小説 | ナノ



たとえば私が、

何気なくTVのチャンネルを回すと、幾度となく聴いた、耳に覚えのある曲が流れているところだった。

画面はこの寒空の下不自然なほど鮮やかな緑色。点在する赤と青。そして次に映し出されたのは白い球体。

「…高校サッカー、決勝今日なんだ…」

じくり、と胸の奥、お腹の入口のあたりが深く差し込むように悲鳴をあげた。

年末の特番の録り貯めに果たして意味はあるのだろうか、貴重な生放送と銘打って結局仕事三昧のお正月は駆け抜けて去っていった。季節感があるんだかないんだか、わからないまま一月もすでに中旬。ようやく半日のお休みがもらえて、でもたったの半日なんて一瞬で過ぎてしまう。いつもよりも少しゆっくりと目覚めて少し品数の多い朝食を摂って、少し時間をかけて弱火であたためたミルクで溶いたココアを飲んだことが少しばかりの贅沢か。時計の針はすでに行動開始を決めた時間を指していた。

だけど。

TVの前から動けないままの私。知らない高校生たちがフィールドの上でこれから始まる決勝戦に向けて静かに闘志を燃やしている。いるはずのない姿を私がそこに探しているのは、隠しようのない事実だった。

「おい、ユキ!」

聞こえるはずのない声が私を呼んだような気がする。まーくんは朝から出かけている。家にいるのは私だけ。ああ、これが幻聴か。

疲れが溜まっているのだ。ため息を吐きながら目頭に指を押しあてる。さっきまであたたかいココアを飲んでいたとは思えないほど、指先は冷たかった。


ホイッスルが鳴って、ボールはフィールド内で大きく弾んでいる。重なるのは、膝から蹴り上げられて空を舞う、あの日の光景だ。


「20、21…………すごいね、なんでそんなに続くの?」
「そりゃお前、俺が今までどれだけこいつとやってきてると思ってんだよ」

そういうと、隼人は一瞬私に視線をくべて、それからすぐに頭上のサッカーボールへと意識を戻す。高くあがったボールを額で再び空へ返すと、次は肩、踵、靴の側面そしてまた膝、とまるでその姿は手品のようだ。

楽しそうにボールと戯れる隼人と、ボール内の空気が共鳴してティン…とキレイな音がするのを聞いているのが好きだった。忙しい隼人にようやく仕事でスケジュールが埋まりだした私。なかなか休みが合わない私たちだったけれど、一緒に夜を過ごせる日、時々はこうして人気のない時間を選んで外で過ごした。

「なあ」
「え?」
「俺さ、時々考えるんだけどな」
「うん」
「……サッカーできなくなって、この世界に進んで」
「……うん」
「やっぱり時々思い出して腐ることもあんだけど」

隼人は今日一番に高くボールをけり上げた。ふわりと重力から解放されたみたいにゆっくりと浮かび上がったボールが、まるでそこに収まるのが当たり前かのようにすっと彼の腕の中に帰ってくる。

「…………」
「……これが俺の運命だったのかって、思えるようになった」
「………」
「ツキに見放されたって思ってたけど、そうじゃなくて」
「………」


お前に会えたのは、俺がこの世界にいたからだ、と照れくさそうに隼人は呟いた。



ピーッと響いた笛の音でようやく画面に変化があったことに気がついた。数字が0から1に変わっている。
苦々しい顔をした少年がアップになる。その顔に、あの夜のことがフラッシュバックした。

夜中だった、と思う。タイマーで消えたストーブの独特のにおいが鼻についたのを覚えている。目が覚めた私の隣に寝ていたはずの隼人はいなかった。さっきまでのやわらかなぬくもりの存在が消えきっていなくって、なんだか無性にさみしくて。気づけば暗い室内に漏れ入る隣の部屋の明かり。ぬくもりを追いかけたいと思うのはきっと本能だ。駆られるままにひかりの先をそっと扉の隙間からのぞくと、

(……TV…?サッカーの試合……?……これ、ビデオ……)

青白い光の向こうで、隼人の背中越しに見えた画面に、見覚えのある顔が映った。

(…あれ、隼人……)

今よりもずっとあどけない顔でボールを蹴りながら走る少し古ぼけた映像の中の隼人は、きらきらと輝いて見えた。

「…………ッソ……なんでだよ…」

小さく、小さく。絞り出された一言は胸に刺さった。刻むように震える背中は脳に焼きついた。




賑やかなCMがフィールドの緊張から私を解放させる。

「準備…、しなきゃ……」

TVを消して、ようやく身体が動き出す。朝から点けていたストーブの火を落とせば、部屋を包むのは冬のにおい。

あの時、目が覚めなければ。そのあと、隣の部屋を覗かなければ。

今の、この身体の芯を揺さぶるような痛みはなかったのかもしれない。

隼人の前でサッカーの話ができなくなった私。
何事もなかったかのように、笑いかけてくれる隼人。

私はサッカー以外の話もできなくなっていた。彼の顔を見て笑うことができなくなっていた。


「……痛々しそうに俺のこと見てんじゃねーよ……」


最後に投げつけられたその一言は、苦しげに歪んだ彼の顔とともに私の記憶に今でも鮮明に居座り続けている。

痛い記憶は、消えないのだと。
悲しいかな、こんなところで私たちは同じ痛みを分かち合うことになって。

振り切れたと思っても、居座り続ける痛みは重い。現実を受け入れて前を向きかけてはこんな風に後ろを振り向いてしまう。こんなことがもう1年間ずっと繰り返されている。きっとこれからも続くのだろう。


「お前と出会えたのは………」


照れくさそうに呟いて、私を受け入れてくれた隼人の顔が瞼の裏で瞬いた。


もしも、もしも。

「………たとえば私が、何も知らなければ……」

呟いた一言は、誰もいない家にむなしく溶けた。






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