04
けたたましい目覚ましの電子音で目を開くと、カーテンの隙間から眩しい朝日が見えた。
「ん・・・んん・・・ぅ?」
よし今日は洗濯物がよく乾くぞと内心意気込んで、未だ鳴り続ける目覚ましをぶっ叩くべく、のびついでに腕を伸ばした時、身体に纏わりつく存在にふと気付く。
腰に巻きついた白い腕、微かな香水の香り、振り返らずとも目の端に入る漆黒の髪。
「・・・かすかぁ」
毎日懲りずにベッドを盛大に間違えて寝こける弟に、静雄は大きな溜め息をついた。
幽は相変わらずな人気ぶりの為、仕事で深夜遅くに帰宅する事が多い。
そして何故だかわざわざ自分の部屋より静雄の部屋のベッドに潜り込み、部屋の主を抱きまくら代わりに狭苦しいスペースで眠る。
セミダブルの自分の部屋のベッドで寝た方が疲れもよく取れるのではないかと思うのだが、ほぼ毎日抱きしめられていては、静雄もいい加減慣れてしまった。
昨日も夜遅く、というより日付が変わった頃に帰ってきたのだろうから、正直このまま寝かせておいてやりたい。だが現実問題、このままでは静雄が動けない。
つまり、朝御飯が作れない。
「・・・起きろ幽、起きろー」
仕方なく出来るだけ穏便に起こしてやろうと、幽の体を揺らそうとしたのだが。
「・・・ん・・・ご飯・・・」
「ぁ?・・・ぇ、うぁ、ひゃっ!?」
元々寝息が首筋にかかってくすぐったかったのに、幽がうなじに唇を寄せてきて、変な声が出た。
慌てて未だ腰に巻きついた腕を振りほどこうとするが、それより前に唇を寄せられたうなじにちくり、とした微かな痛みが走る。
じたばたと手足を動かしていると、ゆっくりと腕がほどかれて背後で気配が起き上った。
「・・・おはよ兄貴」
「おはよじゃねぇよっ・・・馬鹿幽っ!!俺は食いもんじゃねぇっ・・・!!」
相変わらずの無表情で眠そうに目をこする幽から離れ、静雄は首に手をあてた。触った感じでは歯型はついていないようだし、跡も残らないだろう。
全く、どんな夢を見ていたのかと抗議する静雄に幽は笑いかけて、寝癖で乱れた静雄の頭を軽く撫でた。傍目から見ただけでは分からない、微笑みで。
「こっ・・・子供扱いすんなよっ、俺もうそんな歳じゃねぇしっ」
「兄貴はいつだって俺の可愛い兄貴だよ。子供みたいで可愛い」
「いい歳した男に可愛いって言うんじゃないっ!!」
ぎゃーぎゃーと喚きながら、頭を撫でられつつその手を振りほどけない静雄に幽は笑みを深くする。
ドラマで見るような幽の笑みに兄である静雄もつい見とれてしまい、顔を真っ赤にしたまま何も言えなくなってしまった。
「とっ・・・兎に角、起きたんなら早くシャワー浴びてこい!朝飯作っとくからっ」
そう言い捨ててベッドから降りようとすると、「一緒に浴びよう」なんて言ってくるものだから、流石にムカっときて手元にあった枕を投げて反撃するが、予想していたように簡単に受け止められて、「やっぱり可愛い」と言われて心臓が爆発しそうになる。
うっさいな、と捨て台詞のように叫んでから洗面所へ走って顔をばしゃばしゃと洗い、幽が入ってくる前に台所へ逃げ込む。
未だに心臓がばくばくとうるさい。こんな朝は珍しくないのだが、どうしてもあの幽の笑顔を見ると心臓が勝手に暴れだす。
「・・・はぁ」
実の弟とはいえどもアイドルはアイドルである。ドラマで見る作り笑顔ではない、テレビでは見せない自然体の微笑み。
人生を共にしてきた弟の笑顔と言えども、兄である静雄もその笑顔には慣れてはいなかった。
―――そこまで幽が無表情だということでもあるのだが。
「・・・気を取り直して作ろう・・・」
再びの映画主演で何かと忙しい幽の貴重な朝の時間に何かしてやれることと言えば朝食をつくるぐらいである。
それが分かっている静雄は、台所に立つことにした。音が聞こえるので、幽はシャワーでも浴びているのだろう。
リモコンでワイドショーをつけ、冷蔵庫を開けようとすると、つけたばかりのテレビから溢れんばかりの歓声が上がった。
何事かと思えば、海外で撮影を行っていた俳優が帰国したらしく、そのお迎えとやらに熱烈なファンが殺到していたらしい。
「・・・ファン、か」
『・・・気にもしないわけだ』
新羅が言った台詞。
一か月ほど前の話にもなるのだが、未だに静雄の心に影を落としていた。
幽が頑張っていればそれでいい、というのは照れ隠しでもなんでもなく、本心だった。
自分より遥かに見目麗しい弟が、高校時代からアイドルとして芸能活動を始め、今では日本を代表するアイドルといっても過言ではない人物となった。
本当にあっという間のことで静雄自身は未だ自分に甘い弟という認識を幽に対して抜くことができず、自分の心配をよそに仕事をこなす姿を兄として見ていると「ただ頑張ってほしい」としか考えられなくなってしまったのだ。
