・駅(ホーム)

放送 『三番線に電車が参ります。白線の内側に立ってお待ちください』
千早 (ここに来るのも久しぶりだな。何も変わっていない…相変わらず何も無い…)

千早(ちはや)来た電車に乗る



・電車

千早、開いている席に座る

千早 (ここから二時間か…)

出発のベルが鳴る

男  「待って待ってー!」

言いながら走ってくる男
男が入ると同時にドアが閉まる

男  「危なかったー…」

一息つくとふらふらと空いている席を探す男
千早の隣に立つ

男  「ここいいですかー?」
千早 「あぁ、どうぞ」
男  「どうもっ」

千早の隣、通路側の席に座る男

千早 (なっ…何だこいつは…。伸び放題の無精髭に穴の開いたジーパン。髪もボサボサでいかにも不潔そうだ…。こういう人間とは関わりたくない…)

電車が動き出す

男  「寒いですねー。お兄さんどこまで行くんですか?旅行?」
千早 「…じ、実家に帰るんだ」
男  「へぇ。実家ってどの辺?」
千早 (なんなんだこいつ…)
千早 「高崎だが…」
男  「高崎かぁ!俺その隣!津名賀だよ!知ってる?」
千早 「あぁ」
男  「んじゃあ降りるとこも一緒ですねー。津名賀に駅ないから。俺そこから車っすよ!」
千早 「そうか」
千早 (なんなんだこの軽々しい態度…益々関わりたくない…他に空いている席は無いのか?)
男  「これから二時間だもんなぁ。短い間ですけど、これも何かの縁だと思って、よろしくお願いします!」
千早 「……」
千早 (空いている席…)

千早、辺りを見回すが空いている席は無い

千早 (くそ…こんな時に限って満席か…)
男  「?俺、弘瀬恭平(ひろせきょうへい)って言うんです!お兄さんは?」
千早 「は、はぁ?何で名前なんか…」
恭平 「いいじゃないっすか、名前聞かないと話しにくいし。ね?」
千早 「…図々しい奴だな…」
恭平 「はははっ!よく言われる!ね?別に悪用するってわけじゃないんだし、教えてくださいよっ!」
千早 「…一柳(いちりゅう)だ…」
恭平 「一柳何さん?」
千早 「そこまで言わなくてもいいだろう…」
恭平 「そこまで言ってんだから名前くらいいいじゃないっすか!俺名字で呼ぶのあんまり好きじゃないんすよね」
千早 「…千早だ…」
恭平 「千早さんかぁ…綺麗な名前ですね!ぴったりだ!」
千早 「…どうも」
恭平 「ねぇ、千早さんって幾つ?俺とあんま変わんないように見えるけど…」
千早 「それはこの電車で隣になっただけの人間にいちいち教えることなのか?」
恭平 「冷たいなぁ!俺二十六。千早さんは?うーん。見たところによると、二つ上くらい?」
千早 「なっ!…三十二だ…」
恭平 「え!?マジで!?見えねぇー!」
千早 「し、失礼な奴だな!」
恭平 「違う違う!悪い意味じゃなくってさ、千早さん肌とかすげぇ綺麗だもん。三十過ぎには見えないって!羨ましいー。っつか、俺こんな綺麗な三十代見たことないっすよ!」
千早 「…褒められてるのか馬鹿にされてるのか分からない…」
恭平 「素直に受け取ってよー。そっか、んじゃ六つ上かぁ。んでもアリアリ!」
千早 「何が有りなんだ…?」
恭平 「ん?ううん!気にしないで!俺考えないで喋ってること多いから!」
千早 「そのようだな…」
恭平 「はははっ!千早さんも十分失礼じゃん!」
千早 「お前がそんなだからだろう」
恭平 「いいよいいよ!んじゃあさ、職業当てようか…。うーん、何だろ?固そうなのは仕事柄か、それとも性格かぁ…俺的には前者でそれが癖になってる感じ。んでも家柄かなぁ?」
千早 「勝手に推理するんじゃない」
恭平 「待ってよ、当てて見せるから!」
千早 「…はぁ」
千早 (何なんだこいつは、本当に…後二時間、こいつのこのペラペラと出てくる話を聞かなきゃいけないのか…)
恭平 「分かった!弁護士!」
千早 「違う」
恭平 「えー、ほんとに?」
千早 「もし当たっていたとしても答えるつもりはない」
恭平 「なーんで」
千早 「はぁ……少し黙ってくれないか?私は別に君と仲良くなるつもりは無いし、席が隣になったからと言って話さなければいけないということも無いだろう。普通は見知らぬもの同士黙っているものだ」
恭平 「……」
千早 (なんだ…こんなものか。所詮は常識も無い若者ということか)
恭平 「あ、今ちょっと勝ったって思った?」
千早 (…っく!こいつ!)
千早 「もういい」

