『覚悟』


殿内を殺害し帰宅した総司は平静だった。
今朝に見た表情で、声音で、矢継ぎ早と仲間に詰問されるのを飄々と交わして八木邸の門を過ぎる。

そう。身を赤黒く染めあげている点を除けば何一つ変わらぬ男に何処か噛み合わない歯車のような歪な焦燥が胸の奥を急いて攻め立てた。
意図を持たない、漠然とただ泣きたい衝動に立ち尽くしていると、絡んだ翡翠の視線は対照的に弦を描いた。
「……ねぇ、一君。僕もこれでようやく君に追いつけたかな……?」
仄暗い闇夜と対極した純然と向ける笑顔に掛ける言葉を俺は持ち合わせておらず、背中を見送り目を伏せる。
そして一呼吸置いた後に困惑する井吹を広間へと促した。



愁嘆…とはまた違う胸中を苛む感情に人を斬るとはどういう事なのか、その夜俺は改めて思い知らされたのだった。




『覚悟』




その後の総司は例えるなら水面だろう。
表面上は不気味な程に平静を装い、心中等推し量る事を許さず些末な風をも靡かせない。
が、しかし一度嵐が吹けば波紋は大きく揺れ、不安定な振り幅は総司を呑み込み、力は自制を失い荒み狂った。

…………【芹沢】と言う嵐が吹けば。

文久三年六月。
大坂にて力士相手に乱闘の末、刃を向けた。

嵐は総司を混沌へと翻弄し追い詰め深みへ落とす。
しかしそれでも尚、俺には掛ける言葉が見当たらなかった。






薄雲の合間に青白い望月が夜道を淡く照らしていた。
寂寞とした中、俺は1人壬生寺の表門を潜り真っ直ぐ本堂へと歩を進めた。
砂利を踏む音に紛れ、風を斬る幾重の音を心地良くも、混沌とした空気に憂悶しながら一歩一歩と境内の石畳を噛み締め進む。
すると総司は差違な足音から背後の人物を察したのか荒ぶる殺気を僅かに緩ませ悠然と振り返り、笑った。

「あれ一君だ。こんな夜更けに稽古?」
「それは此方の台詞だ」
月明かりを受けた笑顔は変わらず思慕の下弦を描き、声音は至って平常。
寸分変わらぬ『沖田総司』だった。
しかし身から滲み出る内面は禍々しく、その不安定に別れた心と身体は見ている此方を確かに焦燥とさせていた。
「ねぇどうせなら稽古付き合ってよ。一本だけやったらちゃんと寝るから」
「……………いいだろう」
手渡された木刀を握り二間弱の距離にて対峙する。

些々に擦れる砂利の音を神経深く計りながら中段に構えた剣先は獲物の喉元へと狙いを定めた。



その刹那、総司が仕掛けた。




踏み出す右足は無音だった。遠間から瞬く間に距離を詰め、矢の様な突きが閃光の一線を貫く。首筋を確実に狙っていた其れを身一つで交わし、続け様に来る第二波、第三波に備え木刀を構え直した。
が、其れを予め読だ総司は袈裟斬りで凪いできた。予期せぬ奇襲に舌打ちをし木刀で受け止め、流したそのままの反動で頭蓋へ叩き込むが其れをも阻まれた。受け止めた木刀同士が激しくぶつかり鬩ぎ合い広い境内に鈍く反響する。

ジリジリと掌の中を痺れる衝撃は重く、先程の総司の一打で下腕部は軋みを上げた。速く重い猛者の剣に自然と高揚を抑えられない。
飛び退き、反動のまま一気に勝負を付ける。再び腕に踏み込む瞬間、手首を返し荒ぶる感情を剣に込め、渾身の抜き胴へと剣先を翻した。
対し総司は重心を落とし平清眼に構え、真っ向から迎え撃つ。


交じり合う殺気と殺気、点と線が交差する一瞬。





首元を狙う剣先が振れた。

「……………ッ!」

その僅かな変化に反射的に軌道を無理矢理上へと鞭打ち、総司の木刀を振り払った。
審判も見学者も居ない静寂とした境内でカラン、と石畳に反響する音だけが二人の勝敗を告げていた。



「……………珍しいね。そのまま胴を撃ち込めば勝ちなのにそんな力技で圧してくるなんて」
激しいなぁ。
クスクスと乾いて笑う総司に一瞥すると、飄々とした表情から笑顔が消えた。視線の中に孕む静かに殺意を忍ばせた、侮蔑した色を感じ取ったのだろう。殺伐とした空気は頬を鋭利に刃を向けた。
「俺が木刀を払う直前のあの剣は何だ。まるであんたを感じない。そのような剣、あっても足手纏いの何物でもない。…何より不愉快だ」
「………………言ってくれるじゃない」
シュ、と擦れた音と共に冷えた刃先が首元に触れた。
だがしかし其れ以上に鋭利な殺意は底冷えに視線だけで射殺す。そんな気迫を刃にしていた。
それでも臆する事無く真正面から対峙し、感情の籠もらない瞳に其れを探す。
己の感情を内包させながら。

「あんたは強い。力と言う圧倒的な暴力の中にしなやかに自在する流水の剣だ。俺はあんたのそんな剣に惚れ込んだのだ。俺に不抜けた様を見せるな」
「そんなの詭弁だね。僕の剣は殺人剣だよ」
月明かりの白光に照らされ、そう突き放した総司は笑っていた。眉を下げ、瞳孔を揺らしながらも鋭角に口元は下弦を描き、精一杯の虚勢と自虐で笑っていた。翻弄され自制を離れた暴力を、感情を咀嚼出来ずに困惑している。


今にも崩れてしまいそうな笑顔ごと抱き寄せ、胸の中に愛しさを閉じ込めた。

「…………………そうだとしても俺はあんたの剣に惹かれている。だから自分の剣を貶める事を軽々しく口にするな」
「…………………」

CG


慣れない手付きでその柔らかな髪に触れると、腰を引き寄せられ更に二人の距離は触れ、互いの温もりと温もりは融解し、慈しみへ降り積もっていく。
煌々と見下ろす白月は二人を普く見守っていた。
「……一君は温かいね。浴びた血潮もこんな風に温かかった」
ぽつりぽつりと降っては落ちる吐露は酷く脆弱でか細かった。
そんな総司にやはり気の利いた言葉は見つからず、抱き締めてやる事しか出来なかった。


自分も同じなのだ。
複数の感情が入り交じり、自身の身の内の事だと言うのに困惑している。




あんたの覚悟は理解していた。剣を血に塗れる事を渇望している事を総司の意志として尊重していた。




だが、あの日。

「どうしてだろう。当たり前の事だったのに何故か、この温もりが居心地悪い」

血塗れた総司を見て試衛館に居た日々を追慕した。
あの日々は二度と帰らぬ事を、ただ強さを渇望していた二人で居られぬ事を漠然と理解した。
互いの手は奪った生命の温もりを知ってしまった。
あの頃はもう、戻らない。

「選んだ事なのに、哀しい訳じゃ無いのに、君の事大好きなのに、どうして泣きたくなるんだろう」













互いを苛む痛みさえ甘美な愛しさへ変わる。

(尚も覚悟するのは己の決意。あんたと共に在ると言う事)






(了)



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