「泣かないでちぃ姉」



何をいってるの。わたしは泣いてなんかいないじゃない。普段映る世界よりも、一つ壁を隔ててしまったわたしの瞳に好春は映らなかった。いや、正確には映っている。だけど受け付けない。認めたくないのだ。そのためのものだ。これは涙じゃない。



「また京にぃのために泣くの?僕はそんなの許さないよ。京にぃのためって考えただけで胸が圧迫されるんだ。ぎゅーぎゅーって。それがすごく嫌い。嫌なんだ。だから、ねぇ泣かないで」



はたと世界が鮮明になる。壁が一瞬消えた。声に出してバカみたいに笑ってしまいそうだった。京にぃ。なんでその名前が出てくるの。好春、それは違う。かすってもいないよ。泣いてるだの京にぃのためだの。好春は間違ってばっかりだね。自分でわかってよ。考えてみて。当たり前のことをしないで自分を苦しめてるなんてわたしは許さない。
そんな奴を見るなんて、わたしは嫌だ。



「泣いてない、泣いてないってば。泣いてるのはあんた。わたしじゃない」

そして、わたしのためと泣く好春はもっと嫌だ。

「ちぃ姉はいつも厳しいね。それでいて残酷だ。自分だって泣いてるくせに僕だけを責める」



同じ言葉を繰り返す。泣いてる。泣いてない。終わりがないような問答。わたしは知っている。それに意味がないことを。好春も気づけ。どうせわたしを捨てていくなら、全部意味がないということを。
好春は捨てていく。滑ったように出た捨てていくという言葉は欠片ほどの予感だった。小さく、小さい。それでもたしかなもの。わたしだけでなく、好春をも。



「あんたが悪いんだ。あんたが、捨てていこうとするから」
「そう、僕は捨てていく。僕の思いを。僕自身を。でもちぃ姉のことだけは捨てない。ずっと忘れない」



予感が外れるわけなかった。ある意味の確信だ。思いを捨てて自分を捨てて。それでもわたしを忘れないだなんて。無理に決まっている。好春が好春であることをなくしたら、あんたの中からわたしも消えていくよ。それくらいわかってよ。気づいて。お願いだから。願うばかりでわたしは好春を引き止められない。行ってしまう。わかってる。だから壁をつくった。もうこいつとは無関係なんだ。姉弟でも家族でも知り合いでもない、他人。選んだのはわたしじゃない。好春。引き止める術なんてあるはずないじゃない。



「ちぃ姉、泣かないで。大丈夫、京にぃには何もしないから。泣かないで、泣かないで。最後が涙なんて僕嫌だよ」
「わたしはいいわよ。あんたの泣き顔なんて見慣れてるし」
「ひどいよちぃ姉。昔のことなんか持ち出さないでよ。今は、違うんだから」
「違わない。何も違っちゃいない。好春は好春でしょう?」
「もう好春はいないんだよちぃ姉。僕は、」



あぁこれで終わりだ。行ってしまう。わたしは背中を押してしまった。優しい力じゃなくって突き放すように。引き止める術がないなんて嘘。好春は望んで自分を捨てたんじゃない。わたしのせいで捨ててしまった、促したんだ。引き止めたかったのにね。




聞き馴れない名前を名乗り好春は行ってしまった。またねともさよならとも告げずに、わたしの名を呼んで行ってしまった。
きら。
いつもの呼び名ではなく初めて呼ばれた響きにつくった壁は粉々に壊れた。


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