DEAD ON TIME



 は、と西が目覚めた時すぐさま確認したのは右の手のひらだった。ベッドの上に身体を起こし、落ちてくる前髪を掻きあげて荒くなった呼吸を整える。
 身体に響く鼓動の音と乱れた己の呼吸だけが聞こえる中で、西はただ一点を見つめて俯いていた。
 そこには、昨日と変わりない肌と見慣れた指がついている。何も目立った変化はない。その事にホッとして息を吐くと、静寂に包まれた部屋に少しだけ温度が戻ったように感じた。
 西は再び枕にぶつかる様にして頭を伏せ、目を瞑る。いつもソファや机に突っ伏して寝るのがクセになっていた西が自室のベッドに横になるのは久しぶりの事だった。
 家族の気配などまるでしない家に一人で、耳が痛くなるような静けさに苛まれる。それが嫌で、西はいつも眠気で意識が無くなるまで様々な作業に没頭していた。
 それは勉強でもネットサーフィンでも構わない。ただそこに一人だということを認識しないで済むのなら、西にとって勉強も遊びも同意義だった。
 そのお陰か定期テストの点は悪くないが、結局それを見て褒めてくれる家族はこの家におらず、成績もまた西にとってはどうでもいい事の一つだった。
「……」
 一度目覚めてしまうと、眠りは暫く訪れそうになかった。神経がささくれ立っていて、深呼吸をするくらいでは動悸が治まらない。
 そうなると余計に静けさが耳に残った。閉め切った窓の外からは、遠くで車の走る音や人間の生活する色んなざわめきが微かに響いてきている。しかしそれさえもまたこの部屋の制止した空気を強く認識させるだけだった。
「たかが、夢くらいで……」
 小さく舌打ちをして、西は忌々しげに呟いた。一度寝返りを打ってから目を瞑るとまたあのミッションの光景が浮かぶ。
 ガンツに転送される生活を続ける中で、幾度となく恐ろしい目には遭ってきたが、その中でも群を抜いて気味の悪い戦闘だった。
 西はもう一度自分の手のひらを天井へ翳してしげしげと眺める。
 いくら見つめても、そこには答えなどないように思えた。