千早、立ち上がる

恭平 「え、え、ちょっと待ってどこ行くの?」
千早 「お前がうるさいから席を替えるんだ!」
恭平 「でももうどこも席空いてませんよ!」
千早 「ならデッキで立っている!」

他の乗客が千早を見る

千早 「っ!…」
恭平 「ごめんなさい!俺が悪かったですから!ホラ、他のお客さんも見てるし」

ドカっと席に座る千早

恭平 「少し静かにしてます…」
千早 「初めからそうしていればよかったんだ!」
恭平 「ごめんなさい」
千早 (なんだこいつは…叱られた犬みたいに…まぁこれで大人しくしているんなら…)



・電車

恭平M「一時間後」

千早 (この辺もまったく変わりないな…しかしこの雪は大丈夫なのか?進むにつれて多くなっていく…)

ワゴンサービスが来る

恭平 「あ、ポテトチップスとお茶ください」
千早 (こいつもあれから話しかけてこないし、まぁあと一時間もすれば着くか…)

電車が急停車する

千早 「な…」
恭平 「あれー?どうしたんだろ?」
アナウンス『豪雪のため、運行をしばらく停止致します』
千早 「何!?」
恭平 「豪雪ですって、確かに雪凄いですもんねー」
千早 「しかし!この辺りでそんなこと一度も!」
恭平 「そうなんですか?まぁでも滅多にないからこそじゃないっすか?」
千早 「…はぁ…」
恭平 「そんなに急いでるんですか?」
千早 「急いではいないが…こんなところでずっといたいわけないだろう」
恭平 「まぁ、そうですけど」
千早 「…」



・電車

恭平 「千早さん」
千早 「なんだ」
恭平 「いつになったら電車、動くんですかね?」
千早 「さぁな。あれからもう随分経つが…」
恭平 「ね…」
千早 「あぁ」
恭平 「…」
千早 「…」
恭平 「暇じゃありません?」
千早 「…」
恭平 「…」
千早 「あぁ」
恭平 「あ、やっぱり千早さんでも暇になるんだ」
千早 「人をなんだと思っている」
恭平 「いや、なんかこの暇を有効に使いそうな感じ」
千早 「なんだそれは」

車内の電気が消える

恭平 「…あ…停電かな…」
千早 「立ち往生に加えて停電とは、また最悪だな…」
恭平 「さすがに真っ暗ですね」
千早 「目が慣れてくれば見えるようになる」
恭平 「強いっすね」
千早 「別に暗いくらいどうって事も無いだろう」
恭平 「そうですか?俺結構怖いけど」

窓が風でゆれる

恭平 「ホラ、怖くないですか?」
千早 「別に」
恭平 「えー、ほんとに?強がってない?」
千早 「強がってなどいない」
恭平 「そっか。良かった。窓側じゃなくて」
千早 「そんなに怖いのか」
恭平 「うん。だってこんな山の真ん中の真夜中近くに立ち往生してて真っ暗ですよ?怖くて当たり前ですよ。なんか出そうだもん」
千早 「そうか。まぁ、違う恐怖はあるがな」
恭平 「違う恐怖?」
千早 「このまま電車が動かなくて停電も直らずに凍死するだとか」
恭平 「あ、そういえば寒いですね。停電したから暖房も止まっちゃったんだ。すげぇ怖いじゃないっすか」
千早 「そうならないことを祈るしかないな」
恭平 「ですね。でも一つ良いことがあった」
千早 「いいこと?」
恭平 「千早さんが普通に話してくれるようになった」
千早 「なっ!」
恭平 「あ、自分でも気づいてなかった?」
千早 「ひ、暇なんだから仕方ないだろう」
恭平 「へへへ。それで良いですよ。話してくれるんなら」
千早 「…」
恭平 「それに、千早さんも隣が俺でよかったでしょ?」
千早 「さぁな」
恭平 「はははっ」



