「・・・ん、大丈夫。入っていいよ」
既に部活が始まっている校舎内で、余ってた教室を覗き込んで誰もいないことを確認してから斎藤くんを招き入れた。
この教室は他の教室よりかなり離れたところにあるから、ここなら斎藤くんの音も他の部員には聞こえないはずだ。
その代わり音楽室からめちゃくちゃ遠い事は、この際仕方がない。
「とりあえず楽器出して吹いてて?僕ちょっと楽器取ってくるから」
「あ・・・ぅ、うん・・・」
きょろきょろと教室を見渡していた斎藤くんに声をかけて、急いで音楽室へ走る。
―――早くしないとオーボエの音を聞きつけた肉食動物さんに斎藤くんが食われちゃうかもだからね・・・!
楽器庫に飛び込んで、楽器と譜面台、メトロノームを引っ張りだして、楽譜が詰まったファイル、そしてその中にに離れた所にあった棚に入っていた紙を挟んで音楽室を飛び出す。
途中で楽器持って走るなとか聞こえたけど、こっちだって不本意だ、好きで大切な楽器持ったまま全力疾走なんてやってる訳じゃない。とりあえず部長じゃなくて良かった。
息を切らせて教室に戻ると、斎藤くんが机の上で楽器ケースを開けていた。
「・・・?どうした?そんなに、息を・・・」
「いやぁ・・・何があるかわかんないからねぇ・・・」
「・・・え?」
「とりあえず無事で何よりだよ・・・!」
「??、?」
斎藤くんの無事に1人で喜んでたら斎藤くんの頭の上に大量の『?』が並んでいるように見えた。
・・・あれ。
今の斎藤くんの状態がなんか可愛い。
僕が音楽室に行ってる間に入れてきたんだろう、水が入ったフィルムケースを手に持って、口にリードをくわえたまま、僕をきょとん、と見つめている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・っ何考えてんの僕!?
「なっ何?」
「い、いや、ごめんっ、何でもない!」
慌てて持っていた楽器諸々を斎藤くんの隣の机に置いて、ファイルに挟んできた紙を引っ張りだす。
「はいこれ、うちの今年の自由曲になる予定の曲の楽譜。オーボエのだからあげるよ」
「え・・・?そ、そんな・・・、俺、部員じゃ、ないのに・・・」
「いいよいいよ、これ原譜じゃなくてコピーだから。今日の記念みたいな感じでもいいから、どうぞ?」
斎藤くんは最初びっくりしたみたいで受け取ろうとはしなかったけど、僕の言葉に、恐る恐るだけど受け取ってくれた。
リードをフィルムケースの中に入れてからしげしげと楽譜を見る斎藤くん。
その斎藤くんの体の横には開いたまんまケースに入ったオーボエがあって・・・
・・・お。
おおーっ。
こんな近くでオーボエ見たの初めてかもー・・・。
練習とかで一緒になってもゆっくり見る時なんてなかったしなぁ。
鈍く光を反射させる木製の黒のボディに、僕は心奪われた。
「ねね、斎藤くん。楽器見せてもらっていい?」
「へ?あ、あぁ・・・どうぞ・・・」
斎藤くんは楽譜を置いて分解してあるオーボエの一本を見せてくれた。
確か上管だか下管だか何だか言って、これを組み立てて一本の楽器として扱うんだけど・・・やっぱり僕にはさっぱりわかんない。
けどやっぱかっこいいことには間違いない。
黒い本体に綺麗に光る銀色のキィが映えていて、かっこいいっていうよりかは美しい、というような印象も与えられる。
そもそも楽器の色が黒っていうのが新鮮なんだよね、トランペットは大体金か銀って相場が決まっちゃってる節があるし、僕のトランペットは銀だから。
・・・この際、色々聞いてみよっかな。
「この楽器、なんていうメーカーのなの?」
「ぱ、パトリコラ、という所だ」
「へぇー聞いたことないなぁ。他の楽器とか作ってないの?」
「確、か・・・、クラリネットとオーボエの、専門メーカーだったと、思う」
「へぇ、そうなんだぁ・・・。じゃあ僕が知らないのも当たり前だね。ずっとこの楽器?」
「ええと・・・中三になって、新しく、買ってもらった、んだ・・・」
「え、じゃあ前の楽器があったんだ?」
「マリゴーというメーカーの・・・中古だったんだ。最初は良かったんだが、その、途中で・・・相性が、悪くなってしまって・・・」
「なるほどー・・・」
なかなかに大変な楽器事情だったみたいだ。
楽器を買い替えるのなんて、プロはともかくそう簡単にできるもんじゃないだろうしね・・・。
パトリコラ、か・・・後で詳しく教えてもらって帰ったら調べてみようっと。
ありがとうね、とお礼を言うと、斎藤くんは軽く頷いた。
・・・ん、なんか様子がおかしい、もじもじしてる。
僕、何か変なことでも言ったかな・・・?