 ミッション終了後に他の星人が介入してくることは、ごく稀にだが過去にもあった。それで部屋のメンバーの大半が殺され、生き残ったのが和泉と西だけだった事もある。
 星人のほうでもこちらの事は警戒しているらしく、潰そうと狙っているんだろうというのがその時の和泉の見解だった。
 ……『それ』は和泉が百点をとり解放される前に起きた。
 ミッション終了後の転送間際に、突然の襲撃があった。鋭い悲鳴を上げて何人かのメンバーが逃げ惑い、絶命して地面に倒れ、その場は混乱に包まれる。
『星人か!……何処だ』
『足元だ、その緑の……!』
 ミッション終了の安堵の中突然の奇襲を受け、戦闘慣れしたメンバー達にも緊張が走った。全員が見遣った足元には緑色の芋虫のような生き物が大量に蠢いている。
 パニックに陥ったメンバー達はそれを見てすぐさまXガンを向け、地面ごとそれを破壊していった。
『……待て、止めろ!』
 異変に気づいて和泉が叫んだ時にはもう、瓦礫と共に飛散した芋虫達がメンバーを襲っていた。
『チッ……そこから離れろ! 気を抜くな』
 声をかけられた者達はすぐに銃からソードに持ち替える。動きの遅い小さな芋虫達は飛び散るような予想外のアクションさえさせなければ、逃れる事は容易く見えた。
 星人は口や目から侵入するらしく、襲われた者達は緑の液体と芋虫を吐き出しながら絶命している。スーツの内側は妙に変形し蠢いていて、中がどうなっているのか確認するのもおぞましいような状態だった。
『そいつらにスーツを突き通す程の力は無い。……スーツから出ている顔部分から入り込むらしい、そこを庇って逃げろ』
 走れ、と言われメンバーは散り散りになって逃げて行く。踏み潰すだけでも殺せるような脆弱な芋虫が、集団で現れるとこんなにも恐ろしいモノかと西は血の気が引く思いだった。
 バタバタと人々が散って行く中、和泉の傍でステルス機能を使っていた西は一瞬行き先を躊躇う。
『……来い、西』
 呼ばれ、弾かれたように顔を上げた西はそのまま走り出した。
 条件反射のようなその行動に、西自身苦々しい思いしかなかったが、この場合生き残る為には和泉の近くにいる方が得策だろうと思い直す。
 現在ガンツ部屋に残っている者の中で最も戦闘能力が高いのが誰か、というのは西も理解していた。自分達以外全てが全滅した少し前のミッションから、能力も経験も常に和泉がトップだった。
 スーツを最大出力にしながら暗い路地を走り抜けると、外灯が点々とあるだけのアスファルトの道へ出た。今回のミッションの場所は工場の立ち並ぶ地域で、夜中も煌々と明かりのついた建物が多い。壁一つ隔てた内側では重機が低いうなり声を上げている。
 その側を通り過ぎると、倉庫の連なる静かな道へと繋がっていた。何かを考えるような素振りをした和泉は、あたりを見回すと西の首根っこを掴み一つの建物の中へ入っていく。
『どの程度上手くいくかは判らないが……』
 時間が無い、と囁く和泉を見上げ西は息を飲んだ。長い黒髪は毛先から転送が始まっていて、あと数分も経たずにガンツ部屋へと送られてしまうだろう。
『どちらが先か判らなかったから連れてきたが……この分だと時間差でお前が死ぬかもな』
 そう言いながら鼻で笑った和泉は、製粉工場の倉庫の中に蓄えられた小麦粉の袋をソードで切り刻み、それを撒き散らした。真っ白い粉が目の前を白く染める。
『!』
『息を止めろ。……時間だ、これをやる。時間ギリギリまで袋を破って派手に撒き散らせ』
 ポン、と手元に放られたのは何処にでもありそうな百円ライターだった。和泉は険しい表情で倉庫の入り口を睨み、そこから侵入してくる緑色の芋虫達を見つめると忌々しげに呟いた。
『ナメクジには塩だが、……アレにはどうなるか。変に焦ってしくじるなよ、西』
 勝手な事ばかりを一方的に言って、和泉は白い光の帯にかき消されていった。悪戯に誰かが消しゴムで擦ったかのようなそのいつもの消え方に、西は眉を顰める。
 こんな切羽詰まった時でなければ、それをふざけているなどとは思わなかっただろう。しかし今はそれを恨むような気分にしかならない。これから西に課せられたミッションは非常に困難なものだった。
『……ちっくしょう、やってやるよ』
 馬鹿和泉、やるなら最後までやってけ、と悪態をつき西はライターを手にしたまま倉庫の奥へ向かった。進みながらソードの切っ先で粉の袋を破り、振り捨てていく。
 すぐに一番奥まで辿りつくと、西は天井付近にある窓に手をかけそれを開けようとした。
『……ッ、……!』
 暗い為に近づくまで見えなかったが、ガラス窓の向こう側にはびっしりと緑の生き物が蠢いていて、西は咄嗟に悲鳴を飲み込んだ。窓の隙間からは緑色の粘液が滴ってきている。
 西はすぐに窓の縁から手を離し、距離を置いた。しかし侵入して来ないところを見るとこの星人にはガラスを割る程の力はないようだ。
 西は、和泉が粉塵爆発を狙っていたのは判っていた。芋虫を全てここへ誘い込んで、それから巻き込まれないよう自分は外へ出てライターだけを投げ入れればいいのだろうと軽く考えていた節がある。
 しかし、思ったよりも敵の数は多く、既にこの倉庫を覆う様にして集まってきていた。
『……クソッ』
 西は地面からざわざわと近づいてくる芋虫から逃げる為に粉の袋の上を飛び回った。
 そして最後の棚に上った時、ジジジジ、という音と共に自分の足先が転送されている事に気づく。
 ホッと安堵して、西は足元の芋虫を踏み潰した。これで致命傷を負いかけてもガンツ部屋には転送される。
 そう思い、西はライターに手をかけた。
 しかしスーツの手ではなかなか上手く操れず、火が点かない。火花が散るだけで良いのに、と苛立った西は口で右手のスーツの留め金を外し手袋部分を取り払った。
 カチ、と音がした瞬間火花が散りライターから引火した火が爆竹のように広がっていく。
 ジジジジジ、と足先から転送される一瞬に、ライターを握った右手に何か衝撃があった。それだけを記憶して、西はガンツ部屋へと送られる。
 手のひらに感じたチクリとした痛みは、部屋へ戻ってしまえば当然跡も何も残っていなかった。
 気のせいか、と西はそのミッションで感じた恐怖と共にそれを記憶の奥底へ封じ込め、忘れてしまうことにした。




