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あの子





演劇部が休みだった先週の土曜日に家族と水族館へ行った。その時其処で、丸井くんと丸井くんの幼馴染が手を繋いで歩いているのを名前は偶然見てしまった。
薄暗い廊下で楽しそうに話しながら魚を見る二人。
幾ら馬鹿な名前でも失恋したんだなって理解する。その日は涙が出そうになるのを堪えながら、家族と中を見て回った。
家に帰ってすぐに我慢が出来ずに部屋に籠もって泣いた。家族には何かがあったのだと勘付かれてしまったかもしれないが、公の場で涙が止まらなくなって彼等に迷惑をかけるよりは余程よかっただろう。

それからというもの、学校で丸井くんとその彼女が一緒に居るのを見る度に胸が傷んだ。
丸井くんの彼女は家庭科部で、テニス部と部活の終わる時間が違うのだが、二人は何時も時間を合わせて一緒に帰っている。
その時点で彼等が交際している事に気付けば良かったのだが、純粋に丸井くんを思っていた名前はそれが出来なかった。ずっとそれを知らずに、丸井くんに恋をしていた。


ふわふわで触り心地が良さそうな茶髪に、小さな背、大きな瞳、柔らかな雰囲気。どこから見ても可愛い丸井くんの幼馴染。名前もあの子になりたい。彼女になれるならば、何でもするのに。
浮かない気持ちで帰路につく。
家に着き、夕飯を食べ、お風呂に入り、さて寝ようとベッドで横になる前に、化粧台の鏡を眺めて祈った。
「私も、あの子みたいになれますように。あの子みたいになって、丸井くんに好きになってもらえますように……」
声が震え、また涙が出てくる。自分では丸井くんに愛されないという悲しみが胸を支配した。
布団に入り、天井を見つめながらも思う。
あの子になりたい。あの子のように、丸井くんに愛される存在になりたい。
丸井くんと彼女の姿が頭に浮かんだ。和やかな空気を纏い笑い合う二人にとって、名前の存在など道端の石ころと同価値だろう。
彼等の像がぼやけて消えた頃、名前は深い眠りに落ちていた。


丸井くんはモテる。丸井くんだけではなく、テニス部に所属している男子はとにかく人気で、彼等は校内で権力さえ保持していた。中でもレギュラー陣は別格で、テニスの強さは勿論のこと、ファンの数も平部員と大きな差があった。

学校に着いて、教室に向かう。靴箱で見た上靴もすれ違う人が興味なさげに名前へ向ける視線もいつもと同じ。重い気持ちで歩く廊下の踏み心地でさえ、昨日と何の変わりもなかった。
昨日、あれだけ祈ったにも関わらず、相変わらず名前は名前だ。当然のことなのだが嫌な程それを自覚し絶望しかけた次の瞬間、名前の体が宙を舞った。
落ちていく感覚と共に、視界いっぱいに見える黒い影。突然のことに、何が起きたのかが理解が出来なかった。
丸井くんの、あの子を呼ぶ声が聞こえる。誰からも呼ばれない名前の名前。
階段から落ちたのだと気付いた時には、廊下に倒れたまま名前は動けなくなっていた。



次に名前の目が覚めたのは病院の個室でだった。名前が瞳を開いたのに気付いて泣いて喜ぶ大人達。何故か其処に丸井くんも居た。
数十分後、名前が医師の診察を受け終わった頃に、彼等は現在名前の置かれている状況を説明してくれた。
何でも、名前と一緒に落ちた子が居たらしいのだが、打ち所が悪く命を落としてしまったらしい。
犯人は丸井くんのファンで、嫉妬に狂った末の犯行だそうだ。
未だに頭がぼんやりとしているのか彼等の話す言葉が所々明瞭に聞こえなかったが、大まかな話の内容は理解出来た。
あの子が死んだのか。
勇気を出して丸井くんに視線を向ければ、彼はこちらを暗い顔で見ている。
そして、ゆっくりと名前に近付くと、その体を優しく抱き締めた。
「……本当にごめん」
驚きの余り言葉が出ない。
丸井くんの行動と言葉の意味が分からず彼を見返したが、距離が近くてその顔を見ることが叶わない。
「ごめん」
その台詞を聞き、周りの大人達が一斉に丸井くんが謝ることはないと話し出す。
その通りだと思い、名前も急いでそれに続いた。
「丸井くんのせいじゃない……から……」
話した途端に感じる、声の違和感。
それを聞き、丸井くんは直ぐ様自分の腕から名前の体を離し、丸く見開いた目をこちらに向けた。周りの大人達も同様に名前を見ている。
高めの柔らかい声は、名前のものではない。名前のはもっと低く、芯のある響きをしていた。
名前は手を動かし、喉、胸、肩と順番に触れてみる。
脈を感じることは出来なかったがそのどれもが暖かく生きていると実感出来るもので、思わず名前の瞳から涙が溢れた。







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