それでね、姿を見たときなんかはこう…なんていうの。 ムズムズっとハートをくすぐられたような気がして。 目が合ったりなんかしてしまえば、カァーッとほっぺが熱くなっちゃうの。 リップくらい塗っておけば良かったなーとか。 髪もキレイに纏めておけば良かったなとか。 …って、ねぇ。ちゃんと聞いてくれてる? 「はいはい、ちゃんと聞いてるわよ」 ひそひそ話をするにはもってこいの、食堂の一番隅のふたりがけテーブル。 大の仲良しのシェイラと休憩がてらアフターヌーンティーに来ていた。 もうひとりの仲良し、見習いコックのミューはいないけれど、 (同じくコックでもあるサッチ隊長が独り占めして、なかなか彼女を解放してくれないんだもの) 彼女が淹れてくれたアールグレイはいつもながら格別に美味しい。 シェイラがくっつけ合っていた顔を離し、溜息まじりに苦笑を零した。 「つまり名無しは好きで好きで、仕方がないってことよね?」 「好きってっ…、そんなハッキリ言わないで。恥しいじゃないっ」 「…それ以上に恥しいことを、私は今延々と聞かされていたわ」火照る顔を両手で隠しチラッと指の間からシェイラを見れば、やれやれと言った表情で小さな紙袋を差し出してくるところだった。 それはお洒落な柄のリボンまでついた、いかにもプレゼントって感じのもの。 「はい、フェンネル祭おめでとう」 「フェンネル祭?」 「そう、私が育った島での感謝祭よ。年に一度、大事な人にプレゼントを渡すのが習わし」 「好きな人にっ?!」 「そうだけど、バレンタインとは違くてよ?家族にであったり、友人にであったり。とにかく日頃のありがとう≠送る日なの」 「へー、素敵なお祭りね」 開けてもいい?≠ニ断ってから持ち手にラッピングされているリボンを解くと、中からハート型のサシェを両手で持った可愛らしいクマのぬいぐるみが出てきた。 これは…、バラ? さすが色気磨きに余念のないナースが選ぶものだ。 ポプリの甘い香りが鼻を心地好く撫でる。 「気に入ってもらえたかしら?」 「もちろんよっ!ありがとう」 「いえいえ。こちらこそいつもありがとう」 「…う〜ん、ありがとう≠ノありがとう≠ゥぁ。なんかこう、ぽかぽかあったかくって。本当に良いお祭りね」 「そうね。なんだか私も嬉しくなってくるわ」 「「 ふふふっ 」」 「ずいぶん楽しそうだない」 突然、笑い声の中に低い声が横やりしてきた。 どうしよう…っ。 えっ?だなんて、見上げなくても分かる。 だって、大好きな人の…声、だもの。 思いがけない登場に、心臓が飛び出しちゃうんじゃないかってくらいバクバクして。 シェイラに助けを求め見たら、何かを思いついたように意味ありげに微笑んでいた。 …なーんかイヤな予感。 きっと外れてはいないそれに待って≠言おうと口を開いたとき。 「マルコ隊長、良ければここの席をどうぞ」 それよりも一瞬早く、見事にシェイラが席を立ってしまった。 「いいのかよい?」 「えぇ。私はそろそろ戻らないといけませんから」 「お前は…」 マルコ隊長が気遣わしげにクルリと首を回し見てくるけれど。 ふたりきりだなんて困るに決まってる。 でもイヤなはずもない。 声に乗ってしまいそうなドキドキを宥めるためひとつ深呼吸をし、おもいきってシェイラにならい誘ってみた。 「ど、どうぞ」 「おう。そんじゃ、失礼するかねい」 たったいまシェイラが座っていた席にマルコ隊長が腰を下ろしていく。 人が変わるだけで、どうしてこうも空気まで変わるのだろう。 弾け散らしていた感情が圧縮され内側で縮こまってしまうみたい。 それは隊長の顔や声を聞く度にギュウギュウって苦しくなるのに、ふわふわ温かくって居心地好くもあるの。 「じゃぁね、名無し。今晩の報告を楽しみにしてるわ」 クスクス肩を刻みシェイラが去っていった。 天使のような悪魔のような微笑みを残して。 「報告?」 マルコ隊長が持参したカップを手に取り訊いてくる…けれど、 「い、いえっ。個人的なことです。それよりマルコ隊長のアールグレイですか?」 「あぁ。なんでもいいって言ったら、ミューが今日はこれがお勧めだってよい」 ミューが… 好きな人と同じ時に同じものを飲むって、時間を共有してるみたいで幸せじゃない ロマンチストな彼女の声が聞こえる気がした。 シェイラもミューも、なにかと嬉しいおせっかいを焼いてくれるんだから。 やっぱり持つべきものは女友達ね。 ふとマルコ隊長に目をやると違う方を向いてカップに口付けていて、その取っ手を持つ節くれだつ大きな手に、あの日の記憶が蘇ってきた。 半年ほど前にね、あたし失敗しちゃったの。 