 決まったカタチを持たない、と言った星人がいた。
 何処にでも居てどこにもいない、だからお前達には倒せない、と嘲笑う声が西の夢の中に頻繁に入り込むようになったのは、その身体が再度死んで百点メニューから再生された後だった。

 部屋には昔の事を忘れた和泉がいて、邪魔な偽善者と、見慣れないメンバー、そしてあの玄野計がいた。
 西は一目見て自分と似ていると感じ、……しかしその実、全く似ていなかったあの玄野だ。
 出発点は、あの時ならばまだ似ていると言えた。
 けれど、西が戻ってきた時玄野は前よりもずっと戦闘慣れしていて、メンバーのリーダー的な存在になっていた。……西にはどう足掻いてもなれないような、そんなポジションに立っているのを見て面食らう。
 何が分かれ道だったのか、西には全く判らない。玄野が人並み外れて器用だったからか、悪運が強かったからか、……その時一緒に居たメンバーとの経験が彼を変えたのか。
 メンバーに慕われてその強さを認められ、、犠牲を出さない戦い方をする玄野計が、いまのガンツ部屋を動かしていた。
 和泉がリーダーだった時しか知らない西にとって、今の部屋の状況はとても奇妙に映る。
 何故、強さが一番だったガンツ部屋に生温い仲間意識などというモノが入り込んだのだろう。
 西は常にそう思い、加藤の気配を感じてはこいつのせいかもしれないと呆れた気分でいた。ミッションの後少し部屋の隅でぼうっとしているだけで、誰かが声をかけてくる。放っておけと思うのに、それに気づいた加藤や桜井等が近寄ってきた。
 うるさい、邪魔だ、放っておけ、と何度拒絶してもこの二人は懲りない性格をしている。玄野はその点で言えば冷静だった。気になれば西に問いかけてくるが、メンバーがたくさんいるような場所で接触はしてこない。
 西の高い自尊心や体面を気にする性格をあれでいてよく理解しているようだった。そんな生温い部屋の空気に、西はいつの間にか浸ってしまっていた。
 
 あの恐ろしいミッションを今になって思い出すのは、現在の状況との落差が激しいせいだろうか。
 誰も助けてはくれず、己の力のみで戦わなくてはならなかったあの頃の、苦い記憶の数々が今さら何の為に夢に出てくるのだろう。
 西はそう思いながら僅かな違和感に眉を顰めた。
 ……右の手のひらが、むず痒い。
 痺れたようなその感覚に、西は再び自分の手に視線を落とした。そこには、先程までは無かった真一文字の黒い線が入っていて、驚いて瞬きを繰り返す。
「……なん、だ、……」
 ぞっとしたのと同時に、背筋に冷や汗が滲む。西が震えながら息を飲んだ刹那、その線は左右に割れた。
 ぎょろり、と緑色の眼球が覗き、貫かれるようにその視線と目があった一瞬に、西の意識はブラックアウトしていた。


 


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