01
爽やかすぎる朝。
目蓋の奥から差してくる朝日に、ふっと眼を覚ます。
柔らかな布団に包まれた体を起こすのは酷く面倒で、このまま惰眠を貪りたいことこの上ない。
だが。
「・・・あー・・・」
今日の予定を確認したら起きざるを得なくなった。
このままぐだぐだと時間を食うと、その後の自分の行動に影響が出かねない、気がする。
(ねみー・・・)
布団に縋ろうとする自分の体を無理やり引きはがすようにむっくりと上体を起こし、軽く手櫛で髪を整えてみる。
しかし生来の猫毛質で細っこい平和島静雄の髪は寝癖をばっちり記憶したらしく、ところどころ撥ねた状態でしつこくいらない形状記憶能力を発揮していた。
「・・・ちきしょ」
髪を整えるのはあきらめて、静雄は今日の予定を改めて確認してみる。
本日は午後から大学の授業。
弟も1日仕事で、既にいない。
「・・・あいつちゃんとご飯食うのかな・・・」
普段から健康に無頓着な、端正な顔を思い浮かべてぼんやりと呟きながらベッドサイドに置いてあった眼鏡に手をかけた瞬間、
ベットの上の携帯が、鳴いた
「・・・もう帰るの?」
一見興味無しとも見て取れる口調と表情で尋ねてきた男は、そろそろ帰ろうと斜め掛けの鞄の紐を掴んだ静雄をじっと見つめてくる。
男―――今をときめくトップアイドルである『羽島幽平』、静雄の弟である平和島幽は寝起きの兄に狙ったかのような電話を寄越した張本人である。
テレビ局の楽屋の一室にいる今も、この後出演するトーク番組用のシックな衣装を身に纏い、静雄から見ても十二分にかっこいい身形をしている。
一旦役になりきると刑事であろうがニートであろうが何であろうが完璧に演じ切り、撮影現場でも一切セリフを噛まず間違えずアクションも苦もなくこなす完璧人間だが、その一方で私生活を無口無表情で過ごし、普通は満面の笑みで話すべき台詞を全くの無表情無感動で話すなど、本人自身と役のギャップが凄まじい人間としても同時に知られている存在である。
それがファンの手にかかれば一つの悩殺的魅力と成り果てるらしい。(蛇足)
現に羽島幽平の全ての写真集は発売直後から嵐の如く売れまくり、今や街を歩く若い女性の会話の中にその名前が出るのは珍しくない状況である。
―――そんな有名人の兄である静雄は、幽とは全くの正反対ともいえる人物であるのだが。
「あぁ、用事も済んだし、午後から大学いかねぇと」
「・・・まだ時間大丈夫だよ」
「早く行って損はねぇだろ?」
静雄を楽屋から出したくないのかそうではないのか、静雄を引きとめる幽の姿に、静雄の唇にはつい苦笑が浮かんでしまう。
仕事で必要な書類を家に置き忘れた、という電話が入った時、幽にしては珍しいと静雄は疑問に思った。
しかし急を要するようだったので、家で摂るつもりだった昼食は大学で摂ることに変更し、テレビ局まで持っていくと返事を返した。
しかしその直後、幽が朝御飯を食べていないという衝撃の事実を暴露したため、昼飯がどうのこうのの問題以前かよ!しかもどうせお前昼飯すら食わねぇ気だろが!!と朝の爽やかな気分を盛大に吹き飛ばして憤慨した静雄が、テレビ局近くのコンビニで出来るだけ栄養価の高そうなものを吟味していたら、思っていたより時間がかかってしまっていた。
加えて何かと静雄に過保護な気がある幽が静雄を質問攻めにし、更に朝御飯を食べなかった弟への説教もあり、更に時間を食ってしまったのだ。
「全く・・・朝早いからって飯は食えよ飯は。作れねぇんなら起こせって前から言ってんじゃん・・・」
「・・・起こしたら悪いと思ったから」
「俺にとってはお前が飯食わねぇことのほうが悪い」
静雄は食事のことに関して異常に口うるさい面がある。
