初日

 ホルメン王国の王城。
 城の警備をする兵ならともかく、俺のような街の警備や治安の維持などを担当していた兵には縁のないはずの場所。まだ柔らかな朝を差し込む城の廊下を、俺は先導されながら歩いていた。
 豪奢な建物内部の装飾や調度品の物珍しさにこっそりとあたりを見回しつつ、歩いていく。そんな俺の先を行く前任者は、目的の部屋についたのか足を止めた。俺もすんでのところで立ち止まり、部屋の戸を見る。その戸もやはり、例外なく細かな装飾が施されていた。
 観察をしている間に、前任者は部屋の住人に断りを入れて戸を開けた。俺もそれに続く。
「失礼します。」
 中にいたのは、部屋の主と呼ぶにはあまりにも小さく細い、鮮やかな緑色の髪を持つ少年だった。
 いや、少年と呼ぶのは失礼にあたる。なぜなら彼は、この国の王子達のうちの1人なのだから。
 王子は丁度朝食の時間だったのか、お盆を前に座っていた。
「おはようございます、セルジア殿下。お加減はいかがでしょうか。」
「うん、いつも通り。」
 前任者と王子が短く会話を交わす。それは、共に過ごす時間の長いこの任務についていたにしては、無愛想にも感じる会話だった。
 前任者は確認を終えて、今日の本題を話し始めた。
「実は、大変申し訳ありせんが、昨日付で私は殿下の護衛の任を降りることになりました。」
 家の事情故…と申し訳なさそうに頭を下げる。
「そう。」
 対して、王子は不気味な程に無反応だった。
「そして彼が、本日より後任となります。」
 そう言って俺の方を示され、俺は姿勢を正して一礼した。
「本日よりセルジア殿下の護衛にあたります、ターリス・インディートと申します。よろしくおねがいします。」
 顔を上げると、殿下が俺の方を見ていた。大きな茶色の目で凝視され居心地の悪さを覚える。
 しばらくじっとしていたが、不意にセルジア殿下の視線がそらされた。
「わかったよ。」
 短く了承の言葉を言い、足をぶらぶらとさせている。
 前任者はその言葉を聞いて短く息を吐いた。
「よし、ではあとはよろしく。」
 そして俺の肩にぽんと手を置きそのまま部屋を出ようとするから、俺は戸惑って引き止めた。
「ま、待ってください。具体的な業務などは…。」
「やってればわかる。」
 一刻も早くこの場を出たいとでもいうように言葉が返される。
「だがこれだけは言っておく。」
 しかし不意に向き直り、そしてセルジア殿下には聞こえないようにか声をおとし言った。
「この任務において一番大事なことは、陛下や他の殿下にご迷惑をおかけしないことだ。」
 それは、セルジア殿下本人をお守りすることよりも大事なのか?
 それを問う間もなく、彼は部屋を出ていってしまった。

 セルジア殿下と2人きりにされた部屋。
 色々と諦めて息を吐く。これは断じてため息ではなく、気合を入れ直したようなものだ。
 振り返ってセルジア殿下の方を見ると、お盆が机の奥の方に押されていた。
「……殿下、失礼ですが、そのお食事は…?」
 お盆の上の朝食はほとんど食べられていなかった。いや、1口ずつは手をつけられているか。
「……もうごちそうさま。」
 セルジア殿下はお盆をそのままにぴょんっと椅子から飛び降り、寝台の方へ歩いていく。
「具合が悪いんですか?」
「んー……そんな感じ。」
 そんな感じ、とは?
 詳しく症状を聞いた方がいいのかとも思ったが、俺を拒絶するように布団の中で背を向けられたので、俺には声をかけることが出来なかった。

「ああ、それ仮病ですよ。」
 朝食の食器を回収しにきた女中にその旨を伝えると、なんでもないようにそう返された。
「仮病?」
「ええ。だってちょっと経ったらいっつもケロッとしてるんですもの。食事あとってだいたいああしてゴロゴロしてらっしゃるらしいですよ。」
 いつもなら、なおさら気をつけた方がいいんじゃないか?
「まあとりあえず、セルジア殿下が他の方にご迷惑をおかけしないように、気をつけていてくださいね。」
 そう言って女中は去っていった。
「また迷惑の話……。」
 本日二度目のその忠告に、そんなにセルジア殿下は迷惑をかける方なのか?と考える俺は、結局はまだ殿下のことについて何も知らなかったのだった。

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