いろいろありがとう企画 | ナノ



それは偶然にも廊下で話している西谷くんと田中の会話を聞いてしまった昼休みから始まった。
西谷くんと田中は元々の性格が合うらしく、部活以外の日常の学校生活でも結構一緒にいるところを見かける。
普段の私であれば「何話してんの〜?」とでも言って二人の中に入れるのだが、今日ばかりはちょっと遠くで様子を見ることにした。
二人が滅多に見せない真剣な表情で何やら一枚の紙を覗いていたからだ。
 
「いよいよ潔子さんのを考える時が来たな…」
「でも潔子さんの美しさを表す文字なんて考えつかねぇよ」
 
潔子さんというとたまに西谷くんの口から出てくる男子バレー部の美人マネージャーさんだ。会話の詳細は分からないが、西谷くんが発した次の言葉に私は固まってしまった。
 
「なんたって潔子さんは地上に舞い降りた女神だからな…あの美しさには誰も勝てない」
 
どこか遠くを見ながら頷きあう二人。傍から見ればかなり怪しいが、私はそれどころでは無かった。
清水潔子さん。男子バレー部のマネージャーで、私も前に一度部活見学をさせて貰った時に少し会話をしたことがあるしその後校舎ですれ違えば互いに会釈する程度の仲である。
確かに彼女は女の私の目から見てもかなりの美人だし、部活の仕事もてきぱきとこなしていた気がする。それでもまさか彼氏の口から「あの美しさは無敵」発言をされるとは思わなかった。
これがもしテレビの中の人物に対して言うのであれば私も何とも思わないが、同じ高校にいる同じ部活のマネージャーさんへ対しての言葉だ。彼女として、それはいかがなものだろうか。
もちろん西谷くんのあの発言に恋愛感情が入っているわけではないことは分かっている。それでも、少しいやかなり悔しかった。
 
しかし私が自分自身の見た目に関し何も努力していないのは確かであるのだが。
まぁ化粧水を使ったりたまにはパックをしたり体重計に乗ってたまに青い顔になったりとごく普通(であろう)の女子高校生気の使い方くらいはしているが、クラスの中には軽く化粧をして髪もきちんとセットしている女子も存在する。
清水さんは素が整った顔をしているので、おそらくそういう努力はしていないと思われる。…いやどうなんだろう、してるのかな?
とりあえず凡人である私が西谷くん曰く女神の清水さんに勝てないのは明白な事実だ。事実、だけど…。
毎朝軽くアイロンをかけるだけの自分の髪の毛を一房取って見つめる。同じ黒髪であるのに、彼女と自分では酷く差があるような気がした。
 
「やっぱ私ももうちょっと見た目に気を使おうかな…」
 
そうと決まったら今日からやるぞ!!
 
最近かなりの時間を共に過ごしているせいか、西谷の思い立ったらすぐやる主義がなまえには乗り移っていた。
 
 
 

劣等感Lady




今まで三日坊主だった半身浴なるものをしながら今日買ったばかりの雑誌を読む。高校に入ってからはあまりファッション雑誌を買っていなかったのだが、この度一気に三冊購入した。
メインは「お風呂でのダイエット方」「今年の夏を先取り!」「男子受けがいいナチュラルメイクの仕方」である。
 
次の日休み時間に教室でメイクの雑誌を読んでいると、クラスのイケ女集団が「メイク始めるの〜?」といいつつ私の席に寄ってきて「なまえちゃんに似合う色は暖色系だと思うなー」「私これ使わないからあげるよ」「今度オススメの本貸してあげる!」と何だかよく分からないけど色々伝授してくれた。ありがたいがそのほとんどがあまり話したことのない人ばかりだったのでちょっと驚きだ。
あの告白事件騒動の後、今まで交流の無かった人から突然声をかけられるようになった。
その多くが「頑張って!」「応援してる」などすれ違った時に一言声を掛けられる程度のものだが、ごくたまに「どう告白したら成功するんですか」なんていう相談までされる。
実際あの時の私はノリと勢いでやったようなものなので、相談されても困るのだが。
兎も角貰えるものは貰い後は帰りに大型スーパーに寄って化粧コーナーを覗き、店員さんに勧められたものを買っていったら軽く5000円は超えてびっくりした。化粧品って高い。
 
いつもより一時間も早起きして、洗面台の鏡と睨めっこをする。昨日美人な店員さんに教わった通りにやらねば。雑誌を片手に奮闘する私は滑稽だったであろうが、誰も見ていないのでよしとする。
化粧水に下地、ファンデーションにほんとに軽くチークとアイライン。案外綺麗にできたんじゃないかと、鏡の中の自分に向かってほほ笑む。「凡人は化粧が映える」とかいうが、あれは本当のことなのかもしれない。
親に化粧をしているのがバレると怒られそうなので、見つからないようこそこそ居間を歩き玄関で「今日早く行かないといけないから!」と大声で叫んだ。気分はちょっと忍者だった。
外に出ると携帯を片手に驚いたようにこちらを見ている西谷くんがいた。あれ、今日は朝練なんじゃなかったっけ。
 
