「Please call me the Phantom.」
初めて会ったとき、彼はそう言って笑った。いや、笑った、と断言してしまうのは些か真実ではない。彼は私と出会うより以前から、いつ何時もそのカラスマスクを着用していた。外そうとはしなかった。まぁ不審者以外の何者でもなくて、職業柄(私は警官だ)手を後ろに回させたのが、そもそもの元凶とも言うべき出会いだった。
「You are the first to have been kind to me.」
秘境の地の水辺のような碧い目を三日月のように歪めた。隠された口元は、もしかしたら地平線に似ていたのかもしれない。しかし、本当のところを私は知ることなど出来ない。
恨めしや、カラスマスク。
それ以降、何かと理由を付けて彼は私にコンタクトを取ってきた。
「Let's go get a cup of tea.」
「Please shelter me!!!!」
「........ I am lonely.」
私は何でも相談所員なんかじゃない。警官だ。ただ、どんなに怪しい風貌(カラスマスクは勿論、基本的に彼は黒いロングコートを着ている。真夏でも、それは変わりなく。)をしていても、どんなに図体がでかくても、困ったように目を三日月にする彼を見れば、どうしても庇護心が疼く。警官になんてなるんじゃなかった、と、何度思っただろうか。
今日も彼はやってきてこう言った。
「I am dependent on you.」
ある種のプロポーズかと鼻で笑ってやった。もしそうだとしたら滑稽だ。滑稽で、哀れ。たとえ君のためにならこのマスクの下を見せてもいい、なんて言われても、なんとも露出狂染みた告白にしか聞こえなくて、それもまた滑稽だった。
前の恋人は僕を受け入れてくれなくて、と私を無視して彼は語り出した。彼は自分の素性を職質ですら明かそうとしなかったくせに、今になって。それだけ私を信頼したのか、気まぐれか、それとも嘘っぱちを吐くつもりなのか。特に興味はない。庇護心をくすぐられていようが、本心ではそうするつもりなど塵ほどもない。警官としてのプライド?いやいや、ただの自己満足。
「I love you.」
形にならない言葉を形にしようとして彼はマスクに手をかける。
アルバート・フィッシュは少女を愛故に食べたのだろうか。セックスをすることがとどのつまり愛情ではないとすれば、少女を犯すことなくただ食べたのなら(あくまでそれを真実だとするのならば)、それは愛だったのだろう。少女が処女のまま天に召されたように、彼は心だけは処女のようにまっさらなままなんだろう。どぶのように臭くて汚れた世界で誰かを正しく愛する方法を知らず、知らないから歪んだ。その瞳のように、滑らかに美しく彼は歪んでいる。
前の恋人が彼を受け入れられなかったのは、社会においてマジョリティーだ。かくいう私もそちらの側だ。かといって彼に同情しないわけではないが、やはり同感はできない。
秘境の地の水辺が、文字通り水辺になる前に、私はG19を握る。
「Goodbye the Phantom. You are NOT crazy.」
ただ少し、そう、歪んでいただけで。
いつのまにか窓の外は彼のマスクのような色をしていた。彼の口は思った通り醜悪に爛れていたが、受け入れられないほどではなかった。マイノリティー。
私が社会においてマイノリティーであっても、私が実は彼を助けられたかもしれない、というif話は到底成り立たないのだ。
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