パンタ・レイ

運命の輪伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。世は去り、世はきたる。





満月に手を伸ばした。

どうか、私の愛しき人が無事でありますように、と。神に志願などしない。神などはいない。だが、月は、月だけはきっといつかのどこかで、彼の事を見たはずだ。月の光は万人に降り注ぐ。あなたが彼を見つけたのなら、どうか家路まで照らしてやってください、と手を伸ばした。



Exaudi orationem meam, ad te omnis caro veniet.

わたしの祈りをお聞き届けください、すべての肉体はあなたのもとへと還るでしょう。




いつかこうなることは、覚悟していた。つもりだった。だが、いざとなればまるで、足元に大きな穴が開いて、自分の肉体も精神が奈落の底まで落ちてしまったようだ。


――団長と連絡が
つかなくなった――。


そうマチから言われ、開いたままの口から何も返事を出すことができなかった。だが、取り乱すことなく、思ったよりも冷静に説明を受けていた自分がいた。

日前から連絡がつかなくなっていたが、みんな私が心配しないように黙っていたらしい。いつも仕事の合間にはメールか電話をくれていたが、私の方から連絡することは控えていた。現場に着いた、とクロロからの電話で聞いた声が、最後だった。

結成当時のメンバーは、クロロが子供の頃から一緒に生きていたと聞いている。出会って何年かした経っていない私が、取り乱してどうするんだ、と必死に感情を殺した。私なんかより、みんなの方が辛いだろう。マチだって、冷静な顔をしていても、きっとそうだ。


「きっとすぐに帰ってくるよ」

『ありがとう、大丈夫だよ』


だから、泣かないのだと心に誓った。



Oro supplex et acclinis,cor contritum quasi cinis.
わたしは灰のように砕かれた心で、ひざまずきひれ伏して乞い願います。




クロロの部屋、クロロの本、クロロのベッド。この部屋の物は全てクロロの物だ。普段、彼がいない時に彼の部屋に入らないようにしている。余計に、寂しくなるから。


『クロロ』


無意識に名前を呼んでいた。ベッドに入ってシーツをかき寄せる。二人でゆったり眠れるように、と以前大きいものき買い換えた。

クロロのベッド、クロロの匂い、クロロ、クロロ、クロロ。広すぎるベッドで、今まで我慢していた、何日かぶりの涙が溢れた。皆が心配しないようにクロロが音信普通になってからずっと溜めていた涙だ。こわい、たまらなくこわい。彼が死んでいるとは思っていない。そんなの思っていない。安否が知りたいけれど、きっと私は怖くて聞けないだろう。


『クロロ、クロロ…!』


何度も何度も彼の名前を呼んだ。返事をくれるわけはない、とわかっているが、とまらない。



aeternam habeas requiem

永遠の安息を得られますように。




頬を撫でられている。ゆっくりと開けた瞳をくすぐるように撫でられた。まるで雲の上にいるような、そんな感覚だ。


「目、覚めた?」

『…、…クロロ…!』

「ごめん、シャルもオレも携帯もメカも全部がイカれて。妙な電磁波が発生してる場所だなんてデータになかったのに」

『……!!』


シーツから抜け出して、クロロに抱き着く。驚いたようにクロロは私の名前を呼んだけれど、すぐに抱きしめてくれる。


「途中で連絡しようにも、そのまま直通で帰った方が早かったから……、ごめん、どこかで連絡の一つでも入れたらよかった」

『うん、うん…』


泣きじゃくる私をなだめるように、頬、瞼、おでこ、いたる所にキスしてくれる。よかった、ほんとうによかった、と何度も何度も泣きながら言う私にクロロは笑った。

人間はもろい。すぐに壊れて動かなくなる。もろい人間の愛は、もっともろいのかもしれない。まるで蝋燭の灯りのようでもあれば、鎖にように雁字搦めに無意識のうちの拘束を施してくる。愛に溺れる、とはこのことを言うのだろう。


「オレの為に泣いてくれてありがとう」


人が人を愛することは素晴らしいことだ。ときどき死にそうなくらいの辛さや悲しさに打ちひしがれるけれど、とても幸せで暖かい感情を与えてくれる。


「愛してる、心から」


すき、すき、すき、あいしている。そう小さく呟けば、彼は笑ってキスをくれた。


END







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