仲間に大怪我……ううん。 もしかしたらそれ以上の、大惨事になっていたかもしれない大変なこと。 久しぶりの大嵐の午後、そう。丁度今と同じくらいの時刻だった。 あたし達1番隊は暴風雨を受け流すため、上から見下ろせば翼を広げているような大きな帆を畳もうと甲板に出ていた。 ここは偉大なる航路 こんなことには慣れてる。 そんな決して抱えてはいけない甘えがあたしの中にあって、つい油断してスルッと手に持っていたロープを放してしまったの。 荒れ狂う風に攫われ当然ロープも大きく蛇行した。 もしよ。それが仲間に当たってしまっていたら、どうなっていたと思う? 勢いを味方にしたロープは何よりも強い鞭となる。 自分の許されないミスで大切な仲間を甲板に叩きつけていたかもしれない。 果ては船べりを飛び越え、漆黒の海へ落としてしまっていたかもしれない。 今思い出しても怖くて震えてしまいそう。 でもそうならずに済んだのはマルコ隊長がいてくれたから。 やってしまったっ!! 声にならない悲鳴を上げ足が竦んでしまったとき、視界に淡いものが揺らめいた。 容赦なく吹き荒れる、風にも雨にも引けをとらない青い炎。 やがてストンッとあたしの前に降り立つと、手にしっかりロープを持ったマルコ隊長が怒鳴ったんだ。 バカやろうっ!しっかり持っとけい!!≠チて。 そのあとてっきり邪魔だから引っ込んでろとでも言われるんだろうな。 そう唇を噛み目を瞑り覚悟したら。 マルコ隊長があたしの手を掴みロープを握らすと、一緒に上から押さえていてくれたの。 ずっと、ずっと。役目を果たすまで。 このときほど雨に感謝をしたことはなかった。 雨がうまいこと涙を隠してくれたと思うから。 自分の愚かさに呆れて恥しくなって。 悔しくて怖くなって。 それから、重なる手が……温かくて。 そうして全てが終わったあとお前も無事で良かったよい≠ニ頭に手をやりかけてくれた言葉に、ズキンッと痛く、優しく胸を打たれた。 そのときから、あたし−−… 「クマからかよい?」 「…へっ?」 不意をつく言葉に思わずすっとんきょうな声が漏れる。 そんなに可笑しな声を出してしまったのか、マルコ隊長が顔を緩ませクマに目線を落とした。 「だから、香りの元はそのクマかって」 「あぁ…ポ、ポプリです。この子が持ってるハートがサシェになってて、さっきシェイラにもらいました。今日はフェンネル祭なんだそうですよ。シェイラが育った島の感謝祭で、日頃のありがとう≠送る日なんですって…マルコ隊長、知ってましたか?」 「いや、知らなかった。いい祭りだない」 「はい。それでさっきシェイラと笑ってたんです。ありがとうにありがとうって、嬉しくなるねって」 「じゃー俺もなんかお前にやらねェとよい」 「……はっ?」 「はっ、てお前よ」 目を見開いたまま固まるあたしを前に、マルコ隊長が今度は本格的に笑いだすけれど。 なんて口の利き方をしてしまったんだと思うよりなによりも。 なぜあたしに?って疑問の方が大きく思考を捉えた。 だって、いつも助けてくれるのはマルコ隊長の方で、あたしは迷惑をかけてしまっているだけ。 ありがとうって、こっちが感謝してもしきれないくらいなのに… そんなあたしの心の内を知ってか知らずか、クツリと笑みながらマルコ隊長が言葉を続けた。 「お前のいつも元気な笑顔に一番隊は癒されてるからない。名無しが入ってから一段と賑やかになったもんだい」 「そ、それは。トラブルメーカー…と、いうやつですか?」 「なんだ。自覚はあんのかい」 「っ…ご、ごめんなさいっ」 「ククッ、冗談だい。けど本当に何か考えておけよい。さすがに今日はムリだけどな。次の島でなんか買ってやる」 そう言って。ガタッと席を立ち、マルコ隊長が頭に手を乗せてきた。 あの日のように優しく包んでくれる大きな手。 だからね、あたし考えたの。 離れていく手に寂しさを覚えながら、今夜のことを。 ばかねぇ。そういうときは、あなたが欲しいですって答えるものよ これはシェイラ。 私なら物より満天の星空の下、のんびりお散歩デートしたいなぁ これはミュー。 …どうしよう。 マルコ隊長は買って≠竄驍チて言ったのに、ふたりに相談してもそこのところを堂々とすっ飛ばしてしまいそう。 と、とりあえず。落ち着こう。 そう手を伸ばし、口に飲みこむようにグイッとカップを傾けたのだけど。 いつの間に飲み干したのか、それはすでに空っぽで。 好きな人と一緒に飲むお茶の味なんて、覚えていられないものなのね。 …うん、やっぱり今夜一番の報告はこれだわ。 顔を赤らめ、カップの底を覗きながら静かにそう決めた―― |