「おはようなまえ、早いな!」
「西谷くん朝練どうしたの?」
「体育館整備とかでいきなり無くなった!」
 
そうなのか。これはちょっと西谷くんと部活の方々には悪いが、チャンスかもしれない。朝だし、崩れてない完璧な状態で見てもらえるんだから。
ちょっと期待を込めた目で西谷くんを見たが、肝心の彼はニカッと笑い「まぁなまえと一緒に登校できるからいいけどな!」と言った。
う、うん。それはいいんだけどさ。もうちょっと何か、あるでしょ?ね、今完璧私の顔ちゃんと見たよね?ね?
そんな私の心の中の問いかけは見事に届くこと無く、西谷くんは「さー今日も元気にいくか!」なんて何が可笑しいのか豪快に笑いながら歩き始めた。…なんでやねん!
 
 
 

 
  
結局そのまま何もイベントが起こることなく、昼休みになった。
クラスの友達やイケイケ女子は「お、軽く化粧してる!」「可愛いよ、似合ってるね」などと声をかけてくれたのだがいかんせん西谷くんは一向に気づく気配がない。
毎度のこと移動教室ではない限り休み時間になれば私の教室に来るのだが、自分の話だけしてチャイムと共にダッシュで帰っていった。
確かに西谷くんは女の子のそういうところに敏感ではない、とは思う。でもさ、私の彼氏なんだし気付いてくれてもいいんじゃない?
なんて本人に言えるはずもなく、自動販売機へと向かいつついつもより数倍大きく長いため息をついた。すれ違った男子が何事かと怪訝そうにこちらを見たが、それどころではない。
 
パンに合うのは紅茶と緑茶どっちかなと考えつつも、やはりどんよりした気持ちで自動販売機を見つめていた時だった。
「あれ、なまえさん!」と声をかけられ、どこかで聞いたことある声だなと思いつつ振り向くとそこには以前お世話になった西谷くんの先輩と後輩、菅原さんと…眼鏡くんがいた。名前なんだっけ。
「こんにちは」と言いながら頭を下げると素直に挨拶を返してくれたのは菅原さんだけで、眼鏡くんの方は「げ、またこいつか」という顔で見下される。うん、なんていうか相変わらずだね君。
久しぶりだなぁと思いつつ「お元気ですか?」と聞くと、菅原さんはじっと私の顔を見つめながら驚愕の一言を発した。
 
「なんか、いつもと雰囲気違うね?」
「えっうわっわ、分かります!?」
 
興奮のあまり菅原さんの手を握ってしまった。菅原さんは若干びっくりしながらも、「落ち着いて!どうどう!」と私のことを宥める。
すみません、と言いつつ慌てて手を話したが感動は抑えきれない。まさか、気付いてもらえるなんて!が、その感動もすぐに萎んでいった。嬉しいけど、やっぱりその一言は西谷くんに言われたかったな。
私のテンションの変わりように戸惑ったのか、菅原さんは「どうしたの?」と首を傾げた。
言わないでおこうかと思ったけれど、この人に隠し事をするのも今更なので思い切って口を開く。
 
「あの、実は今日、初めてお化粧に挑戦してみたんですけど」
「ああ!それでかー」
「に、西谷くんが…気付いてくれなくて」
 
少し俯きながら言うと、菅原さんは「あーなるほどね」と苦笑した。なんだか非常に申し訳ない気分だ。
気まずい空気を読んでか読まないでか、いや多分あえて前者なのだろうが眼鏡くんは私の顔をまじまじと見た後、「そんなに何か変わってますか?」と鼻で笑いやがった。
まぁその言葉を聞いた瞬間、私と菅原さんが同時に彼の背中を思い切り叩いたため眼鏡くんの痛そうな顔を見れたからよしとする。
 
 

 
 
 
やはりというべきか、何も進展することなく放課後になった。
時刻は6時30分。私は西谷くんの部活が終わるのを図書室で待っている真っ最中である。ペンを回しながらうんうん唸る私を図書局の人が実に不愉快そうに見ていたが、今日くらい許してほしい。
付き合い始めてからというものの、一緒に帰るためほぼ毎日私が彼を待つという形になっていた。待つ場所はうさぎ小屋か図書室にて勉強するか本を読むかである。
今日も例に漏れず彼を待ちつつ参考書を開いているわけなのだが、無論その内容が頭に入るはずもなくただただ何度も同じ文を読んでは別のことを考えるのであった。
 
別に特段何かを期待していたわけではない。
化粧をしていると気付くまではいかなくても、せめて菅原さんみたいにどこか違うと感じてほしかった。
清水さんみたいに元が綺麗な顔立ちをしていたらよかったのに、そしたらこんなこと考えずに済んだのに。もっと綺麗に、可愛く生まれたかった。
 