仕事で手一杯な弟に自分のことで心配もかけたくないとも思う。
しかしいつのまにか幽の仕事内容に無関心になっていたようで、この有様である。
「・・・雑誌とか見てればよかった」
今から後悔しても遅いのだが、なってしまったものは仕方ない。
今からでも芸能界を知るか、と一区切りつく。
―――それにしても。
「・・・すげぇ人気だな・・・」
未だに黄色い声が上がり続けるテレビに視線を戻した。
空港のフロアを埋め尽くすひとだかりで俳優が映るのも途切れ途切れ、という状況である。つくづくカメラマンという仕事はキツイな、と思わせられる瞬間だった。
「・・・ていうか誰だっけあの人」
黒い髪に白い肌。すらりとした長身に人のよさそうな微笑み。
それがその俳優が持つものだった。
別にその俳優を初めて見るわけでもない。CMなどにもよく出演しているし映画やドラマでもひっぱりだこの俳優のはずだ。
静雄もその俳優が嫌いというわけでもなく、以前ドラマも見ていたはずなのだが。
「・・・名前なんだっけ」
寝起きのショボついた視界では眼鏡をかけていても流石に細かいところまでは見えない。
朝食を作る手は休めぬままに画面を見つめていると、台所に幽が現れた。
「何これ・・・ワイドショー?」
「ああ、撮影から帰って来たんだってさこの人・・・ってこら幽。髪ぐらい拭いてから来いって言ってるだろ、びしょびしょじゃねぇか」
バスローブを軽く羽織っただけで、髪からはぽたぽたと水が滴り落ちる状態で現れた幽に呆れつつ、静雄は料理の手を止めて、バスタオルをひったくって幽の正面から髪を拭いてやる。
さらさらとしたストレートヘアをがしがしと乱暴に拭くと、まるで猫のように目を細めて、腰に手を回してきた。
いつもとは違う動作に、首をかしげる。
「ん、なんだよ。どした?」
「・・・ううん、やっぱり兄貴は優しいなって思っただけ」
「はぁ?何だよいきなり」
変なの、と笑うと幽も笑う。そしてその微笑みを浮かべた顔が、ちらりとテレビに向いた。
そのテレビでは、例の俳優がインタビューに答えている。
「・・・あの人か」
「え、あ、そうだ。なぁあの人誰だっけ?前見てたドラマに出てたと思うんだけど名前忘れちまって」
「ドラマ・・・?」
「ああ、えぇと・・・親父とお袋がまだ家に居た頃で・・・そんときに見てたやつ。『貴方に捧ぐ花束を』、だった、かな」
静雄と幽の両親が仕事の都合で日本を離れたのは静雄が大学に入学する前の話である。
そんな頃に見ていたドラマを、そのころから芸能活動を始めていた幽は流石に覚えていないかと思ったが、共に見ていたドラマを律義に覚えていたらしい。
「・・・折原さんだよ、俳優の折原臨也」
呟くように言われて、ようやく思い出した。
ようやく次の話題へ移ったワイドショー。そこに先程まで上がっていた人物の名。
テレビに疎かった静雄が初めて最後まで見たドラマだっただけに場面場面は鮮明に思い出せる。エンディングロールで流れるその名前に、毎回「変わった名前だな」と思っていたものだと、今更ながらに考える。
端正な容姿から放たれるオーラと甘い台詞、優しい微笑み。クールで孤独な存在といった役柄が、とても彼に合っていた。
そのインパクトを忘れてしまうとは。
―――『・・・気にもしないわけだ』
新羅の言葉が蘇る。
(・・・やっぱちょっとは気にすべきだったか・・・)
無関心と声援は全くイコールにはならない。
人と接触することが多い仕事だからと、自分に降りかかることもない災いを避けていたのかもしれない。
(・・・勉強するか)
これだけかっこいい人物が同じ芸能界に居ると考えると、幽にライバルが多いというのも大いに頷ける。
ではまず折原臨也から、と脳内辞書にしっかりと書き込んでから、目の前の黒に声をかけた。
「なぁ幽、朝ごはんなんだけど、」
「・・・あ、今日はいいや」
「食うよな?」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・食う、よな?」
「・・・食欲ないからいいって言おうと思ったんだけど」
「俺が作る朝ごはん食わないつもりか?」
「ぅ・・・」
明らかにいらないという雰囲気に静雄の体が本能で反応する。
それを敏感に察知したらしい幽が慌てて体を離そうとするが、その手を問答無用で捕まえる。
逃げようとする手が静雄の細腕を振りほどこうとするが、すんでのところで思いとどまったように止まる。
強引に目を合わせようとすれば、気まずげにそらされた。
「あのなぁ幽、お前全っ然懲りてねーじゃねぇか。只でさえ仕事忙しくてあんまり食べれてないっていうのに朝から食わねぇってそれこそどういうつもりだよ。自分で自分の首絞めてるみたいなもんだぞ」