・電車

恭平 「…」
千早 「…」
恭平 「りんご…」
千早 「ごりら…」
恭平 「ラッコ…」
千早 「こ………」
恭平 「ほら、男が被せるやつ」
千早 「コンド…っ!コアラ!」
恭平 「あれ?…ラッパ」
千早 「パイナップル」
恭平 「ルビー」
千早 「ビーカー」
恭平 「カカオ」
千早 「お……お……」
恭平 「ほら、男が毎日でもする」
千早 「オナ…!お前!さっきから何を言わせようと!」
恭平 「え?いや、ヒントを」
千早 「そんなヒントいらん!」
恭平 「でも千早さんみたいな人でも知ってることは知ってるんですね。っつか言わないだろうけど」
千早 「そもそも!何故しりとりなんかしてるんだ!」
恭平 「乗ってきたのは千早さんでしょー」
千早 「…っ!」
恭平 「いつまで経っても電気はつかないし、怖いし」
千早 「…さすがに寒くなってきたな…」
恭平 「そうですね。外は吹雪だし」
千早 「お前、その足は寒くないのか?」
恭平 「足?あぁ、これ?別に、まぁ全体的に寒いからわかんないだけかもしれないですけど。俺はこんな穴の話より、千早さんがコートだけで寒くないのかが心配です」
千早 「これくらい我慢できる」
恭平 「コートって結構寒くないですか?俺はダウンだから大丈夫ですけど。あ、ホントに寒くなったら言ってくださいね。貸しますよ」
千早 「そんな気は使わなくてもいい」
恭平 「あ!これ貸しますよ。マフラー。これしてるだけでも暖かいから!」
千早 「…別にいい」
恭平 「へ?なんで?俺大丈夫だから遠慮しないでくださいよ」
千早 「いいと言っている…」
恭平 「何で?…あ」
千早 「…」
恭平 「あー、まぁね、今のこの格好じゃあそう思われても仕方ないかー」
千早 「…」
恭平 「大丈夫ですよ!俺今こんななりしてるけど、ちゃんと毎日お風呂入ってますから!匂いもしないっすよ!」
千早 「別にそういうことを言っているわけではない!」
恭平 「いいですいいです!俺も千早さんの立場だったらそう思うと思うし」

千早の首に無理やり巻く恭平

千早 「お、おい!」
恭平 「ね?暖かいでしょ?」
千早 「あ、あぁ…」
千早 (…なんだ…良い香りがする…香水…?いや、お香か…。少しでもそんなこと思ってしまったのは失礼だったな…)
千早 「すまない…」
恭平 「いいっすいいっす。困ってる時はお互い様ーってね」



・電車

風が窓に吹き付ける
窓が揺れる

恭平 「うんともすんともいいませんねー。しかも携帯も圏外」
千早 「もう一時過ぎか…」
恭平 「こんなことにならなかったら今頃暖かい布団で寝てた頃かなー」
千早 「そうだな…」
恭平 「…千早さんは、よく実家に帰るんですか?」
千早 「いや、随分前に帰った以来だ」
恭平 「そうなんだー。お仕事忙しいとか?」
千早 「まぁそれもあるが」
恭平 「そんなもんっすよね。千早さんのお母さんってどんな人なんですか?」
千早 「母か…のほほんとした、人だな」
恭平 「お母さんのこと好き?」
千早 「あぁ。父が厳しい人だからな」
恭平 「あ、それ分かるなぁ。やっぱり千早さんのその性格は家柄だったかー」
千早 「まだそんなことを考えていたのか」
恭平 「ふふふ。でもいいなぁ。のほほんとしたお母さん。見てみたい」
千早 「どこも同じ様なものだろう」
恭平 「そんなこと無いですよ…」
千早 「…?」
恭平 「あ、ねぇ、お腹減りません?さっき買ったポテチでよければ」
子供 「うわぁぁあああん!」
恭平 「?」

