いろいろありがとう企画 | ナノ


 
 今日もまた来たのか。私のシフトの間に来るなんて本当、タイミング悪い。
 
 コンビニの自動ドアが開く音がしたのでそちらに目を向けると、普段にも増してあまり会いたくない客が悠々と店内へ入ってくる姿が見えた。時間はやはり午後7時。ジャージのまま帰っているところを見ると、部活の帰りなんだろう。こんな遅くまでやるなんて大会が近いのか、それともただの熱血なのかは判断がつかないが別にそんなことはどうでもよかった。重要なのは、私はあいつが嫌いで、特に今日という日は顔を合わせたくないということだ。
 私と彼は知り合いでも無ければ、顔見知り程度でもない。コンビニのアルバイト店員と、自分の学校が近いのかそのコンビニをよく利用する高校生、といった具合のまったくもって糸の細い関係、むしろ街ですれ違っても気づかないくらいには赤の他人、と相手は思っていることだろう。だが私は違う。私がこんなにも彼を嫌悪する理由は、アルバイトを始めたばかりの頃の忘れられない出来事のせいであるのだ。
 胸の名札の上に『研修中』と書かれたシールを貼り、初めてのアルバイトだったこともあって何をするにでも失敗がついて回った。レジを打つのは遅いし、インターネット注文の受付だってどうしたらいいか分からないし、とにかく何か問題を起こしては店長や先輩にため息をつかれ自分は実は社会で役に立たない人間なのでは、と思ってしまうほど。そんな思いをもんもんと抱え億劫な気持ちでレジに立っていた時、奴は現れた。
 
 今思い返せば、あの時も午後7時をちょっと過ぎたくらいに彼は私のレジに立った。自分の学校ではあまり見ないような、イケメンだった。さらさらの黒髪(ちょっとお坊ちゃんっぽい)、ぱっちり開いた二重の目。ついでに言うと、私の好みドストライク、ホームランを打っていた。ちょ、ありえない、まさかのバイト先で運命の出会い?これがディステニーってやつ?ど、どうしよう彼の背後に白馬と赤い薔薇が見えるんですけど!突然の王子のコンビニ到来に、私は気が動転してしまったんだと思う。いや、それ以外考えられない。思い出すだけでも頭が痛くなる、商品を袋に詰めるとき私はこう言ったのだ。
 
「おっお箸はお付けしますか!?」
 
 最悪だった。声は裏返っていたし多分呂律もあまり回っていなかったけど、それ以上に最悪なことは王子はスポーツドリンクしか買っていなかったことだった。咄嗟の自分の発言に自身で驚くが、次の瞬間の白馬の王子の発言に耳を疑ったね、私は。
 
「なに、スポドリって箸で飲むもんなの?」
「はっ」
「んなわけないじゃん、あんた馬鹿?」

ハンッと人を小馬鹿にする笑みと共に発せられた言葉。あんた馬鹿?あんたばか?アンタバカ?私の中でその言葉は10回ほどエコーした。そりゃ気が動転して変な発言した私は悪いけど、それにしたってその返事はどうなの?まず、人間としてどうなの?気の利いたフォローとかないわけ?頭の中の王子像は一気に崩れ、替わりに目の前の男子ににょきにょきと悪魔の触覚と尻尾とが生えてきたあれはきっと幻覚じゃない。それから彼はバーコドスキャナーを片手に未だ固まった私をよそに、スポーツドリンク分150円をきっちり置いてその笑みを崩すことなく悠々とコンビニを出ていった。
 それからというものの、彼は土日を抜かした午後7時に現れるようになった。といっても私のシフトが入っていない日はどうなっているのかなんて知らないし知りたくもないが、ともかく奴がコンビニに召還され帰還するまでの約10分間、私は苦痛の時間を強いられている、というわけだ。なんせ来るたび私のレジに並んでスポドリを買っては、「あ、箸いらないから」と言って帰るのだ。そろそろ列記とした理由のある殺人は許されるべきである。店長にそれとなく奴の素性を聞いてみたところ、このコンビニの近くに伊達工業高校という学校があるからそこの生徒ではないか、と言われた。それ以上のことは分からない、とも。
 
