ、末っ子だ。甘え方はわかっている。女中も仕事柄か知らないが世話焼きな方で、馬があったらしい。殿下は手伝ってくれたお礼にと、女中に余ったお菓子をいくつか渡していた。
そしてエレナリア様が来た日。俺もエレナリア様に挨拶をした後、姉弟水入らずで過ごした方がいいだろうと思い、俺は席を外した。
殿下が外で遊んでいる間、俺は殿下の部屋を片付ける。今日もそうしようと思って部屋に入ると、机の上に殿下が持っていったはずのものと同じ菓子の袋があった。
まさか、殿下が持っていくのを忘れたのか?!と思ったが、殿下は確か後ろ手に袋を持っていた。そしてなにより、一緒に用意したはずの袋には、見覚えのないカードがついてある。
カードからはみ出すほどの大きい字。
ギリギリで読めるその字が俺の名前であることに気づき、俺はまたため息をついた。
ところで、俺にも女中にもこんなに渡して、姉に贈る分は足りたのか?
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