声のする方に振り向く恭平

男性 「おい!うるせぇぞ!黙らせろ!」
母親 「すみません!ね、優ちゃん。我慢して?もう少しの辛抱だから」
子供 「うわぁぁああん!」
男性 「黙らせろって言ってんのがわかんねぇのか!?口押さえてろ!」
恭平 「なっ!」
母親 「すみません!すみません!優ちゃん、ほらほら、ね?良い子にしてて」
子供 「うわあああああん!」
男性 「できねぇんなら俺がしてやる!貸してみろ!」

男性が近づいてくる

恭平 「何考えてんだあんた!」

恭平、男性の前に立つ

男性 「何だ!うるせえっつってんだろ!」
恭平 「仕方が無いだろ!こんな状況になって不安なのは皆同じだろ!」
男性 「黙れ!こんなところにガキなんか連れてくるのが悪いんだ!どけ!」

男性が恭平を突き飛ばす

恭平 「このやろっ!」

恭平が男性に掴みかかろうとする

千早 「おい、弘瀬」
恭平 「千早さん」

千早、恭平の手を掴んで座らせる
立ち上がる千早

千早 「こんな状況になって気が立っているのは仕方ないと思いますが、子供に手を出すほどではないでしょう。こいつが言うように不安なのはここにいる全員同じです。それとも、車掌を呼びましょうか?」
男性 「くそっ!」

男性、席に戻っていく

母親 「すみません本当に。ありがとうございます」
千早 「いえ、こんな状況で泣いてしまうのは仕方ないですよ」
恭平 「あ、もしかしてお腹減ってるんじゃないですか?これ食べる?」

子供頷く

恭平 「あげるよ!兄ちゃん達はお腹減ってないからさ!」
母親 「そんな!いただけませんよ!」
恭平 「大丈夫ですよ!遠慮しないで!ほら、食べな」

恭平、袋を開けて子供に渡す

母親 「本当にありがとうございます」
恭平 「いえいえ、じゃあね」

母親と子供、席に戻っていく
子供に手を振る恭平
席に座る千早と恭平

恭平 「千早さん、ありがとう。あのままだったら俺も殴りかかってたとこだった。へへへ」
千早 「その気持ちも分からないでもないがな」
恭平 「あ、千早さんもお腹減ってたよね?ごめんね」
千早 「いや、いい」



・電車

恭平 「あとどのくらいで動きますかねぇ?」
千早 「そうだな、皆眠っているようだが、大丈夫なのか?」
恭平 「えぇ…死人が出るとか無いですよね?」
千早 「わからないぞ。もう停電してから大分経っているからな」
恭平 「そんな…」

母親 「あの…」
恭平 「へ?」
母親 「あの、これよろしかったら使ってください」

毛布を差し出す母親

千早 「いえ、でも…」
母親 「さっきのお礼と言っては何なんですが」
恭平 「そんな!いいですよ。これはお二人で使ってください」
母親 「あ、大丈夫です。もう一枚あるんです。私たちはそれで十分なので」
恭平 「いいんですか?」
母親 「はい」
千早 「じゃあお言葉に甘えさせていただきます。ありがとうございます」
母親 「いえ、ほら、優ちゃんもお礼言って」
子供 「ありがとう」
恭平 「へへへ、ありがとう」

子供の頭を撫でる恭平
親子、席へ戻る

恭平 「良かったですね、千早さん!」
千早 「あぁ」
恭平 「ほら、千早さんもっとこっち寄って」
千早 「え?」
恭平 「入らないから」
千早 「あ、あぁ…」
恭平 「…マフラー臭くなかったでしょ?」
千早 「はっ?や、違う!そんなことを思っていたわけではなくて」
恭平 「?はい、そっち持って」
千早 「あぁ」

毛布に包まる二人

恭平 「あぁ、やっぱ毛布って暖かい…」
千早 「…」
恭平 「このまま寝たら死にますかね?」
千早 「大丈夫だろう…眠いのか?」
恭平 「うーん。どうだろ?眠ーい気もするし、そうでもない気もする…」
千早 「なんだそれは。いいぞ、眠っても」
恭平 「肩に頭乗せてもいいですか?」
千早 「あぁ」
恭平 「意外。駄目って言うと思った」
千早 「言って欲しいならそうするが」
恭平 「嘘嘘!乗せさせてもらいます」

