母さんが首を吊って死んでいた。



学校から帰ってきたら、居間で母さんが首を吊って死んでいた。朝は、元気だった。俺に弁当を渡し、今日の晩ご飯はハンバーグやからね、と笑って見送ってくれた。それがどうだ。母さんの作った弁当を食べて、授業を受けて、ハンバーグを楽しみにして帰ってきたら。鼻や目から血を流して、涎と糞尿を垂れ流した母さんが、声も無く迎えてくれるなんて。

母さんは、息子の贔屓目を抜いて綺麗な人だった(こうやって、これからは全て過去形でしか母さんを語れないんだろうと思うと心臓がきりきりする。)。マザコンなんかじゃないけど、本当に綺麗な人だった。モデルだとかハリウッド女優のような現実離れした美しさじゃなくて、生活感に溢れた美しさだったそんな母さんの死に様がこんな汚物まみれ、って。何の冗談だ、と思う。まぁ、元レディースだったから口だけは汚かったけど。

自殺する予兆なんて、俺には分からなかった。何もかもがいつも通りすぎた。息子のくせに母親の変化にも気づかないのか、って自嘲するしかないけど。でも、母さんは、晩ご飯を予告したのに、晩ご飯を作らずに自殺するような人じゃない。少なくとも、俺はそう思う。

俺が、中学生の頃、「いじめられたくないから、学校に行きたくない。」と言ったとき、母さんは「別にええけど、せっかく今まで皆勤やったのになぁ。」と言った。的外れなその言葉は、母さんなりの喝だった。それでなんとなく元気を出した俺は、その日学校でいじめっ子を全力で殴打した。先生には怒られるわ、校長室に母さんと共に呼び出されるわ、えらい目にあったが母さんは帰ってから笑って褒めてくれた。そこまでするとは思わんかったわー、とか言って爆笑してた。ご褒美だと言って、いつもは買ってくれないようなケーキを買ってくれた。校長に怒鳴られてもへらへら笑ってた母さんなのに。

さすが父さんの子やわ、が母さんの俺に対する口癖だった。うちは母子家庭だった。父さんは、俺が生まれたと知らせを聞いて病院に駆けつける途中で交通事故に遭い、死んだらしい。父さんは俺に一度も会わずに死んだし、俺も父さんには会ったことがない。母さんが言うには、昔の写真は本人が恥ずかしがって全部燃やしてもた、らしい。顔も知らない父親に似ている俺を母さんがあまりにも誇らしく思っているから、俺は父さんの代わりに愛されてるんじゃないか、って考えたこともあったけど。大学に進みたいといった俺のためにパートの時間を増やしていた母さんを見たら、そんな考えをしてた自分を恥ずかしく思った。

なぁ母さん、何を思って首を吊ったんだよ。

すっかり細くなった母さんの手に指輪を見つけた。左手の薬指。薄給だった父さんは婚約指輪すら買えなかったらしいから、俺が小遣いを貯めて玩具みたいな安いやつだけど買った指輪だった。俺の小遣い自体、母さんの給料から出てる物なのに、母さんは泣いて喜んでくれた。なかなか着けてくれないから気に入らなかったのかとへこんだけど、着けたら落としたりしそうで怖い、と言って神棚に奉った(今考えてもおかしな行動だ)。

それを最後の最期に着けた、もう動かない母さんを見つめる。夕日に照らされた母さんの顔に流れる血の涙は、母さんの半生にも見えた。所謂出来ちゃった婚だったらしいけど、出来ちゃった”俺”をちゃんと愛してくれた。父さんも俺を楽しみにしてた、と、そう言う母さんは、きっとまだ父さんを愛してた。もしかしたら、もしかしたらだけど、母さんは父さんに会いに行ったのかもしれない。天国とか地獄とか、黄泉の世界とか、信じてるような人じゃなかったけど、寂しかったんだろうと思う。いくら俺が父さんに似ていても、自分と血の繋がった子供であっても、埋まらないような、俺には分からないような、そういうぽっかり空いた穴みたいなのを埋めに行ったのかもしれない。母さんは、今までずっと俺のために生きていてくれたようなもんだ。そうだよな、自分がしたいこと、そろそろしてもいいよな。そうだよな。




「だから、俺も母さんと父さんに会いに行っていいよな?だって、まだ”ただいま”言ってねーもん………。」





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