じんわりと滲む涙を懸命に堪える。今泣いてしまったら完璧に化粧が崩れるからだ。
顔がぐちゃぐちゃになれば流石の彼も気付くかもしれないなと馬鹿なことを考えながらも、シャープペンを筆箱にしまった時だった。
だだだだと廊下から誰かが全速力で走る音がしたかと思うと図書室のドアが勢いよく開きくのと同時に「なまえーーーー!!!」と静かな図書室に嵐が訪れた。言わずもがな、西谷くんである。
図書局の方の視線が一層鋭くなる中、私はほとんど有効活用していなかった教科書を急いで鞄にしまう。その間にも西谷くんはどすどすと私の方へ歩いてくるといきなり肩をつかみ、じーっと私の顔を見つめた。
 
「ち、ち、近い!近いよ西谷くん!」
 
鼻と鼻がくっつきそうな位置まで来た時、思わず後ずさりしてしまった。菅原さんに見つめられた時はなんでもなかったのに今は猛烈に顔が火照っている。これ心臓、どこどこ言うでない!静まれ、静まれー!
そんな私の心情を知らないであろう西谷くんは、もう一度ぐいっと私に顔を近づける。こ、これはもしかしなくともき、き、キスですか…!?
反射的にぎゅっと目を瞑った瞬間であった。頬に痛みを感じたのは。
え、と思いつつ瞼を開くと目の前には少々怒っている西谷くんがいた。どうやら私は彼に頬を抓られたらしい。なんで、と思う間も無く西谷くんが口を開いた。
 
「なまえ、お前もう化粧して学校来んな!」
「へっ」
「だーかーらっ!なまえ化粧禁止!」
「な、なんで…」
 
私の中にふつふつと沸いてきた感情は嬉しいとかそういうプラスのものでは無く、なんで今まで気付かなかった西谷くんにそんなこと言われなきゃいけないんだという苛立ちであった。
思い切って反論しようと口を開いた瞬間、図書局の人の声が割って入る。
 
「あの、そろそろ図書室閉めたいんですけど」
 
 
 
 
 


春の終わりを告げるような生ぬるい風が吹く帰り道。空はもう一面に星が輝き始め、夜が昼を見送っていた。
いつもなら楽しいはずのこの時間。私と西谷くんの間には気まずい空気が流れていたが、決して私からは口を開くまいと西谷くんの方も向かずただ歩いていた。
私のそんな気配を感じとったのか偶然なのかはよく分からないが、西谷くんが私の方を見るでもなく瞳に星の輝きを反射させながらぽつりと呟く。
 
「今日の部活でよぉ、菅原さんに言われたんだ」
「…何を?」
「お前が化粧してるの気付いたかって」
「あー…」
 
どうやら菅原さんにまた迷惑をかけてしまったようだ。あの人はよく気が利く上に優しい。あまり縁のない私にここまでしてくれるなんて。
「そんで、」と西谷くんはいつもの声の大きさの半分で続けた。
 
「月島が言ってた。いつもよりずっと可愛く見えましたよーって」
 
あ、それ嘘です。私は昼休み彼に言われたことを忘れない。
多分眼鏡くんのことだから「彼氏の癖に気づかなかったんですかー?」的な嫌味なつもりで言ったか、菅原さんに命じられて棒読みでその台詞を読んだのだろう。どちらかというと前者な気がするが。
無論それを口にすることなく黙っていたら、ついに西谷くんが立ち止まった。つられて私も歩みを止める。
 
「確かに俺はいつもと違うとこに気付けなかったけど、」
 
俯き気味だった西谷くんの顔が上がり、視線が絡む。心なしか彼の頬が少し紅い。それと同時に声のトーンが段々普段、いやいつも以上になってゆく。
 
「なまえが化粧して、今以上に可愛くなって、周りの男がお前を意識し始めんのが、」
 
 
 
―すっげー嫌だ!!
 
 
西谷くんの元から大きい声にさらに輪をかけたようにボリュームアップした彼の叫びは、静かな夜の街にそれはもう嫌というほどに響いた。
ウォーキングをしていたおじさんが何事かとぎょっとしたようにこちらをちらっと振り返りながら、歩みを速めて過ぎ去っていく。
私はというと何も言えずにぽかんと口を開けていたが、彼の放った言葉の意味を理解すると同時に顔に熱が集まるのを感じた。
羞恥で私に負けないくらい顔が赤いであろう西谷くんはそれを見られまいとそっぽを向いてしまう。
 
「だから、もう化粧して学校くんなよ」
「…うん」
 
今日一日私の心の中を支配していたモヤモヤが嘘のようにすっと消えて、変わりにやってきたのは恥ずかしいような、それでもほんわかした暖かいもの。
もう可愛くなくたって綺麗じゃなくったって、どうだっていいかななんて思った。
 
 
こんな平凡な顔だって君が可愛いって思ってくれるなら、それでいいんだ。
 

 
その日の夜、私はきらきら輝く化粧品をそっと大事に机の奥にしまった。
 

劣等感Lady