千早の肩に頭を乗せる恭平

千早 (…やはりお香の香りか…良い匂いだ…)
恭平 「千早さんは眠くない?」
千早 「あぁ、普段もまだ起きている頃だからな」
恭平 「え?千早さんってやっぱり何のお仕事してるんですか?」
千早 「…」
恭平 「あ、言いたくなかったらいいですよ」
千早 「…興信所だ」
恭平 「興信所…」
千早 「…」
恭平 「まぁ俺の線も外れてはいなかったってとこですかね」
千早 「いや、外れているだろ」
恭平 「あれ?そう?」
千早 「ははは」
恭平 「あー、千早さん初めて笑った。やった」
千早 「…」
恭平 「あー怒んないで」
千早 「怒ってなどいない…」

後ろの方でさっきの子供と母親が小さく笑っている声が聞こえる

恭平 「…」
千早 「…」
恭平 「千早さん」
千早 「ん?」
恭平 「ウーヌーグーヌーって知ってます?」
千早 「あー、ドイツの童話だったか?内容は知らないが」
恭平 「そう、暇つぶし程度に聞いてください。なんでもない話ですけど」
千早 「?あぁ」

恭平 「俺が小学生の時にね、学校に人形劇団が来たんです。体育館に全校生徒集まって、観賞するんですけど。その時やったのが『ウーヌーグーヌーがきた』って話。俺それまで全然知らなくて、でも見ているうちにもの凄く引き込まれていったんです。内容はうろ覚えなんだけど、ウーヌーグーヌーってお化けがもの凄く怖かったんです。だって命令に従わなかったら殺されるんですよ。今でも怖いんです。ウーヌーグーヌーってね『ちゃんとした、人に恥ずかしくない生活をしている家にはウーヌーグーヌーは来ない』って言われてるんです。だからもし来ても、他の誰かに助けを求められないんですよ。だって言っちゃったらその家は恥ずかしい生活してるってことだから。その内容っていうのが、最近になって調べて分かったんですけど、それまで俺は『表向き幸せな、でも本当は不幸な家に来る』んだと思ってたんです。だから自分の家にはウーヌーグーヌーが来る!と、思ってしまったんです」
千早 「…」
恭平 「あのね、俺の母さん。随分前から他に相手がいるんです。もう本当に前から」
千早 「…」
恭平 「それでね、父もなんだかおかしな人で、両親がそうなってしまうのも、仕方ないなぁって思うところもあったんですよね。でもそれなら、母さんがそっちの男と出て行けばいい話なんだけど、そうもしないんです。両親、中途半端に仲が良かったから」
千早 「…」
恭平 「だから、家族が壊れることは無かった。でもそれが一番辛かった。母さんは俺達子供のことは大好きで、凄く良くしてくれるんだけど、どこか相手優先なところもあって、それが気に食わなかった。母さんは残酷なんですよ。嫌いにさせることもしないし、でも全部を包んでくれるわけでもない」
千早 「…」
恭平 「だからこっちも行動に移せなかった。知ってるのに、知らない振りをして、言いたいと思っていても言えない。一度だけ、それこそ興信所に調べてもらおうかって話にもなったんですよ。でも、出来なかった」
千早 「どうして?」
恭平 「だって、証拠出して、やめろって言って、その後は?今ままで黙ってて、自分が我慢してたら、心から幸せではなくても人並には幸せでいられたんですよ。それを壊してしまうのが怖かったんです。だからそのまま、我慢してた」
千早 「…」
恭平 「これがもし、恋人だったら救われるところがあったかもしれない。他人だったら、いつかは忘れることだってできた。でもそれが出来ない。親っていうのは、一番傍にいて、一番離れることが出来ない人間なんですよ。距離なんかじゃない。ずっとついて周るんだ。その人に、心から愛されていない。いい年した男が言うことじゃないかもしれないけど、悲しかったんだ」
千早 「…」
恭平 「ウーヌーグーヌーが怖かったのは、ほんともうずっとで、今のこの年になっても怖かった。でもちょっとしたきっかけでね、記憶をたどったんです。人形劇を見たのは小学生の時。俺が本当に楽しかった時。その頃、母の不倫になんて気がついていなかった。それなのに、どうして『自分のところに来る』と思ったのか」
千早 「…」
恭平 「幼いながらにどこかで気がついていたんですよ。うちは幸せな家族なんかじゃないって」
千早 「…」
恭平 「それに気がついたとき、はっとしました。それと同時に、あの頃の自分が可哀想になった。この年になるまで疑問にも思わなかった。ただウーヌーグーヌーが怖いとしか認識していなかった。あの頃から、俺は、幸せではないと思っていた。だからってどうってことないんですよ?このことが分かったからって。現状がどうこうなるわけでもない。でも何も考えなくてもよかった年頃に、そんなこと思わなくてもよかったのになって」
千早 「…」
恭平 「そう思ったらね、ウーヌーグーヌーって実は、救世主だったんじゃないかなって思うようになったんです」
千早 「救世主?」
恭平 「そう、救世主。主人公の家にウーヌーグーヌーがやってきて、物語の終わりには倒して、ハッピーエンド。その家は幸せになったんです。ウーヌーグーヌーが来たっていうきっかけで」
千早 「きっかけ…か」
恭平 「でも、俺の家には来ない。いつまでたっても…」
千早 「…」
恭平 「もう二十六ですよ。家も出てるってのに、こんなこと考えてても仕方ないんですけどね。なんか、さっきの親子見てたら羨ましくなっちゃって…」
千早 「そうか…」
恭平 「今まで怖いとしか思わなかったウーヌーグーヌーを今では凄く望んでるんです。童話の中の、架空のものですけどね。時間があれば読んでみてくださいよ。あれね、結構考えさせられますよ」
千早 「あぁ」
恭平 「つまんない話しちゃってごめんなさい。眠くなりました?」
千早 「いや、つまらなくなんてない」
恭平 「そっか。電車、早く動くといいですね…」
千早 「あぁ、そうだな」