それは美食ではなく、健康面においての口うるささであり、静雄本人も自覚はある為、よくヒートアップした後に我に返り、後悔することが多々あるのだ。
特に弟の幽に関しては、モデル俳優というハードスケジュール必須の仕事に就いている関係上、食事に関して説教することが多い。
自分が健康管理を怠っている、という意識はいまだにないらしいが、幽は静雄の言葉にいつも言い返せずに、現在のように黙りこくってしまう。
「そんな顔すんなって、もう怒ってねぇし、ただ大学いくだけなんだから」
「・・・だって兄貴」
更に表情を暗くした幽は机に付いていた静雄の手を、まるで壊れ物を扱うかのようにそっと取る。
そして、その肉付きの悪い軽い腕を見て、僅かに眉をひそめた。
「・・・また細くなってる」
「え、そんなことねぇって。俺は幽と違って毎日3食しっかり食ってるよ」
大学生にしては貧弱な体つきも、食事に関しての口うるささと並んだ静雄の密かなコンプレックスである。
身長はそこそこあるとは言われるが、性別を考えるともう少し欲しいということもある。
体つきもひょろりとしていてお世辞にもスマートとは言い難いと静雄は考えている。
そして3歳下の幽に身長も体格も負けていることが―――静雄の今の最大の悩みでもあるのだ。
当の幽は自分の健康ほったらかしで静雄の健康を気遣ってくれたりするのだが。
(―――自分のも気ぃ遣ってくれたら文句ねぇんだけどな・・・)
そんな気持ちも込めて皮肉交じりの返答をしたのだが、幽はそれに気分を害したらしく、「いいよ、もう」とひとつ溜め息をついて小さく首を振った。
「でも兄貴はもっと食べるべきだ。流石に食が細すぎるよ」
「・・・マジで?そんなに?」
「お昼御飯パンひとつでお腹一杯になる大学生なんて兄貴ぐらいしかいない」
「・・・入んないもんは入んないんだよ」
食事に関して口うるさい割に少食であることは、もうひとつのコンプレックスでもあるので、幽の言葉に静雄は言い返す言葉が見つからない。
ぷぅっとむくれる静雄に機嫌を良くしたのかしていないのか、幽はほんの少しだけ微笑んで、むくれた拍子にずれた静雄の眼鏡をやさしく戻した。
「とにかく、今日のお昼御飯はお互いにしっかり食べようね。俺も兄貴が買ってきてくれたの、今から食べる」
「・・・分かった。全部食わなかったら覚悟しとけ」
「食べるよ。それに、もう行かないとマズイんじゃない?」
「は?」
「時間」
「へ?・・・ぅあ!?もうこんな時間かよ!?」
時計に目をやると、電車の時間が近づいていた。この電車に乗り損ねると、次の電車では乗り継ぎがうまくいかずに間に合わない。
巧く話を誤魔化された気もするが、この際仕方がない。
「いいよ、いってらっしゃい。兄貴は俺より勉強の方が大事みたいだし」
「拗ねんなよ、もう・・・分かったから機嫌直せって。ほら、お前の好きなもん作って待っててやっから、何がいい?」
「・・・じゃあ、クリームシチューがいい。今日はなるべく早く帰る」
「はいはい。・・・じゃあ、仕事頑張れよ」
「うん、兄貴も」
軽く手を振る幽に手を振り返し、周りにいたスタッフ達に挨拶をしてから、静雄はそこを足早に後にした。
電車の時間が迫っていたのもあるが、それだけではない。
人の多いところは「あれ」を思い出しそうになる。
というよりも、人の視界に入ること自体がむず痒くていたたまれない。
(―――見られたくない)
静雄の行動は、その言葉に支配されているようなものだ。
肩から掛けたショルダーバッグの中で、その通りだという風に、ジャラ、と音を立てた。
(やべぇマジで電車やばい・・・!!)
(クリームシチュー・・・早く帰りたい・・・)
・・・・・・・・・・
初めての長編です・・・!!
いろいろ不備が出てくるかもしれませんがお楽しみ頂けたら幸いです
頑張りますっ!!