 とまぁここまで私が名前も知らない男子高校生に恨みを持つ理由をつらつらと述べたが、今日だけは本当に、本当に心の底から奴と顔を合わせたくなかった。原因は彼じゃない。いや、もちろんいつものように馬鹿にされるのも嫌なんだけど、今回は私の方にあった。
 
 ずっと好きだった先輩に彼女ができたのだ。
 
 別に先輩に告白しようと考えたことなんて無かったし、恋人になろうなんて夢にも思ってなかった。けど、だけど、憧れが大部分だったけど、本当に好きだった。私は普通の高校2年生、彼はイケメンのサッカー部の先輩、学年も違えば格も違う私は先輩と会話したことなんて一度も無かった。時々学校の中ですれ違って、一生懸命にボールを蹴っている姿を見てドキドキできるだけで良かった、そのはずだったのに。突如先輩に彼女ができたと噂で聞いて、その直後運悪く実際に二人で帰宅しているところを目撃してしまった私はなんて不幸な子なんだろう。それから吹奏楽のトランペットやらトロンボーンやらが幾重にも木霊する夕暮れの学校で、一人で泣いた。自分でも呆れるほど、涙が止まらなかった。
 それでも失恋ごときでバイトを休むなんてできない、と重い腰を上げたはいいものの、あんなに泣いた跡がすぐに消えるはずも無く瞼は重く目は真っ赤、声は掠れてふとするとまた涙が零れてしまいそうな状態だった。店長はそんな私に驚いて何があったかしつこく聞いてきたが、失恋しましたなんてそんな恥ずかしいこと言えるはずも無く大丈夫ですから、とレジに立った。そして午後7時、やはり彼は来た。来てしまったのだ。コンビニに入って来た時一瞬だけ足を止めたような気配がしたが、なんせできるだけ顔を見られないように、目を合わせないようにしていたので思い違いかもしれない。なんにせよ今の私にとっての重大課題は、いかに彼をやり過ごすか、その一点に尽きた。
 
 
「360円になります」
 
 
 いつものスポドリと、そして意外なことに奴は今女子の間で人気急上昇中のイチゴチョコレートを持ってやったきた。他のと違ってちょっとお高いのであんまり手に取ることは無いが、テスト終わりとか特別な日には自分へのご褒美として私も買ったことがある。スポドリ以外のものを買うのは初めてなのではないか、とふとどうでもいいことを考えたがさっさとお会計を終わらせるためにいつもよりてきぱきと行動した。空気を読んだのか、今回は向こうも何も言わない。このまま何事もなく終わればいい、そう思った瞬間だった。
 
 会計が終わり袋に詰めようとしていたイチゴチョコレートの箱を私の手からひったくると、彼は自分のポケットからいきなりマジックを取り出しキュッキュッと音を出しながら素早く何かを書いた。かと思うと勢いよくその箱を私に押し付け、その勢いのままスポドリを持って走ってコンビニを出て行ったではないか。
 取り残された私は店内に客があまりいないのをいいことに唖然と立ち尽くしていたが、はっと我に返り手の中にある箱と、そこに書かれてあるかなり乱雑な文字を見た。
 
 
『元気だせ』
 
 
 たったの4文字。それも渡すときに乾いていない部分が指に掠ったのか、最後の部分の文字のインク少し伸びていた。馬鹿みたいだ、そう思いながらも再びまた熱くなるの自分の目をどうすることもできず、また一筋、あったかい涙が頬を伝う感触がした。それでも先ほどのように鬱蒼と茂る悲しい気持ちじゃなくて、たった4文字、だけどこの4文字が私の何処か心の中にすとんと軽いものが落ちた。後ろで店長がしみじみと「青春だねぇ」と言ってるのを聞いて、走り去っていく彼の耳が真っ赤だったことを思い出す。
 
 
「今度、名前…聞いてみようかな」
 
 
 彼は答えてくれるかな。答えるにしても、きっとまたあの生意気な口調なんだろう。それでもいいや、と思ってしまう自分がいたことに少しだけ笑った。