「私ね、××さんとなら、幸せになれると思うんですよ」

突然、彼女はそう言い放った。紛れもなく、俺に。意味が分からないので、とりあえずゆっくり咀嚼してみた。噛み砕いて、噛み砕いて、飲み込んだ。しかし、出てきた答えは、

「は?」

という、たった1文字だけだった。

そりゃそうだろう。彼女には俺の兄さんという立派な恋人が居て、俺はただの弟だ。彼女よりは年上だけど。彼女の女の子としての幸せの中に、俺が入り込む余地は1%も無い。彼女は精々、兄さんにいっぱい愛されていっぱい笑ってれば幸せな筈なんだ。人間の幸せなんて、そんな単純なものではないだろうけど、きっと彼女はそれだけで満たされている。

そう思ってたのも、実は数週間ほど前までの話。


1ヶ月くらい前、兄さんが週単位で家を空けたことがあった。勿論、それは仕事が理由だったから、彼女も何も思わなかったようだ。けど、やっぱり週単位ともなったら一人で家にいるのが寂しくなったらしく、俺の家に泊まりに来た。それが始まりだったようなものだ。ご飯食べて、風呂入って、いざ寝ようとしたときだ。同じベッドで寝るわけにもいかないと思って、俺は彼女にベッドを貸して自分はソファにでも寝ようとした。が、彼女が俺に言った言葉で世界が逆転した。

「××さん、私を、抱いて下さい」

確か、そのときも「は?」としか返せなかった。でも、このときは言葉の意味が分からなかったわけじゃなかった。彼女が、そういう事を俺に言う真意が分からなかったのだ。まだ「抱きしめて下さい」なら納得したんだろう。寂しくて人肌が恋しいんだろう、くらいで妥協できる要望だった、が、「抱いて下さい」となると話は全くの別物だ。もし、この要望に応えたら、俺は一瞬で二人の人間を裏切ることになる。それだけは分かった。彼女は当然、妹みたいで可愛いし好きだ。兄さんも、普段はへらへらしてるようでも人としては尊敬してる。そんな二人を裏切るなんて事は、俺には出来ない。そういう心情を察したのか、彼女は追い討ちをかけてきた。

「好きなんです、××さん、愛してるんです」

その時、俺の「何か」は音を立てて崩壊した。
人は、それを、「理性」と言うのだと、後々に思った。


その日のことは、今ではほとんど覚えていない。まるで、幼稚園児だった頃の思い出みたいに白くぼやけてて、断片的にしか思い出せない。唯一、鮮明かつ覚えているのは、最中に彼女が一度も俺の名前を呼ばなかったこと。

それから、彼女は、寂しいと言っては俺を求めてくる。俺を、というのは些か語弊があるかもしれない。彼女が求めてるのは、きっと愛なんだと思う。兄さんだって、充分に彼女を愛してると思う。それでも満たされないから、違う人に愛を求めてるだけなんだと思う。だから、彼女が「寂しい」と言うのは間違いではないんだと、最近は思う。

そうやって正当化しても、俺が二人を裏切ったことは変わらないけど。


「だって、××さんは、私を愛してくれるでしょう?」

尚も彼女は言葉を続ける。そして、俺の口から出たのは否定の言葉だった。

「兄さんには、敵わないと思うけどね」

そう言うと、彼女の表情は酷く曇った。

「なんで、ですか………?」
「だって、そうだろ?気付いてるんだろ?俺は確かに君が好きだけど、それが兄さんとは違う"好き"だってことも。君自身が本当に好きなのは、俺じゃないことも」
「何を言ってるんですか?私は××さんが世界で一番好きなんですよ?」
「君こそ、何を言ってるんだよ。気付いてるだろ、自分でも。俺が君をどんなに抱いても君は俺の名前を一度も呼んだりしない、兄さんには向けていた笑顔は俺には向けない、俺には、無機質な"愛してる"しか、囁いていない」

硝子玉のように澄んだ彼女の眼球に薄い涙の膜が張った。

「所詮、俺は"兄さんの代わり"でしかないよ。君にとってのね。その上、俺は、"代わり"にすらなれないんだ」

彼女の言う「愛」が、本当に俺に向くまで、"代わり"にはなれない。

「私は、××さんと、幸せになりたい……、幸せになりたいの………………」
「君は、もっと現実を見つめなきゃいけないな。いつだって、隣の芝生は青いんだ」

俺の知ってる現実は、鬱陶しいくらいに兄さんが彼女を愛してて、困ったような笑顔でそれをあしらう彼女のいる世界だ。そこに俺が入り込む余地は、やっぱり無いんだ。



最後に噛み付くようにして奪った彼女の唇は、いつの間にか俺の煙草の味が移っていた。それもまた現実だった。




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