ハーチェス邸への招待状

 人気の無い路地。小さな家。私がその戸を叩くと出て来た少女は、私の顔を見てため息をついた。
「…私、あんたらに引っ越ししましたお手紙出してないよね?」
「ええ、来ていませんよ」
 少女の名前は笹原リト。15歳。身長150cm。体重は推定50kg 。初対面時よりも痩せたようだ。67日前に異世界の日本から来(本人談)、ホルメンの殺人衝動所持者アディの元で暮らし始める。10日前から二人暮らしに適した家へアディと共に引越し、今は近所の菓子屋で臨時の仕事をしている。ものぐさではあるが面倒見の良さも持ち合わせている。又、彼女の日本に関する発言は非常に良い資料である。
 情報を集め整理することを生業とする身にとって、会う度その人物に関する情報を浚うのは軽いトレーニングだ。鬱陶しいでしょうが、どうかおつきあい願います。
「で何の用?黒猫は?」
「くろっ、ぷっ」
 黒猫というのは、私がお使えするロイル・ハーチェスのことだ。考えたこともなかったが、黒い髪につり目で身が軽いロイル様は言われてみれば確かに黒猫だ。
「えっと、ロイル様なら今日はそのお父様とお出かけです」
 正しくは「訓練」だが。ロイル様は12代目であるトラム様と比べ怪盗ハーチェスとしてまだ未熟であり、私の目から見てもまだまだ劣る。
「詳しいことは中でお話ししたいのですが、よろしいですか?」
「ん、ちょっと待って。アディに確認する」
「わかりました」
 リトは一度家の中に入り、それからすぐ戻ってきて招き入れてくれた。
「いらっしゃい、ケーラ」
 入ると、小さな台所に立つ長身の青年が、私をにこやかに迎えた。
 名前はアディ。苗字は不明。18歳。身長184cm。体重85kg。殺人衝動所持者で、血色の瞳を持つ。10歳の時逮捕されるも、その後大量の囚人・看守を殺害し脱獄。加え長い髪やサングラスなどもあり噂や見た目からは怖く暗い印象を受けるが、本人は非常に温厚であり嘘をつくのも苦手だ。又本来は毎日一人以上殺害しなければならないはずの衝動を一週間に伸ばすなど、努力家でもある。一人暮らしが長くしっかりしているが、リトにはなぜか子供のように甘えている。
 椅子に座ってしばらく待つと、次第にいい香りが漂い出し、紅茶が運ばれてきた。一口含むとその温もりに、冬の風に冷やされた身体が溶けていく。
「今日はどうしたの?」
 私の向かいにアディが座った。そしてその隣に座ったリトをひょいと持ち上げ、さもリトが間違って座ったかのように自分の膝に乗せる。リトは抵抗するがアディの力に敵うわけがなく、諦めて身を預けた。
 これで恋人でもなんでも無いのだから、驚きだ。
「はい。今日はお二人を、私も住み込みで働いているハーチェス邸にご招待しようと思いまして」
 どうぞと鞄から出した、トラム様からお預かりした招待状を渡す。別にこんな仰々しいのいらないんだけど…と面倒そうなリトの頭上で、嬉しそうなアディがそれを読み始めた。
「リトリト、お屋敷だって!晩御飯も一緒に食べよって!」
「んー多分それ、お作法とかうっとうしいやつだよ」
「えっ」
「いえ別にいいですよそれくらい」
 否定するもアディは、一応セルジアに教わっとこーとカレンダーとにらめっこを始めた。
「にしても、なんでこんな話になったの?」
 リトがそんな様子はお構いなく問いかけてきた。
「あー…」
 話の発端は、アディと私たちが仲良くなったことをトラム様と私の父にばれたことだ。
 怪盗ハーチェスは殺しをしない。それは初代が決めたルールであり、私たちもそれが美しいことなのだと教えられてきた。だから、その忌むべき殺人鬼と仲がいいことをトラム様に叱られたのだ。私の父は「殺人衝動についてわかることがあるかもしれない」と言うとすんなり許してくれたが、トラム様はアディの為人を確認したいと言い、招待するに至ったのだ。
 しかしそれを言うと、殺人衝動を持つ自らを嫌っているアディが一人お通夜を始めてしまう。アディは傷ついた時、相手に逆上するロイル様とは対象的に、自らが悪いと決めつけ内に閉じこもってしまうのだ。数回私の配慮が足りずその状態になったが、あれは実に寝覚めが悪い。
 だから私はもう一つ別の理由を話すことにした。
「リト。貴女の頭をお借りしたいのです」
「…私そんな頭良くないよ?」
 表現を間違えてしまったか。それにリトはこう言うが、少なくともこの国の平均以上はあると私は見ている。日本で行っている義務教育の賜物だろうか。
「いえいえ、そういう意味ではありません。リトにやって欲しいのは、私たちには読むことのできない文献を読んでいただきたいのです」
「ああ、日本語ね」
「おそらく」
 読めない文献とは、初代ハーチェスであるレイヤ・ハーチェスが残した書物の約7割だ。解読しようと長らく頑張ってはきたが、どうにも難しく結局できずに終わっていたのだ。
 リトは、別にいいけど英語だったらやだよ、と言っているので、許可はもらえたらしい。エイゴが何かは後日問い詰めよう。
「あ、じゃあ僕は邪魔じゃないかな。家にいるよ?」
 しまった。アディを少し落ち込ませてしまった。
 どうしたものかと考えていると、リトがアディの膝で横向きに座り、アディの顔を見上げた。
「アディはさ、ロイルとかケーラとか、友達に遊びにきてもらうの嬉しいでしょ?」
「うん」
 アディが頷く。こうして見ると、抱えられているのはリトであり実際リトの方が年下であるはずなのに、アディの方が子供に見える。
「それは多分ね、ロイルも同じ。アディに来てもらって、いっぱい見せたいものとかあるんだよ、きっと」
「…そっか」
 立ち直り再び見えない花を撒き散らし始めた。そんなアディの頭をリトがぽんぽんとなで、私をアディにはわからない角度で睨んだ。
「あ、じゃあ後日ご都合のよろしい日を伺いにまいりますのでー」
 その目線から逃げるように私は離席した。



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