「そ、その・・・沖田、お、俺も・・・」
「ん?なぁに?」
「・・・沖田の・・・楽器が見たい」
少し恥ずかしそうにしながらほんのりと頬を染めて見上げてくるその姿に、どくりと胸の奥が疼く。
・・・なんだろう、この気持ち。
やばい何これ凄い嬉しい。
「い・・・いいよ!僕のでいいなら見せてあげる!」
嬉々として楽器ケースを開ける僕。
吹奏楽をやってると、よく他の人の楽器が気になって吹かせてもらったり吹かせてあげたりするもんなんだけど、斎藤くんに見せてって言われると、なんだか嬉しさが違った気がした。
楽器ケースから現れた銀色のトランペットを見て、斎藤くんが、ほぅ、と溜息をついた。
「すごい・・・こんな、綺麗なんだな・・・」
「僕のは汚い方だよー、僕は特にメンテサボってるから」
斎藤くんの綺麗すぎる楽器を見て少々反省してますが。
「いや・・・でも、綺麗だ。光が反射して・・・すごく」
それでも斎藤くんは(相変わらず長すぎる前髪で見えない)目を(多分)きらきらさせている。
なんだか・・・くすぐったいな、こんなに見られると僕の方が恥ずかしくなる。
「・・・ん?斎藤くん、トランペット見たことないの?」
「テレビ、とかでは・・・一応あるん、だが・・・」
トランペットを手にとって間近で見せてあげると、興味深そうに更にまじまじと楽器を見る斎藤くん。
「でも・・・こんなに近くで、見たことないから・・・」
「嬉しい?」
「・・・うん」
僕のトランペットを見つめる斎藤くんの頬が、さっきより赤くなっているのが分かる。
トランペット見てそこまでなるなんて・・・。
なんか・・・本当に純粋だよなぁ・・・。
斎藤くんにもっとこの楽器の魅力を知って貰いたくなった僕は、斎藤くんに言った。
「吹いてみよっか?音出しだから、綺麗な音じゃないけど」
「ほ・・・本当に?」
驚いた様子の斎藤くんにもちろん、と頷いて、楽器と一緒にとりだしたマウスピースで軽く唇を慣らして、そのままマウスピースを楽器に装着する。
因みにマウスピースっていうのは金管楽器に絶対必要なやつのことで、これに唇を押し当てて、唇を振動させることによって音を出す。
これがへこんだり傷がいったりすると、僕達金管奏者は少なくとも1日は立ち直れない。それぐらい音に関係する大事なやつなんだ。
音が大きいからちょっと気をつけてね、と言ってから、僕はその大事なマウスピースに息を吹き込んだ。
途端、響く快音。
本日一発目だからお世辞にも音色は綺麗とは言えないし、音程も全然合ってないけど、なかなかにいい飛び具合だと思う。
よーし、今日もいい飛びっぷりだねー。
どうだった?と斎藤くんに振り向くと、斎藤くんは耳を手で塞いだ状態で固まっていた。
・・・あ、やっぱりびっくりしちゃったか。
「ご、ごめんね、音量でかすぎたよね・・・」
「い・・・いや・・・びっくり、しただけ、だから・・・」
「いやぁ、僕、音量にしかぶっちゃけ取り柄なくってさ・・・、音程とか音色とかぐちゃぐちゃで・・・」
「そっそんなこと、そんなことないっ・・・!こんな、音がするなんて、知らなかったから・・・」
驚いただけだ、といった斎藤くんがふわりと笑った。
それは多分、僕の音を聴いて喜んでくれてる心からの笑顔。
目元は全く見えないけどその笑顔は見えなくても分かる、物凄く綺麗な微笑みで。
その前髪の奥の瞳を、何としてでも見たいと、
「・・・っ!?」
そう思った瞬間に、どきん、と胸が高鳴った音がした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・ま、待って待って待って!?
だから何考えてんの僕!!?
「・・・?沖田?」
斎藤くんが不思議そうに声をかけてきてくれるけど、正直直視できない。
あぁだめだ、何なんだよ、意味分かんない。
何でこんなに顔が熱いんだ・・・!!
とにかく話を変えたくて、とっさに僕は斎藤くんの楽器を指差した。
「さ、斎藤くんも、楽器!」
「・・・え?」
「ぼ、僕も斎藤くんの音、聴きたいよっ!ふ、吹いてっ!?」
「え、えぇ・・・!?わ、分か、た・・・!」
僕の様子に気圧されたのか何なのかは良く分からないけれど、斎藤くんは慌てて、かつ楽器を傷めないよう慎重に、楽器を組み立て始める。
手のひらで丁寧の楽器を温めながら斎藤くんがリードの調子を見る時間は、僕の顔の熱が冷めるのには十分な時間だった。
「ふ・・・吹く、ぞ?」
「うん、どうぞ!」
恐る恐るといった風に、斎藤くんの唇がオーボエのダブルリードを挟み込む。
瞬間、パトリコラから生み出される、綺麗な音色。
トランペットとは正反対の、柔らかなタッチの、それは鼻にかかったような甘い音色で・・・
・・・ん?
・・・んんん?
斎藤くんは楽器を慣らすように、音階を軽く吹き始める。
綺麗なレガートがかけられたその音階が、あまりにもあまりに・・・
―――巧っ!!!?
斎藤一くん。
彼は何気に、とんでもない子だったようです・・・。