千早、恭平の頭の上に頭を乗せる

恭平 「…」
千早 「…」
恭平 「ふふ…」



・電車

少年 『こんなことになるなら!前のままでよかった!』

千早 「!…」
恭平 「…ん…千早さん?」

青年 『一柳さん…幸せってなんですか…?』
   
恭平 「千早さん」
千早 「あっ…なんだ、どうした?…重かったか?すまない」
恭平 「ううん。そうじゃなくて…どうしたの?」
千早 「何が…」
恭平 「なんか一瞬びくっとした」
千早 「…」
恭平 「?」
千早 「私も少し話をしていいか?」
恭平 「うん。聞きたい」
千早 「興信所に勤めていると言ったな」
恭平 「うん」
千早 「そこで初めて一人で担当した依頼だった」
恭平 「…」
千早 「…浮気調査だった」
恭平 「…」
千早 「それまでにも、先輩について行って調査をしたことはあった。だからそれまで通りに事を進めていった。依頼人は三人家族で、母親が依頼主だった。夫の浮気調査。結果は黒で、その報告をしにいった時だ」
恭平 「…」
千早 「喫茶店で落ち合った。行って見ると子供も一緒にいた。大丈夫なのかと聞くと、母親は大丈夫だと言う。子供も知っているからと」
恭平 「…」
千早 「気は使ったが、まぁ母親がそう言うのだから仕方が無いと、いつも通りの報告をした。あとは弁護士に頼むということでその仕事は終わった。初めての単独での仕事が上手くいったこともあって、嬉しかったが、何とも言えない思いもあった」
恭平 「…」
千早 「それまでにも感じていたが、私は結果を聞いたあとのあの空気に慣れなかった。嫌に悲しい空気。仕方が無いことだが、今までは先輩と二人でその空気を背負っていたのかもしれない。あの時一人で感じた空気は、いままでの数倍もあった」
恭平 「…」
千早 「それでも、これから仕事をしていくのに、いちいちそんなことで悩んでいてはいけないと思って考えないようにした。先輩もそんなことを言っていた。しかし、少し経ったある日に、仕事場から出ると、あの時の子供がいた」
恭平 「え…」
千早 「両親は離婚して、今は母親の所にいると言っていた。その子の顔を見たとき、あの報告した日を思い出した。私が見たこの子の最後の顔は、必死になって涙を堪えている表情だった。そして一言、私にこう言った」
恭平 「…」
千早 「…こんなことになるなら、前のままでよかった…」
恭平 「…ぁ…」
千早 「……またあの時と同じ表情をしていた。涙を必死に堪えて、私を見ていた。何も言えなかった。何かを言った方がいいのかも、判断できなかった。少しの間、そのまま二人、何も出来ないでいた。すると子供が先に話し出した。『ごめんなさい』と一言言った」
恭平 「…」
千早 「あなたを責めようとして来たわけではないと言っていた。きっと他に吐き出す場所がなかったんだろう。仕方なく、私のところに来たんだと思う。もう一度私に謝ると、子供はそのまま去っていった。私は少しの間その場所で動けなくなってしまった。頭の中で考えることは、自分は本当に正しいことをしているのかということだけだった。私のしたことで、少なくともあの子供は不幸な思いをしている。いくら仕事だからと言って、そんなことをこれから何度も経験しなければならない、それが私には耐えられるだろうかと」
恭平 「…」
千早 「しかし、他に仕事を見つけるという行動に移すこともできずに、私はそのままそこで働き続けた。同じ事を何度も経験した。いつしか、あの空気にも耐えることができるようになっていった。目をそむければいいと分かった」
恭平 「…」
千早 「それから七年経った。いつもの様に仕事を終えて外に出た。またあの子供がいた。正しく言えばもう大人になっていたが…。姿は変わっていたが、すぐにあの時の子だと分かった。私を見つけると頭を下げて来た。聞きたいことがあると言うので、どこかへ入ろうと言ったが、すぐに済むからここでいいと言う」

