歩道橋を一人歩く。普段の帰宅経路ならば通らない道の一つを。周りに高いものがないためか太陽の光は手摺りの影だけをつくっていた。赤の道に横たわる黒い梯を昇るように私は進む。
突如携帯が鳴った。
ディスプレイに映る名前を確認することなく通話ボタンを押す。相手などわかっている。この時間私に電話をかけてくるものがいるとしたら一人くらいしかいない。
どうかしたのか
相手が誰なのかわかっているから先に用件を聞いた。所謂先手必勝というやつだな。間違えるはずはなかったが電話の向こうから聞こえてきたのは彼女であった。ほらみろとディスプレイを見る。やはりそこには彼女の名前。
何?早く帰ってくるといっていた?そうか、今朝の私はそう言って家を出たのか。忘れていた?そんなことはないたまたまだ。もう近くまで来ているから安心するがよい。今は……梯の上だ
何処にいるのかと問われたので足元を見て答えると息がかかった音が聞こえた。ごおおおと。いきなりどうしたのだと問うてもなんでもないといわれる。全く奇妙なものだ。
む、梯がわからぬのか?梯は梯だ。またの名をほどうきょう、ともいう。だがしかしそれも別物であって歩道橋にかかった梯の上にわたしはいる。この梯は赤に映えた鮮明な黒でな、ついつい足を止めてしまったのだ。心配せずともすぐに帰る。待っておれ
撫子が頷いたのを聞いて電話を切った。さて帰るか。電話をしながら知らぬうちに手摺りに寄り掛かっていたのだから不思議だ。
体を離しもう一度梯と向き合った。
何故そのように間隔が短いのだ。それでは少しずつしか進めぬではないか。私は急いでいるのだぞ。否、あまり急いではいない。だが少しでもはやく帰らねばならない。
携帯をポケットにしまい爪先を前に出した。はみ出さないように、慎重に。私は梯を上っていくのだった。
111019