『初雪』


空から舞い落ちる最初のひとひらを、共に見られると。
そう・・・思っていた。




薄暗闇に鈍く光る刀身。突きつけられた刃先。

「・・・・」

先に刀を抜いたのは向こうだった。
俺も己が志を貫くため死すら厭わない覚悟で刀を抜いた。

だが、刀を交えてすぐに悟ったのだ。
俺に斬りかかってくるこの男には、高い志も、ましてやあんたほどの腕前もないということを。

「・・・・」

しかし手を抜くわけにはいかなかった。
これは武士同士の、命を掛けた真剣勝負。手を抜くなど相手に対する侮辱以外のなにものでもないからだ。

ぶつかりあう白刃、飛び散る閃光。
このまま永遠に続くと思われた―――刹那。

命を刈り取るその瞬間は、実に呆気ないほど簡単に訪れた。

生温かな血潮を滴らせる刃。
地へと伏した体。途絶える命。

止まらない―――震え。

「・・・・」

人一人の命を奪ったのだという目に見えない恐怖が俺の心を深く抉った。

「・・・・」

それも覚悟の上だと、震える体に必死で言い聞かせた。
死によって遂げられる本懐も、生き続ける苦悩も武士であれば避けられぬ運命(さだめ)。それこそがあるべき武士の姿、誇りだとあんたに出会って俺は確信したのだ。

「・・・・」

だというのに、今の俺は刀を捨てる覚悟を迫られ、人を斬った罪で追われる身。
直ぐにでも江戸を発たなければならなかった。


『武士とは、俺が刀を握る意味は一体何なのだろうか?』


かつて無いほど迷い、悩んだ日々。
縋るように刀を握り締めた時、俺の脳裏に浮かぶのはいつもあんたの顔だった。

「・・・・」

口元に不敵な笑みを浮かべ、翠の瞳を細める仕草はまるで獲物を狙う猫そのもの。ただ愛くるしい表情とは裏腹に、その本性は俺の心を捉えて離さない、生涯唯一の相手とも言うべき―――凄腕の―――剣の使い手。

「・・・・」

このまま黙って姿を晦ますべきか、ありのまま真実を告げるべきか。
どちらが次善の策かなど分かり切っているというのに。


茜色に染まりゆく空。
見上げると、はらり、ひとひらの初花(ういか)。

「・・・・」

振り返ることもできない俺をあざ笑うかのように、頬を掠めていく白の欠片は、残酷なほど無垢な心を持ったあんたによく似ていた。


漸く巡り合えた縁(えにし)。
このままここで棄ててしまうには惜しいと思わせるほど

「・・・総司」

俺は・・・。




****




「・・・?」

頬に触れる冷たい何かに、ふと、目が醒めた。

「・・・・」

頬に手を伸ばし触れてみたけれど、そこには掴めるようなものなど何もなく、ましてや『総司』と夢で呼ばれた姿に巡り会えるはずもなく。

(冷たい、指先・・・のような)

頬に残された感触は、確かに彼のものだと僕の記憶が訴える。

(・・・いや、そんなはずない・・・か)

小春日和の麗らかな西日射す中、縁側に寝転んだまま、一つ小さく溜息を吐いた僕は再び静かに瞼を閉じた。

「・・・・」

目を閉じればいつでも会うことができる。いつ、いかなる時にでも戻ることができる。
そして思い起こす時はいつも同じ。

「・・・・」

彼と最初に出会ったあの日だ。



半年ほど前になるだろうか。

道場破りなんて名ばかりの、僕の突きすらまともに受け止めることもできないつまらない輩ばかりを相手にしていたあの頃。力を持て余し、思いを持て余していた僕は、日々募っていく退屈に心底辟易していた。

そんな折、彼が試衛館の門を叩いた。

『・・・・』

黒の着流しに白の襟巻という、およそ夏とは思えない面妖ないでたち。右肩で緩く一纏めにされた紫黒の髪、剣客と呼ぶには余りに整い過ぎた容貌。上背も無く、抱き締めた途端、折れてしまいそうなほどか細い肢体。