「大丈夫だよ・・・あの時はあの時だし、今は元気だし」
「今はそうでも、この先分かんないだろ」
全く懲りる様子もなくくどくどと言い訳を連ねる幽に流石にむっとする。何と言っても静雄には、幽の忘れられない前科があるのだ。
「そんな風にしててまた前みたいに倒れたらどうすんだよ・・・俺があの時、どれだけ泣きそうだったか忘れたのか?」
幽がアイドルとしてデビューしたての頃、スタジオ近くに一人暮らしをしていた時に、一度倒れて病院に運ばれたことがあった。
原因は過労と栄養失調。
もともと細かった体がさらに細くなっているのを見て、静雄のほうが倒れるかと思ったほどだ。
「だからあれは・・・たまたま忙しい時期で、ごはん食べる時間なくて・・・」
「泣くぞ」
「・・・それだけはやめて」
幽はその時のことを言われるのは嫌らしく、泣きそうな顔をして俯いた。
それを見て言いすぎたかとも思ったが、ここは心を鬼にして、幽の頬を両手ではさんで目をあわさせる。
「大体な、朝から食わないって言ってる時点で反省してねぇ証拠だよ。そんな顔したって無駄だぞ幽、さぁ言え!お前が食うのは目玉焼きかスクランブルエッグどっち!?」
至近距離で見つめあったまま動かない静雄と幽。
テレビだけがうるさい中での暫しの無言のにらみ合いの後、幽は降参の印に大きくため息をついて静雄に抱きついてきた。
「・・・スクランブルエッグ。バターたっぷりで・・・」
「よし」
幽の肩をぽんと叩いて強引にその腕から逃れ、卵を取り出すべく冷蔵庫を開ける。
トースターに食パンをセットしてフライパンに溶き卵と大量のバターをぶち込んでスクランブルエッグを作っていたら、バスローブから私服に着替えてきた幽が再び後ろから抱きついてきた。
「・・・?なんか今日多いぞお前・・・どうした?」
「・・・兄貴さ、本当に俺のマネージャーになってほしいんだけど。世話焼いてくれるし料理できるし大好きだし」
「おいおい、幽には卯月さんっていう有能なマネージャーがいるだろ?あ、いや、今は違うんだっけ?てか最後の関係ねぇし」
「誰だっていいよ、俺は兄貴が良いんだ」
スクランブルエッグが出来上がっても幽は一向に離れようとはしない。
本当に今日はどうしたんだろうと静雄は弟の行動をいぶかしみながら自分用の目玉焼きを焼き始めながら幽の話につきあった。
「俺に勤まんねぇって」
「でも兄貴には天職だと思う。そうしたら俺もずっとずっと頑張れるし」
「いや、今も普通に頑張れよ・・・。てかマネージャーって下手したらお前より忙しいかもしれねぇんだろ?無理だって、そんな忙しいのやってたら俺も体壊すし、」
「・・・・・・っ!!!!!」
目玉焼きを皿に盛りつけながら静雄が冗談半分に言った言葉に幽の体が過剰に反応した。
「え、わっ・・・だぁっいてっ!?」
同時に腰に食い込んだ指に思わず声をあげると、幽はがばっと体を離してきた。
振り返ってみればその顔は明らかに血の気がない。
「・・・?おい、お前、大丈・・・」
そこでようやく静雄も自分の失言に気付いて、はっと口をつぐんだ。
この幽の反応は、見慣れすぎている。
「あ・・・か、幽、ごめん、俺」
「いや、俺のほうが悪い・・・ごめん兄貴」
「いや、俺は気にしてねぇからいいんだけど・・・」
「それでも。それでもごめん。兄貴は忙しくなんかなっちゃだめ。本当にごめん」
「う、うん・・・」
そのまま少々気まずい雰囲気の中で朝食を一緒にとった。
幽はなんだかんだいいながらも全てぺろりと平らげてしまい、静雄は静雄で食パンを半分きっちり食べて、残り半分は明日の分として置いておく、いつもの習慣だ。
「・・・あ、やば」
朝食後、皿洗いの前に思い出したのは昨夜洗濯し直し、アイロンも掛け直した黒いハンカチ。
いつか会えればと思ってずっと持ち歩いていたのだが、しわが寄ってしまったので洗い直していたのだ。
いつか会えればという考え自体が女々しいと思うのだが、自分の行動に心残りがある以上、その女々しさは無視している。
洗い物も手早く済ませて、鞄に荷物を詰め込んでから最後にハンカチを入れる。
(・・・本当に渡せたらいいんだけど・・・)
何の手がかりもない人物の黒いハンカチ。
同じ時間に出かける幽と玄関を抜けながら、今日こそは会えるだろうかと静雄は思いをはせた。
(・・・そうだ兄貴)
(うん?)
(今日の晩御飯、兄貴のお弁当が良い。午後どうせ暇でしょ?)
(・・・何で俺の予定把握してんだよ)
・・・・・・・・・・
お待たせしました04です。
いい加減1話1話を短く終わらせる方法を知るべきだと思いましたorz←
次は思い切って短めにしたいと思います!
臨也の出番が予想以上に遅い・・・;;