Fleam 3
食べ物の匂いがして、目が覚めた。
身体は酷く重く、慣れた感覚にまたかと思いながら寝返りを打つ。
すると、ドンッと肩が窓にぶつかってしまい驚いて飛び起きた。
「……?」
身体を起こしてみて、ここは何処だと思う。
馴染みのない部屋とベッド、カーテンのひかれた窓にぶつかったのはそんな間取りになっていると思わなかったからだ。
天井を見上げると、薄いブルーの壁紙が晴れた青空のように見えた。
「起きたん?」
「……うん」
「いー音しとったけど、大丈夫か」
「……」
「寝ぼけたんやね」
もう少し寝ててもええよ、というのをぼんやり聞いた。
そうだった、此処は大阪だ。
昨夜の事が一気に思い出されて、俺は鈍く痛む頭を押さえた。
身体もガタガタで、起きているのさえ億劫だ。
さっきとは逆側に足を下ろして、手探りで掴まえたシャツを羽織りバスルームに向った。
キッチンから顔を出した桑原が不思議そうな顔をしている。
「……シャワー」
「ああ、タオル置いとくわ」
それに頷いて、ぺたぺたと裸足のまま洗面所に入った。
風呂のガラス戸を開けようとした瞬間、ふと洗面台の上の鏡に自分の姿が映っているのが見えて、その姿に面食らう。
「……何だこれ」
見たくないと思いながらも気になってシャツを脱いでみると、首筋から胸の上、腹部や腕に至るまで無数に赤い跡がついている。
触れてみるが痛みは無い。つまり、……これは、……。
「なァー、やっぱ西の大きさの服無いんやけど今はこれで、……」
またもやノックもせず扉を開けた桑原に、俺は冷たい視線を投げた。
するとタオルと服を手にしたまま一瞬驚いた顔をしたが、すぐに俺の言いたい事が伝わったらしく唇に笑みを浮かべる。
「西の肌白くて綺麗やから、よう色がのるんやねぇ」
「……そういう話じゃ、ないだろッ!」
「そ、か?」
腕を引かれてそのまま抱き締められた。
ばさりと足元にタオルと服が落ちたが、桑原は気にもしていないようだ。
俺の裸の背中を撫で下ろしながら、耳元に屈みこんでくる。
「背中にも付いとるわ。……暫くこんままやねぇ」
「て、めッ……」
笑いを堪えるような口調で言われ、つい反抗して睨みつけた。
すると桑原は楽しげに目を細めて俺の尻に手を滑らせてくる。
「ッあ、……」
「あんまり可愛ええから、我慢できんかった」
悪いなァ、と全く悪びれず言うのと同時に指先が尻の狭間を割ってきた。
乾いた指先が入口をつついて弄ってくる。
「止めろよッ!」
「あんないっぱいまで広がってたんが、ようここまでキレーに閉じるわなァ……まるでそんなん知らんて言われとるみたいや」
「なに、言っ……ぁッ!」
潤いのない指が無理矢理入口をこじ開けて、中を開いた。
明け方まで桑原のモノを飲み込んだままでいたそこは濡れた音を立てて指を受け入れる。
くちゅくちゅと音を立てるように掻き回されると、羞恥で顔が熱くなった。
「……止め、ッ……あ、……ッん!」
「西ん中は柔くて狭いしなァ、……熱うてきゅうきゅう締めつけてきてめっちゃええよ」
「ンッ……は、ッあ!……離、せッ!」
囁かれる言葉が甘い。耳元に吐息を吹き込むように喋られると、それだけで身体が震えてしまった。
それは条件反射のようで、少し悔しい。
昨夜嫌というほど刻みつけられた記憶だった。
こいつのセックスはしつこくて長くて、とにかくべたべたと愛撫を続ける。
その度に耳に吹き込まれる声は掠れていて甘く、性的な色を含んでいた。
たった一晩で、その声と共に快感が与えられるというのが記憶に刻まれてしまっている。
ぞくぞくと背中を這いあがる快感に息が苦しくなった。
立ったまま膝を割られて、ジーンズの膝が足の間に押し込まれてくる。
「ヤ、……ッ桑原!」
「カラダはその気なクセして、素直やないなァ」
「ひぁ、……ヤ、ぁッ!」
乾いた硬い布地に下から掬い上げる様に性器を擦られると、堪え切れず悲鳴のような喘ぎが漏れてしまった。
自分のその声音に甘いものが含まれているのが、死ぬほど恥ずかしい。
「離、せッ……も、……止め、ッ」
「ええ? ここまできたらヤるしか……」
「む、向こう! 何か!……作って、たんじゃ……」
今にもジーンズのジッパーを下ろしそうな桑原に、俺は慌ててキッチンの方を指差した。
咄嗟に思いつきで言ったにも関わらず、相手は『あ』と声を上げてそちらに意識をとられる。
「そや、火ィかけっ放しやったわ」
うーん、と眉を寄せて残念そうにした桑原は漸く俺の身体を解放した。
心臓が早鐘の様に打っているのを必死に押し留めて、呼吸を繰り返しながら落ちつこうと試みる。
「風呂、湯張ってええから。俺も後で入るし」
「あ、……うん」
「それと」
忘れモン、と油断していたところを再び抱き寄せられて身体を竦めた。
首筋に顔を埋められて、ふわふわとした髪が頬に触れる。
ちゅ、と首と顎の合間あたりに口づけられた。
「なッ……オイ!」
そこを強く吸われて、僅かに痛みのような感覚がある。
また跡になる、と思って腕を突っ張ったら相手はすぐに離れた。
「ココやないとスーツ着たとき見えへんからなァ」
「!?」
その言葉の意味を把握するよりも先に、『後でな』と言って桑原はキッチンに戻ってしまった。
残された俺は、洗面台の鏡の前に立って今吸われた場所を確認する。
そこは、……全身を覆うようなガンツスーツを着ていても唯一、顔以外で見える場所だった。