彼が醸す雰囲気もまた、剣客と呼ぶには聊か静謐すぎた。

『・・・じゃあちょっと打ち合ってみる?』

だから軽い気持ちで構えて“しまった”。

《・・・左利きか》

僅かな違和感に嫌悪こそ抱いたけれど、それすら恐れるに足らない些事。
が、刃先を向かい合わせた瞬間

『!』

ぞくり、背筋に悪寒が走った。

『・・・・』

今まで感じたことのないような殺気。
それは木刀を構え、僕を見据える彼の体から発せられていた。

『・・・・』

迷いなき蒼の双眸を見つめ返し、僕は考えを改めた。
生半可な気持ちで挑めばこちらが殺られる、と。

『・・・いくよ!』

刀を交えて、予感は確信へと変わった。

『・・・っ、く!』

細作りだと思っていた体は全てが鍛え上げられた鋼のように強くしなやかで、繰り出す剣撃のひとつひとつが僕の腕に重く圧し掛かった。一切の無駄なく流れる美しい太刀筋は、見惚れたら―――最期。

『うあっ!』

がん、と激しい音を打ち鳴らし彼の太刀を上段で受け止めると、返す刀で突きをお見舞いした。

確かな手ごたえ。
持てる技の全てを駆使し、神経を擦り減らす攻防に漸く終止符が打たれた。

『はあっ・・・はあっ・・・』

なにせ僕の突きを真正面から受けて立っていられた相手なんて

『・・・嘘』

今まで、ひとりも・・・。

『君、凄いね』
『・・・あんたも、な』

肩で息吐きながら睨み合う眼には歓喜と興奮。

『・・・・』
『・・・・』

望んでいた好敵手に出会えたと、眼の前の男こそが魂の片割れ、唯一無二の相手だと。

『は・・・ははっ』
『、ふ』

互いに口角を上げた。

CG

それから僕らは延々と打ち合った。
打ち合って、たった一日でお互いの全てを知った。

言葉などいらない。
この手に握る刀こそが、僕らの人となりを雄弁に物語ってくれた。




「・・・・」

あの時の感動を僕は今でも鮮明に思い出すことができる。

僕を射抜く挑発的な眼差しも、普段雪のように冷たい彼の肌が、僕と打ち合うことで燃えるように熱くなる様も、なにもかも全て。

「・・・・」

僕の心に火を点けたのは、後にも先にも君だけ。

「・・・・」

君だけなんだよ、一君。

「・・・・」

なのに君は、二人でしか分かち合えない時間、思い、何もかも置き去りにして。

「・・・・」

どうして突然僕の前から姿を消したの?
「・・・はぁ・・・」

寝転んでいた体をゆっくりと起こしながら、僕は暮れゆく空に向かって白い溜め息を零した。

「・・・・」

こんなの全然僕らしくないって、自分でも分かっているんだ。こんなふうに誰かに執着するなんて、本当・・・僕らしくない。

(・・・忘れるんだ、彼のことは)

僕の前から去っていった人々と同じように忘れてしまえばいい。
そう思えば思うほど、彼のことばかりが頭を占めて、思いばかりが量(かさ)を増していく。

刀を握り薙ぎ払っても、払いきれないこの思いは・・・いったい何?

「・・・・」

濃紺の空から、はらり、ひとひらの初花。
無意識のうちに手が―――伸びていた。

「・・・・」

掴まえて、そっと掌を開いてみたけれど、やはりそこには影もかたちも無くて。
冷たさだけがやけに肌に沁みた。

「・・・・」

捕らえることのできない、白く冷たい花びらはまるで・・・。

「・・・ははっ」

この僕が感傷に囚われるなんて。
全く笑えない。

「・・・はは」

笑えないよ。





空から舞い落ちる最初のひとひらを、ひとり見つけてしまうたび、きっと僕は囚われるのだろう。

「・・・一君」

ここにいない君に。

この心も、
体までも。






(了)



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