青年 『一柳さん…幸せってなんですか…?』
   
千早 「そう一言、私に聞いた」      
恭平 「…」
千早 「またも私は何も答えられなかった。幸せとは何だ、自分自身考えようともしなかったことだ。幸せなんて、千差万別だろうが、その子供が言う幸せは何となく分かっていた。しかし答えられなかった。自分が責められているような気がしたから。『私にも分からない』そう答えた。子供は笑って『ありがとう』と言った。それが最後に聞いたあの子供の言葉だった」
恭平 「最後…」
千早 「数日後の新聞に小さく載っていた。自分を責めたが、どうすることも出来なかった。あの時もっと親身になって接してやるべきだったのかもわからない。ただ、あの時、あの子供がすぐに分かったのは、七年前のあの日から、あの目は変わっていなかったからだ」
恭平 「…」
千早 「これが先週の話だ」
恭平 「え…」
千早 「私は今、逃げようとしているのかもしれないな…」
恭平 「実家に帰るって、そういうことだったの?」
千早 「いや…この帰省は父に呼び出されたからだ。しかし、このまま帰らないこともできる」
恭平 「…千早さんはそんなことしないよ…」
千早 「そうだろうか…」
恭平 「うん…」
千早 「そうか…」
恭平 「うん…」
千早 「実際のところ、仕事は浮気調査ばかりやっていたんだ。そのたびに愛なんてものは本当にあるのかと思うようになっていたよ」
恭平 「愛か…」
千早 「でも、あぁいうのを見ると、いいものだとも思うな」

肩を寄せ合って寝ている親子を見る千早
恭平もそれを見ると微笑む

恭平 「ですね…」
千早 「そろそろ寝るか」
恭平 「うん」
千早 「…」

恭平、目を閉じる

恭平 「…すー…すー…」
千早 「お前が隣で良かったよ」

千早、微笑む



・電車

動き出した電車
白み始めた空の下、窓の外を見ている千早
恭平、千早の肩に頭を乗せて眠っている

千早M 「目を覚ますと、窓から遠くの空が白んでいるのを見た。電車は動き出し、静かに揺れていた。結局のところ、私たちは七時間も乗車していた」



・駅(ホーム)

ホームで向き合っている二人

恭平 「それじゃあ、またどこかで会えるといいですね」
千早 「あぁ」
恭平 「お元気で」
千早 「お前もな」
恭平 「はははっ!それじゃ!」

恭平、手を振ると去っていく

千早M 「去って行くあのボサボサ頭を見ながら、この七時間のことを思い返していた。きっとこのままもう会うこともないだろう彼の後姿。このまま終わりでいいのか?後悔しないのか?そう思った私の言葉は、自然に口に出ていた」

千早 「弘瀬!」







おわり








mainへ
topへ戻る
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -