第三章
・春実家(リビング)(回想)
春M 「僕は二十歳でこっちに来てから、ずっと日本へは帰ってなかった。それが急に両親に呼び戻されてね、五年ぶりに帰ることになったんだ」
春、両親、向かい合ってソファに座っている
春 「お久しぶりです。父さん、母さん」
父親 「すまないな、急に呼び戻したりなんかして。どうだ?向こうでの生活は。順調か?」
春 「えぇ。なんとかやっていけてますよ」
父親 「そうか」
春 「はい」
父親 「…」
春 「…あの、話っていうのは…?」
父親 「あぁ…あのな、お前に縁談があるんだ」
春 「縁談…?」
父親 「得意先のお孫さんでね…」
父親、写真を出す
父親 「お前を随分気に入ってくれているそうだ」
春 「…」
父親 「無理にとは言いたくないんだが…それがどうしても断れなくてね」
春 「そうですか…」
父親 「会うだけでも会ってみてくれないか…」
春M 「父は申し訳なさそうに頭を下げた。きっと断れば立場が危うくなるかもしれないんだと何となく分かった。でも僕には問題があった」
春 「…」
春M 「僕は女性を愛せない…」
・料亭(庭)
春M 「その相手は美紀(みき)という人で、とても可憐な人だった」
春と美紀、庭を歩いている
美紀 「ごめんなさい。祖父が無理を言ってしまったみたいで…」
春 「いえ、そんなことありませんよ」
美紀 「でも良かった。私まさか会ってもらえると思ってなかったんです。永久(ながひさ)さん、とても綺麗な方だから。もうお相手がいるんだと…」
春 「残念ながら、一人です。ははは」
美紀 「ふふふ。話してみてもやっぱり素敵な方でした。あのよろしければ、また会っていただけませんか?」
春 「……」
美紀 「……」
春を見て不安そうにする美紀
春 「もちろんですよ。僕なんかでよければ…」
美紀、嬉しそうに笑う
春M 「あの時、本当のことを言っていれば…誰も不幸になんかならずに済んだのかもしれない」
・街
春M 「その後、何度も二人で会うことになった。その報告を聞いて父も喜んでいた。その笑顔を崩すことなんか、到底僕には出来そうになかった。それでも、僕は彼女にキスさえも出来なかったんだ」
美紀の家まで車で送ってきた春
美紀 「あの、よろしければコーヒーでも飲んでいかれませんか?」
春 「…もう遅いですし、女性一人のお家には上がれませんよ」
美紀 「…」
春 「楽しかったです。また今度」
美紀 「…はい…」
春 「おやすみなさい」
美紀 「おやすみなさい…」
春、車のドアを開ける
美紀 「あの!」
春 「はい?どうされました?」
美紀 「あ…いえ…なんでもないです…気をつけて…」
春 「…」
春、少し笑って車に乗り込む
春M 「酷いことをしているとは分かっていた。彼女の気持ちは痛いほど伝わってきていた。それでも僕は、彼女を愛することは出来なかったんだ。このまま僕に興味がなくなればいい…そう思っていた…」
・実家前
玄関前に誰かが居る
春 「あの…」
美紀 「永久さん!」
春 「美紀…さん?どうされたんですか、こんなところで…」
美紀 「どこへ行っていたんですか?誰と会っていたんですか?」
春 「いえ、少し出かけていただけですよ。そんなことより、寒かったでしょう。どうして中に」
美紀 「女性ですか?他に好きな人がいるの?どんな人?」
春 「美紀さん…?」
美紀 「どうしたら私はその女に勝てますか?その人の何がいいの?ねぇ、教えてください…」
春M 「彼女の中の、何かが切れた…。このままだと、きっとこの人は壊れてしまう。僕なんかが壊していい人なんかじゃない…。やっぱり僕は戻ってくるべきじゃなかったんだ。だけどそう思った時にはもう遅かった…」
・実家(リビング)
ソファに向かい合って座っている春と父
春 「父さん、僕、イタリアへ戻ろうと思います」
父親 「…そうか…」
春 「やり残してきたことが沢山あるんです。それに、僕にはまだ結婚は考えられません。ごめんなさい…」
父親 「お前が謝ることじゃないよ。無理を言って悪かったね。何も気にせず、戻って頑張りなさい」
春 「はい…」
春M 「父さんは悲しそうに笑って言った。だけど僕にはこのことに耐えられる器量なんか無かった。ただ現実から逃げ出すことしか出来なかったんだ」
・喫茶店
向かい合って座っている春と美紀
美紀 「そんな…」
春 「ごめんなさい。僕はまだイタリアでやりたいことがあるんです。それに、僕なんかより、幸せにしてくれる男性があなたにはいますよ」
美紀 「…」
春M 「これで終わったと思っていた。イタリアに戻ってまたあの日常に戻れると思っていた」
・実家(寝室)
電話が鳴ると春が出る
春 「もしもし」
美紀 「永久さん…」
春 「美紀さん?どうされましたか?」
美紀 「私…もう…生きていく自信がなくなりました…」
春 「え?」
美紀 「あなた無しでは…生きていても意味がありません…」
春 「何を言って」
美紀 「あなたがイタリアに行くのなら、私は死にます…」
春 「そんな!」
美紀 「あなたに一度でいいから愛されたかった…」
春 「美紀さん!」
電話が切れる
・美紀宅
ドアを叩く春
春 「美紀さん!居るんでしょう!?」
春 「美紀さん!」
ドアを開けてみると開く
春 「美紀さん!」
部屋の中へ入る
部屋の真ん中でうな垂れている美紀
駆け寄る
春 「美紀さん!大丈夫ですか!?」
美紀 「なが…ひささん…やっと…部屋に…来てくれた…」
春 「…」
春M 「もう美紀さんは以前の様な姿じゃなかった…もう、完全に、壊れてしまっていた…」
美紀 「こんなこと…して…も、もっと…嫌われるって…分かってるんです…」
美紀、半分笑っている
美紀 「でも…どうすればいいのか…もう…分からないんです…」
春 「…っ…」
美紀 「どうしても…行ってしまうんですか…」
春 「…」
美紀 「はは…ははは…」
美紀、笑いながら泣いている
春 「美紀…さん…」
美紀 「ながひさ…さん…最後に…お願い…聞いてください…」
春 「え…?」
美紀 「抱いて…ください…」
春 「…!」
美紀 「それでもう…いいから…お願い、します…ながひささん…」
春M 「虚ろな目で懇願する美紀さんを前にして、もう何が正しいだとか、何が間違っているだとか、僕自身も分からなくなっていた。ただ逃げ出したかった。こんなこと、もう耐えられなかった。自分のせいで目の前に居る人が、壊れてしまったのが、怖くてしかたなかった。ただ無心で彼女を抱いたのを微かに覚えている。彼女は僕の腕の中で、幸せそうに、泣いていた…」
・イタリアのアパート(会話全イタリア語)
春M 「その後逃げるようにイタリアへ戻った。何もかもから逃げたくて、日本に帰る前にやっていた仕事も辞めた。それでも何かをしていないと、記憶がどんどん押し寄せてくる。あの時の彼女の泣き顔が、僕を責める。それが怖くて、怖くて、僕は物を作り続けた。眠れないほどに、ずっと作り続けた。そんな時だった」
友人 「春、お前これコンテストに出さないか?」
春 「え…?」
友人 「今度あるんだけどさ、これ、いい線行くと思うんだよね」
春M 「何の気なしに、友人に勧められてコンテストに出した。別に賞を期待してるわけでもなかったし、ただ暇つぶしに出した程度だった。それが最優秀賞を取った。嬉しかったけど、騒がれるのが怖くて、名前は伏せてもらった。それでも当分生きていける程のお金を貰った。そのお金で僕はここに逃げてきた」
・L'ULTIMO BACIO
春M 「ここに来てからは、今と同じ、たまにくるお客さんとなんとも無い会話をして過ごす。その日常が僕を徐々に元に戻していってくれた。そして一年経ったある日」
卓真(たくま)が店に入ってくる
春 「こんにちは」(イタリア語)
卓真 「あの…永久、春さんですか…?」
春 「はい…そうですが…」
卓真 「私、大倉(おおくら)卓真と申します。美紀の…大倉美紀の兄です」
春 「っ…」
春M 「突然現れた男性は美紀さんの兄だと名乗った。驚いた。それと同時に怖くなった。逃げてきたのに、また…」
卓真 「突然すみません」
春 「い、いえ…あの、美紀さんが…どうかされましたか…?」
卓真 「…」
俯く卓真
春 「…?」
卓真 「美紀は先日…亡くなりました…」
春 「ぇ…?」
卓真 「あなたにお伝えしたいことがあって伺わせていただきました」
春 「…」
卓真 「美紀には子供がいるんです。生まれたばかりの…あなたの子です」
春 「…そんな…」
驚きを隠せない春
卓真 「美紀はあなたには隠して育てるつもりだったみたいです。しかし、出産後に、事故で…」
春 「え…」
卓真 「私はあなたを責めに来たわけではありません。それはどうか分かってください。美紀があなたに迷惑をかけたことも全部知っています。どうしてあの子が出来たのかも。それでも、美紀が逝ってしまった今、あの子と血が繋がっているのはあなたしかいない。でも、それではあの子があまりにも可哀想だと。育てろだなんて言いません、ただあなたに知っておいて欲しかった」
春 「…」
卓真 「あの子は私が責任を持って育てます。ただそれが言いたかっただけです」
春 「…」
卓真 「失礼します…」
卓真、店を出て行く
春M 「去っていく後姿を見ながら、僕は呆然と立ち尽くしていた。美紀さんは死に、そして僕の子供がいる…。どう考えても頭が整理してくれない…。どうすればいい。僕は何をすればいい。また現実から目を背けて、逃げながら生きていけばいいのか?」
卓真 『美紀が逝ってしまった今、あの子と血が繋がっているのはあなたしかいない』
春M 「僕は誰に償いをしたかったんだろう…。今になっても分かっていないよ。ただ、子供を、僕の子供を、幸せにできたら、許してもらえると、思ったんだ…」
・家(リビング)
春 「そして僕はちーと一緒に暮らすことになった。日本に戻って会ってみるとびっくりしたよ。確かに僕の子だって確信した。僕にそっくりだったから」
春、悲しげに笑う
春 「僕は後悔ばかりしていたんだ…。でもちーと出会えたことに後悔はない。こんなに楽しく生きていけるんだから…」
春、恵の頭を撫でる
春 「泣かないでよ…お願いだから…そんな顔させるために話したんじゃないよ…」
泣いている恵
恵 「っ…ぅ……春…っ…」
春 「なに?」
恵 「ごめん…っ…俺…なんにも…わかってなかった…っ…ぅぅ…」
春 「分からなくて当たり前だよ。言わなかったんだから…ね?泣かないで…」
恵 「俺…勝手に…ヤキモチなんか…焼いてて…あんたが、そんなだって…」
春 「うん…」
恵 「俺……っ…ずっと傍にいて…あんたのこと…俺が幸せに…してやるから…っ…だから…」
春 「うん」
恵 「ずっと…傍にいさせてよ…」
春 「うん」
春、恵を抱きしめる
春 「こんな僕でいいの?嫌いにならない?」
恵 「なるわけねぇだろ…!…っぅ…」
春 「僕、もう離せなくなるよ…ごめんね…」
恵 「うん…」
春 「ごめんね…」
春、恵の涙を拭ってキスをする
恵 「っん……春っ…」
春 「…ん…っぅ…」
恵 「春…っ…んん…愛してる…」
春 「うん…っ…ん…愛してるよ…っ…」
・家(寝室)
鳥の鳴き声がする
三人並んでベッドで眠っている
恵、目を覚ます
恵 「ん…ぅ…」
左手に違和感がする
恵 「あ…」
中指にあった指輪のサイズが直されて
薬指にはめられている
恵 (いつの間に…)
隣で眠っている春の顔を見て微笑む
そっとキスをする
春、目を開ける
春 「ぴったりでしょー?」
恵 「起きてたのかよ…!」
春 「ふふっ」
恵 「あんた昨日散々ヤったのに良くこんなの出来たね…」
春 「愛があるからね」
春、恵を抱き寄せる
恵 「このっ…!」
恵、顔を背ける
春 「愛してるよ」
恵 「…っく…あぁ、俺もだよ」
春 「ふふふっ」
キスをする
二人笑いあう
千尋 「恵ちゃん僕にはー?」
恵 「うわっ!ちーも起きてたの…?」
千尋 「うんー。まだ眠い…」
恵 「じゃあまだ早いからもう一眠りするか」
恵、千尋にキスをする
千尋 「ふふっ。おやすみなさい」
恵 「おやすみ」
三人、笑いあう
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