少し仰向けば見えるような位置に情事の跡をつけられる。
こんなもの何日かすれば薄くなるだろうと思うのに、妙に心臓の音がうるさく感じた。
「……だから、無理なんだって。……諦めろよ」
小さく呟きながら、俺は鏡に拳を叩きつけた。
スーツも着ていないこの拳では、それはびくともしない。
非力で情けない、ガンツがいなければ俺はただの無力な子供で、それ以上の価値は何もなかった。
桑原の愛撫は始め胸元に集中していて、何の膨らみもないそこを弄られる事に俺は抵抗を感じていた。
長い指先に後ろを慣らされている間ずっと舐めたり揉まれたりして、赤く腫れて敏感になったそこは鈍く疼くようになる。
身体の奥の感じる場所を指で掻き回されながら乳首を噛まれると、痛みと快感がごっちゃになって訳が判らなくなった。
もうそこを弄るのは止めてくれと懇願したら、低く笑われた。
『ここで感じるんは初めてらしいな?』
余計燃えるわ、と言うのを恨めしく思う。泣いて頼んでも、桑原がそこへの愛撫を止める事は無かった。
覆い被さるように上から抱かれる時も、向かい合わせで膝に乗せられた時も、背後から四つん這いで犯される時でもずっと、あいつの手はここにあった。
心臓を握られているようで、何となく落ちつかない。
快感が辛くて俺が泣き出すと、宥める様にキスを繰り返した。
その唇は優しくて、激しさばかりの行為の中で一番穏やかなものだった。
桑原の唇は、いつでも俺の身体の上を這っていた。
突き入れる前に俺の膝裏を掴んで持ち上げると、太ももや足先にキスを落とす。
背後からされている時はずっと背中に吐息が触れていた。
ぎゅ、と抱き締めてくる腕の強さも変わらず、苦しい程の行為のなかで縋れるものがあるのは嬉しかった。
無理にシーツを掴んで堪えていなくとも、強制的に強く抱き締められていてその腕に掴まれば良かった。
そうすれば、激しく腰を打ちつけられて揺さぶられている間も自分がバラバラになりそうな恐怖に襲われずに済む。
手を伸ばさずとも捕まえられている、その深い安堵に眩暈がした。
こんな腕は知らない。今まで触れたどんなものとも違っていた。
それは過去の記憶との決定的な差異だ。
でも、頭の端では判っていた。
こいつはたまたま拾った子供を今この部屋に置いているだけで、俺はすぐに東京へ帰る。
そうなればもう会う事はないはずだった。
だから、縋っていいのは抱かれている間だけで、気持ちをそこに持ってきてはいけない。
これは到底無理な関係で、その手を掴んだままでいようなんて夢のような話だった。
どれだけその拘束が心地良くとも諦めなければならない、と自分に言い聞かせる。
それだけを深く頭の中に刻んで、俺は与えられる熱に浮かされていた。
「……」
温い湯船に浸かって、ぼんやりと指先を眺める。
手首の内側に薄赤くキスの跡がついていた。
掴んで指の跡をつけるのではなく、何かで縛って鬱血させるわけでもない。
あいつは俺の手を引き寄せて恭しく口づけただけだった。
シーツに押さえつけられる時でも指を絡ませるようにして組まれただけで、強く掴まれたという印象はない。
どれ一つとっても、桑原の愛撫は繊細だった。
そのわりに抜かずに何発も体位を変えながら注がれて、意識も体力も限界まで追いつめられてはいたが。
……下半身と上半身が別人なのかあいつは?
そんな疑問が生まれるくらい、変な感じがした。
はあ、と深いため息をつくと身体の力が抜けていく。
頭の中が混乱していて、何から考えたらいいのか判らなくなっていた。
刻みつけられた昨夜の記憶が鮮やか過ぎて、気を抜くとすぐに思い出してしまう。
筋肉質で身体のでかい桑原のモノは、俺が受け入れるにはかなりキツくて、その圧迫感に何度も気を失いそうになった。
これが初めてだったら確実に出血して倒れていただろうと思う。
女はあんなもの普通に銜え込めるんだろうか。
そんな風に思っていたら、自分の中にもやもやとした不快感が広がった。
あいつはノーマルだ。
性欲魔人で変態だが、嗜好そのものはノーマルなはずだった。
俺は女じゃない。そこだけは確実なんだから、何を悩む必要があったんだろう。
……早く、帰ろう。ここはもう嫌だ。
自分らしくない弱い考えに取りつかれて、よく知りもしない人間の手に縋りたくなってしまう。
東京だろうが大阪だろうが、俺はずっと一人で行動して、やってこれたはずだ。
他人の手なんていらない。そんなものは取らない。
ちょっと頭の中が混乱していて、気づくのが遅れただけだ。
そもそも俺にヒトの手を借りる資格なんてあったか?
加藤達とは違って誰の為にも行動していない、全ての人間を切り捨てて生きてきたっていうのに。
ぴちゃん、と湯船に雫が落ちた。
小さく笑うと、立て続けに水滴の落ちる音がする。
何だこれは?……何だか目の奥が熱い。
桑原から移されて身体の中に込められた熱が、その雫と共に全て流れ出てしまったらいいのにと、俺はぼんやり思っていた。
続く
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世の中に、……唯一五人くらい生存確認している(らしい)、桑西クラスタに捧げる連載。
2011/07/18
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